8月19日、“スキマスイッチの音楽で笑顔と元気を”テーマにしたセレクションアルバム『スキマノハナタバ ~Smile Song Selection~』がリリースされる。収録曲は彼らの楽曲の中から“笑顔になれる曲”をテーマに選曲。このコロナ禍ではなかなか曲を書く気持ちにならなかったということだが、[今だからこそかける曲というのがあるのではないかと思い、日記のように思った事を書き留めた曲です]という、書き下ろしの新録「あけたら」も収録されている([]はスキマスイッチ公式サイトより抜粋)。というわけで、今週はスキマスイッチの1stフルアルバムである『夏雲ノイズ』をピックアップしたい。
■堂々としたメロディーライン
“スキマスイッチは才能あるアーティストだなぁ”と今言ったところで多くの人に“今頃、何言っての?”と訝しがられるのが落ちだろうが、メジャー1stフルアルバム『夏雲ノイズ』を聴いてみると、やはり“この人たちは早くからその才能を発揮していたんだなぁ”と思わざるを得ない。その優れたポップセンスについては下記で解説していくけれども、とりわけ素晴らしく思ったは、楽曲を構成する要素の塩梅である。親しみやすいが親しみやすさだけでもなく、マニアックな部分もあるにはあるがマニアックになりすぎない。そのバランスが絶妙なのである。キレのいい変化球があるから直球を活かすことができるピッチャーとか、笑える要素を散りばめているから感動的なフィナーレで大いに泣かせる映画や小説とか、そんなふうに喩えてもいいかもしれない。デビュー時からこれをやれたら、そりゃあ大衆の支持を集めるでしょう…と妙に納得してしまった。
まず『夏雲ノイズ』収録曲のメロディから見ていこう。歌の旋律は直球である。変に捻ったところがないと言ってもいいかもしれない。ロックやポップスからその枠をさらに広げて、唱歌や童謡にも近い旋律であるように思う。その分かりやすい例はM3「桜夜風」やM11「えんぴつケシゴム」だろうか。ベテランの作曲家が作ったような堂々としたメロディーラインである。老若男女、聴き手を選ばないと思わせるに十分な親しみやすさを有していると言い切っていいのではなかろうか。また、M6「ドーシタトースター」はクラシック的と言えるように思う。ピアノと歌というシンプルなサウンド構成なので、余計にそう感じるのかもしれないが、ピアノソナタの第○楽章…といった雰囲気すらある。シングルナンバーであるM3「ふれて未来を」、M4「view」、M12「奏(かなで)」のサビのキャッチーさも言うに及ばず、である。いずれも普遍的なメロディーと言っていい。どれがどうとは言わないけれども、もし〇〇〇〇や●●がカバーして、スキマスイッチのことをよく知らないリスナーがそれを聴いたとしたら、それぞれのオリジナル曲だと思ってしまうのではないか。個人的にはそう思うほどに、時代に左右されないメロディーであるような気がする。
■歌を邪魔しない絶妙なアレンジ
さて、そうした“メロディーがとても親しみやすい=汎用性がある”ということを前提として、話をサウンド面に移していこうと思う。『夏雲ノイズ』はオープニングM1「螺旋」から見事な聴かせ方をしている。ド頭から跳ねたピアノが鳴るのだ。ご存知の通りスキマスイッチは大橋卓弥(Vo)と常田真太郎(Key)から成るユニットである。M1「螺旋」のイントロはメンバーに鍵盤の弾き手がいることを示しているのは間違いなかろう。メジャーで最初のフルアルバムの1曲目から“こういうユニットです!”と自己紹介しているのである。この人たちの律儀というか、生真面目な性格が反映されているような気がする。総体的に言えばM1「螺旋」は、ブラスも入ってソウル~R&Bの匂いのするナンバー。リズム隊、とりわけ沖山優司が奏でるベースが素晴らしいうねりを見せることで、全体に強烈なグルーブ感を生んでいる。アウトロのしゃがれたサックスも生々しく、そうしたところだけ抜き出してみると、かなり泥臭いサウンドと見ることもできると思う。だが、全体の聴き応えはかなりポップに仕上がっている点がポイントだろう。
