20歳代の、それも高い技術を持ったドラマーとして認められていた若者が、突然不慮の事故によって下半身不随になってしまったとしたら…。その悲しみはどれほど大きなものだろうか。ロバート・ワイアットは以前このコーナーで紹介したことのあるイギリスのジャズロックグループ、ソフト・マシーンのドラマーとして、68年のデビューから71年までグループを支えた凄腕のメンバーであった。ソフト・マシーン脱退後、マッチング・モウルを結成し活動中の73年6月、階段からの転落事故で下半身不随となり、活動休止を余儀なくされるのだが、その1年後にはヴォーカリスト兼キーボード奏者として復帰する。
彼の音楽にはジャズ、現代音楽、ポップス、ワールド音楽などの影響が見られるが、時代に流されることのない重厚さと、この世のものとは思えないほどの美しいヴォーカルは、未来永劫聴き継がれていくと僕は確信している。今回取り上げる『EPs』は彼の代表曲を収録したコンピレーション作品で、ワイアット入門編でもあり上級編でもある名作のひとつ。
■イギリスとアメリカのロックの背景
60年代以降、イギリスとアメリカのロックを語る上で重要なことは両国の音楽的背景である。アメリカのロッカーは、ブルース、R&B、カントリー、フォーク、ロカビリーなどのルーツ系音楽に影響されている場合が非常に多い。だから、ブルースロック、カントリーロック、フォークロックのようなスタイルが生まれている。しかし、なぜかジャズに影響されたロックは少ない。バーズやグレイトフル・デッド、オールマン・ブラザーズ・バンドなどの一部の曲の表現方法にはジャズっぽい部分は確かに感じられるのだが、全体から見るとほんの少しだけである。
それに比べてイギリスのロックの先祖は、ブルース、クラシック、ジャズが大半を占めている。これらの音楽をもとにブルースロック(これはアメリカと同じであるが、イギリスでは即興演奏が長い場合が多い。これはジャズの影響だろう)、ジャズロック、プログレなどが生まれている。
では、イギリスはアメリカと比べて、なぜジャズの影響が大きいか。これはアメリカで食えない前衛ジャズミュージシャンたちがイギリスやヨーロッパに移住し、演奏活動を行なっていたことが大きい。売れないけれど優れたミュージシャンが大挙してイギリスで公演していたのだから、当時の若者が影響を受けないはずはないのだ。特に60年代はフリージャズ系のミュージシャンの全盛期でもあって、英ジャズロックは急速に成長することになるのである。
■隠し味としてのポップ性
イギリスにジャズロックのグループは多いが、本家はソフト・マシーンである。もちろんグレアム・ボンドやブライアン・オーガー、キース・ティペットの存在はプレジャズロックとして大きな礎になっていることは間違いないが、ロックサイドからジャズロックへのアプローチを始めたのはソフト・マシーンだ。ロック的なポップさと過激さを持ったジャズロックをロバート・ワイアットは試行錯誤していて、それがソフト・マシーンの特徴でもあった。
当初、ワイアットはソフト・マシーンの1作目『The Soft Machine』(‘68)と2作目『Volume Two』(’69)に見られたポップな部分に嫌気がさしていたようで、在籍中の70年に最初のソロ作『The End Of An Ear』をリリースしている。このアルバムは難解で、ジャズというよりはジャズ寄りの現代音楽のようであった。若くて野心家のワイアットは、この頃は難解なものを求めていたのだと思う。だから、ソフト・マシーンの3作目『Three』(‘70)や4作目の『Four』(’71)ではロック的な感覚は封印し、まるでフリージャズのグループのような難解さを前面に押し出すようになる。
しかし、このアルバムを最後にワイアットはグループを脱退する。「難解なだけでは独りよがりになってしまうだけだ。やはりロック的なポップ性も重要だろう」と彼が考えたかどうかは分からない。ただ、ワイアットがソフト・マシーン脱退後に組んだ新グループのマッチング・モウルは、前衛的なサウンドに加えてポップなテイストを若干持ったグループであったことを考えると、僕の推測もあながち外れてはいないと思うのだ。おそらくワイアットは難解なジャズサウンドの中に、少しだけポップス的な感覚を忍ばせたかったのではないか。そして、その答えがマッチング・モウルにあったのだ。
■不慮の事故と表現の転換
マッチング・モウルはワイアットの80年代時代を予告するかのような名曲「オー・キャロライン」を含む『マッチング・モウル』(‘72)と『Little Red Record』(’73)の2枚をリリース、ワイアットのドラミングはソフト・マシーン在籍時よりも自由なリズム感覚を身につけており、新たな境地に到達していることがわかる。しかし、残念なことに事故はその矢先に起こった。パーティーに参加していたワイアットは酔った勢いで階段を踏み外し、転がり落ちたのである。半年ほど入院し治療に専念していたが、脊椎損傷で下半身不随となり、ドラムの技術を極めることを断念せざるを得なくなった。
