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ブリティッシュファンクの源流となったアベレージ・ホワイト・バンドの傑作『カット・ザ・ケイク』

スコットランド出身の、それも白人ばかりのソウル/ファンクグループがアメリカでチャートの1位になることなど、アベレージ・ホワイト・バンド(“平均的な白人バンド”という人を食った名前/以下、AWB)が登場するまでは誰も想像できなかっただろう。彼らの2ndアルバム『アベレージ・ホワイト・バンド』(‘74)に収録された「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」は全米のラジオ局から火がつき、インストナンバーであるにもかかわらず大ヒット、ポップチャートで1位、R&Bチャートでも5位となる。しかし、大ヒットの直前に創設メンバーのロビー・マッキントッシュ(Dr)が、ドラッグのオーバードーズで亡くなるという不運に見舞われる。ファンクグループにとってドラムはグループの要だけに活動の継続が危ぶまれたが、代わりに参加した黒人ドラマーのスティーブ・フェローニはマッキントッシュよりもグルーブ感に長けた重量級プレーヤーで、AWBはさらに飛躍することになる。今回紹介するアルバムは、彼らの3rdアルバムとなる『カット・ザ・ケイク』。チャート的には前作と比べると振るわなかったが、アルバムの充実度は本作のほうが上で、ブリティッシュファンクのみにとどまらないAWBの都会的なソウル感覚は多くの後進グループに影響を与えた。

■AWBの結成とその影響

AWBは1971年にスコットランドからロンドンへ上京したアラン・ゴーリー(Ba&Gu)、ヘイミッシュ・スチュアート(Gu&B)、オニー・マッキンタイヤー(Gu)、マルコム・ダンカン(Sax)ロジャー・ボール(Sax)、ロビー・マッキントッシュ(Dr)の6人で結成された。当時、ファンクの元祖として人気のあったジェームス・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンを模範にしながら、彼らはイギリスのパブサーキットで徐々に力を付けていった。タワー・オブ・パワーのホーンアレンジなども取り入れながら独自の音楽を構築していく。ジョー・コッカーのバックバンドを務めていたスワンプロックバンドのグリース・バンドがファンク度を増してココモへと発展するのは間違いなくAWBの影響だろう。

余談だが、グリース・バンド〜ココモの流れは、はっぴいえんどからキャラメル・ママ〜ティンパン・アレイへの流れと、偶然ではあるがよく似ていると思う。なお、イギリスには他にもゴンザレス、バッツ・バンド、FBIなどの優れたファンクグループがあるが、それらはAWBに直接的間接的に影響されている。

■ボニー・ブラムレットと エリック・クラプトンのサポート

しかし、他のブリティッシュファンクグループと比べると、ファンクだけでなくポップソウル的な巧みな曲作り(このあたりはダニー・ハサウェイの影響か)のできるAWBが頭ひとつ抜き出ている存在であった。どういう経緯かはよく分からないが、彼らのデモテープを聴いたボニー・ブラムレット(元デラニー&ボニー)に認められ、彼女のソロデビュー作『スイート・ボニー・ブラムレット』(‘73)でリトル・フィートとともに参加することになった。そして、このアルバムでAWBのことを知った療養中のエリック・クラプトンは、自身のカムバック公演(レインボー・コンサート)のオープニング・アクトとして彼らを起用する。

そのあたりから徐々にAWBの名前が知られるようになり、MCAレコードからデビューアルバム『ショウ・ユア・ハンド』をリリースする。このアルバム、出来は悪くないのだが全く売れず、活動拠点をアメリカに移す。運良くアトランティックレコードと契約が成立し、2ndアルバム『AWB』(‘74)をリリースすると、前述のようにこのアルバムに収録された「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」が大ブレイクし、全米チャート1位を獲得する。この少し前にオリジナルメンバーで名ドラマーのロビー・マッキントッシュが亡くなるのだが、後任のスティーブ・フェローニは、マッキントッシュにも増して優れたグルーブ感を持っており、このアルバム以降AWBの音楽はパワーアップしていく。

■本作『カット・ザ・ケイク』について

本作『カット・ザ・ケイク』はAWBの3rdアルバムで、スティーブ・フェローニをメンバーに迎えた初の作品となる。収録曲は全部で10曲。まず、3本以上のギターカッティング(ゴーリー、スチュアート、マッキンタイヤー)のファンキーな絡みが素晴らしい冒頭のタイトルトラックだけでアルバムの充実度が分かる。曲の途中でベースとドラムだけになる部分では、ゴーリーとフェローニの絡みがフュージョン的なプレイを見せており、AWBがディスコ向きの音楽をやっているだけでないことがよく分かる。ダンスチャートで13位と「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」には及ばなかったが、「カット・ザ・ケイク」こそがAWBの代表曲だと考えている人は多いと思う。ヴォーカルは入っているが添え物で、ジュニア・ウォーカーの「ショットガン」やヴァン・マッコイの「ハッスル」のように、インストのほうがディスコで流行る傾向があっただけに、それを意識したのかもしれない。タワー・オブ・パワーほど緻密な組み立てではないが、それだけに黒人っぽさが際立ったナンバーだと思う。

2曲目の「スクール・ボーイ・クラッシュ」は、ミディアムテンポの泥臭いファンクで、4曲目の「グルーヴィン・ザ・ナイト・アウェイ」はタワー・オブ・パワーを意識したホーンセクションが躍動するアップテンポのナンバー。それ以外はメロディ重視のソウルナンバーで占められ、スチュアートとゴーリーの巧みなボーカルを生かした曲が多い。このあたりは、当時、頭角を表しはじめていたホール&オーツを意識したのかもしれないとも思う。アルバムのベストトラックとしては、タイトル曲を除けばレオン・ウェアの名曲カバー「イフ・アイ・エバー・ルーズ・ジス・ヘヴン」だろうか。

アルバムのプロデュースは、アレサ・フランクリン、ダニー・ハサウェイ&ロバータ・フラック、ホール&オーツ、チャカ・カーン、ノラ・ジョーンズらを手がけたアトランティックの名プロデューサー、アリフ・マーディンが担当している。

本作の後もAWBは大ヒットを連発し、82年までに11枚のオリジナルアルバムをリリース、一旦は解散するものの89年に再結成、今でも断続的に活動している。個人的には、2ndアルバムから76年の2枚組ライヴ盤『パーソン・トゥ・パーソン』までが彼らの最高の時期ではないかと思っている。

TEXT:河崎直人

アルバム『Cut The Cake』

1975年発表作品

<収録曲>

1. カット・ザ・ケイク/Cut The Cake

2. スクール・ボーイ・クラッシュ/School Boy Crush

3. イッツ・ア・ミステリー/It’s A Mystery

4. グルーヴィン・ザ・ナイト・アウェイ/Groovin’ The Night Away

5. イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン/If I Ever Lose This Heaven

6. ホワイ/Why

7. ハイ・フライン・ウーマン/High Flyin’ Woman

8. クラウディ/Cloudy

9. ハウ・スウィート・キャン・ユー・ゲット/

How Sweet Can You Get?

10. ホエン・ゼイ・ブリング・ダウン・ザ・カーテン/When They Bring Down The Curtain

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