M2「ふれて未来を」も同様。基本は4つ打ちのモータウンビート(?)で、ピアノにしてもオルガンにしても鍵盤が活きたポップなサウンド。こちらもホーンセクションが入っている上、さすがにシングル曲であるからかストリングスも配されている。そのストリングスには1番から2番の間ではサイケデリックな要素も入っていたりして、これもまたそうしたところだけを抜き出せば、マニアックな音作りがされていると見ることもできるだろう。しかしながら、全体的な聴き応えとしては小難しくない。そういう聴き方をすればそう聴こえるというだけで、歌を邪魔しない絶妙なアレンジが施されているのだ(M2の方が特にその意識が強いように思われる)。スキマスイッチの音楽はロックであって、しっかりとそのマナーに則ってロック史に敬意を表しつつ、ポップスに仕上がっている。そんな言い方でもいいだろうか。まさしく《これくらいがちょうどいい》(M2「ふれて未来を」)とばかりに音楽好き、ロック好きが喜ぶ要素を実にいい塩梅で注いでいるようである。
そのM1「螺旋」とM2「ふれて未来を」とが『夏雲ノイズ』においては(楽器が多いという意味で)最も派手なサウンドである。そんなところも本作の興味深いところでもある。オープニングでキャッチーに──いわゆる“掴みはOK”にしたかったのかもしれない。M3「桜夜風」以下は抑制の効いたサウンドも散りばめられていく。M3「桜夜風」は大橋、常田の他、事務所の先輩である山崎まさよしの3人でサウンドメイキングされたミッドバラード。そういうところも含めて、前述の通り、堂々とした印象があり、1stフルアルバムにして風格すら感じさせる落ち着いたナンバーである。その一方でM4「view」はメジャーデビューシングルらしい疾走感にあふれている。極めてロック的なギターのストロークがザラっとした音作りによってさらにワイルドに仕上がっている印象で、ドラマチックなサビメロを余計に際立たせているように思う。このテイクはシングル盤とは若干アレンジを変えているとのことで、その辺にもここまで述べてきたスキマスイッチのサウンド、そのバランス感覚がありそうだ。
■ウィットとリスペクト
M5「きみがいいなら」はやわらかなメロディーでコーラスもさわやかな雰囲気だが、リズムが硬質なロッカバラード風。M6「ドーシタトースター」は前述の通り、ピアノソナタ的な綺麗めなナンバー。いずれも音数は少ないものの、しっかりと楽曲の世界観が構築されている印象が強い。パーカッシブで情熱的ラテンフレイバーのファンクチューン、M7「君の話〜エヴォリューションMix〜」。ボサノヴァタッチというかカントリー調というか…な、速すぎず遅すぎない絶妙なテンポのポップチューンM8「僕の話」。この2曲も、件の“いい塩梅”な楽曲である。M7もM8も“これだ!”と明確にジャンル分けできるとタイプではないものの、いずれも楽曲を構成する要素がそれぞれにおいてなくてはならないものとなっているのは間違いない。各々にある要素のどれかの分量が増えたり減ったりするだけで、おそらく楽曲全体の雰囲気は大分変わるだろう。ここでも巧みなバランス感覚が発揮されているように思えるのだ。M7、M8について言えば、これを連続するユーモアセンスは決して見逃してはいけないところでもある。斉藤和義の3rdアルバム『WONDERFUL FISH』(1995年)にも「走って行こう」の次が「歩いて帰ろう」なんてことがあったが、ロック、ポップスにはこういうウィットに富んだ面も必要不可欠だろう(そこでもその分量は大事なところで、コミックバンドにならない程度の節度は必要だろう)。どちらの曲にも山本拓夫の吹くフルートがフィーチャーされていて、組曲風になっているのも心憎い。
以降、アルバムはM9「種を蒔く人」、M10「キミドリ色の世界」、M11「えんぴつケシゴム〜overture〜」と続いていくのだが、そのいずれの楽曲もそこはかとなくThe Beatlesを感じさせるのは気のせいだろうか。“そこはかとなく”というのがポイント。“ここは「Strawberry Fields Forever」みたいでしょ? あそこは「Penny Lane」っぽいでしょ?”という感じではなく、その雰囲気をさりげなく感じさせるのである。M9とM10は中期のサイケデリックロックの香りを、これもまた過度、華美ではなくあしらっている印象だし、M11の後半の合唱部分は世界中の多くのアーティストが参考にしたであろう「All You Need Is Love」の空気感がある。彼らもまたThe Beatlesへのリスペクトを公言しているアーティストであること知ったからこそ、余計にそう感じるのかもしれないが、そう思ってしまうとその想像を禁じ得ないThe Beatles感ではないかと思う。