事故から1年後、彼は車椅子のヴォーカリスト兼キーボード奏者としてヴァージンレコードと契約、2ndソロアルバム『Rock Bottom』(‘74)で再起する。この作品でヴォーカリストとしての彼の才能は開花し、アルバム全編に満ちた人間味あふれる滋味深い味わいは、彼の新たなスタートを切るに相応しい内容となった。彼のリリカルで繊細なガラス細工のような表現は次作『Ruth Is Stranger Than Richard』(’75)でも継続されるが、これ以降は体調が思わしくなかったことと、ロック界の急激な変革(パンクとAORの台頭など)で沈黙してしまう。
■ラフ・トレードで才能が開花
この後、80年に新興レーベルのラフ・トレードに請われて契約、シングル(当時は12インチシングルがブームの時代)を数枚出し、それらをまとめた『Nothing Can Stop Us』(‘82)をリリースする。このアルバムはヴァージンの頃のサウンドと比べると骨太の印象を受けた。歌詞の意味がよく分からなかったので、大した理解はできなかったが、なにか政治的な意味(反戦、差別、貧困など)があることは分かった。
同じ82年、ラフ・トレードから新しい12インチシングル作品(3曲入り)がリリースされ、ジャケットの素晴らしさに惹かれ僕は迷わず入手した。それが『Shipbuilding』で、この世のものと思えないワイアットのヴォーカルと素晴らしい楽曲に完全に打ちのめされた記憶がある。タイトル曲はエルヴィス・コステロとクライヴ・ランガーの共作であった。残りの「Memories Of You」「Round Midnight」はどちらもジャズのスタンダードであるにもかかわらず、完全にワイアットの世界が構築されている、この2曲も名曲だ。ラフ・トレード在籍中にワイアットの才能は完全に花開いたと思う。今でも僕の中ではワイアットの最高傑作はこの3曲だ。この『Shipbuilding』は全英チャートでトップ40に食い込み、セールス的にも成功している。
■本作『EPs』について
タイトル通り、本作はシングル作品を集めたコンピレーションで、12インチ時代のそれぞれの作品のイメージを生かすため、5枚組(1枚当たり20分程度)でリリースされたもの。CD1はヴァージンレコード時代の『Rock Bottom』と『Ruth Is Stranger Than Richard』の後にシングルリリースされたモンキーズのカバー「I’m A Believer/Memories」(‘74)と「Yesterday Man/Sonia」(’75)、そしてライブを収録。
CD2は前述の名曲中の名曲の12インチ『Shipbuilding』からの3曲と、他のコンピ『The Liberator』(‘86)から「Pigs…(In There)」を収録。CD3は4曲入りシングル『Work In Progress』(‘84)から全曲収録。CD4はサントラでミニアルバム『The Animal Film』(‘82)から同曲収録。上記のCD2〜4はラフ・トレード時代にリリースされたもの。CD5は97年にハンニバルレコードからリリースされた、ソロ8作目にあたるアルバム『Shleep』より4曲をリミックス収録している。
僕は何と言ってもCD2を推すが、本作は70年代〜90年代の秀作が一挙に楽しめるので、ぜひ入手してロバート・ワイアットの“この世のものとは思えないほどの癒やし”を味わってみてください♪
TEXT:河崎直人
アルバム『EPs』
1999年発表作品
<収録曲>
■CD1
01. I’m a Believer [Previously Unreleased Extended Version] [Version]
02. Memories
03. Yesterday Man
04. Sonia [Alternate Version] [Version]
05. Calyx [Recorded Live at Drury Lane] [Live]
■CD2
01. Shipbuilding [Remastered Version] [Version]
02. Memories of You
03. Round Midnight
04. Pigs… (In There)
05. Chairman Mao
■CD3
01. Yolanda
02. Te Recuerdo Amanda
03. Biko
04. Amber and the Amberines
■CD4
01. The Animals’ Film
■CD5
01. Was a Friend
02. Maryan
03. A Sunday in Madrid
04. Free Will and Testament
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