アルバムのフィナーレを飾るM13「奏(かなで)」は、2ndシングルとしてロングセールスを記録し、今に至るまで数多くのアーティストにカバーされたスキマスイッチの代表曲のひとつ。初出から15年以上経った今聴いても古びた感じがない、エバーグリーンな輝きを持ったサビのメロディーが秀でた申し分ないナンバーなのだが、ここでもスキマスイッチのバランス感覚がうかがえる。注目はCメロ。《突然ふいに鳴り響くベルの音》から《君がどこに行ったって僕の声で守るよ》のパートである。ここで大橋はソウルフルなボーカリゼーションを見せており、わりと熱唱と言うべきパフォーマンスを披露しているのだが、そこがとてもいいアクセントになっているように思う。ここもまたこのくらいの熱さで、Cメロくらいの分量がちょうどいい。こうした歌い方が多くなると熱すぎて“いす×のトラ×ク”っぽくなるだろうし、楽曲内でこうした歌い方が多いと泥臭くなるだろう。最後の最後まで、どこまで意識的だったか分からないが、徹頭徹尾、いい塩梅なのである。
■恋愛から派生した想いのリアリティー
歌詞も実にバランスがいいように思う。代表曲のひとつであるM13「奏(かなで)」で以下のように歌っているのだから、スキマスイッチというユニットは主に恋愛から派生する想いをメロディーに乗せていると思われがちではなかろうか。
《抑えきれない思いをこの声に乗せて/遠く君の街へ届けよう/たとえばそれがこんな歌だったら/僕らは何処にいたとしてもつながっていける》(M13「奏(かなで)」)。
いや、それはそれで間違いではないのだろうが、決してスウィートなだけではないところが、歌詞の面では彼らの特徴であるような気がする。何しろM1「螺旋」からこんな歌詞である。
《どこで間違っていったんだろう/何でなんだ 壊れてゆく/どこですれ違っていったんだろう/何でなんだ 壊れてゆく》《どこで間違っていったんだろう/わかってたなら…あぁ…/なんでこんなに君が溢れ出してる/愛ってなんだ? わかるもんか》(M1「螺旋」)。
冒頭からいきなり《わかるもんか》とはなかなかの突き放し方である。アーティストは教祖でもないわけだから、むしろこのくらいの方が、個人的には好感が持てる。極めつけはM5「きみがいいなら」だろう。こんな歌詞である。
《君は僕の名前を呼んで 僕は君の名前を叫ぶ/邪魔する人がもしもいるなら 僕に言ってよ/頼むから》《君が言うなら/人だって刺せるよ/君が言うなら》《全てのことから君を見守るよ/たくさんの目や耳を使って》《君がいいなら/僕はずっと君のもの/君はずっと僕のもの/君がいいなら/君は、いいよね?》(M5「きみがいいなら」)。
『夏雲ノイズ』収録曲の歌詞は別れ歌、しかも意気地のない様子を生々しく綴ったものが多い気がするが、「きみがいいなら」はその中でも度がすぎた描写といった感じだ。誤解を恐れずに言うなら、ストーカー、サイコパスの言い分である。前述の通り、メロディーがさわやかなのでパッと聴きにはそんな感じないけれど、硬質なリズムが狂気のはらんださまを象徴しているようでもある。激辛とも言える味付けだが、そのビリっとするようなアクセントがあるかないかで『夏雲ノイズ』というアルバム、ひいてはスキマスイッチの印象はがらりと変わってくるような気がする。個人的にはスウィートなラブソングだけでなく、こうした狂気がちらりと顔を覗かせるところにリアリティーがあると思うし、スキマスイッチを信頼できるアーティストに認定できる要素であるように思うのだ。おそらく多くのファンも(はっきりと明言できないまでも)そう思っているのではなかろうか。
スキマスイッチはメジャーデビュー後、早くから多くのリスナーの支持を集めたが、その作品がチャート上位にランクされたのは、このアルバム『夏雲ノイズ』が初である。『夏雲ノイズ』はチャート2位。それ以前のシングルは「view」68位、「奏(かなで)」22位、「ふれて未来を」25位。2003年9月にリリースしたミニアルバム『君の話』にしても30位で、フルアルバムで跳ねたユニットなのである。これは、優れた一曲だけでなく、さまざまな要素がバランス良く混ざり合ったアルバムこそがスキマスイッチの本質を示すことができるものであり、リスナーがそれを認めた結果だったのではなかろうか。『夏雲ノイズ』を聴いてそんなふうに思った。
TEXT:帆苅智之
アルバム『夏雲ノイズ』
2004年発表作品
<収録曲>
1.螺旋
2.ふれて未来を
3.桜夜風
4.view
5.きみがいいなら
6.ドーシタトースター
7.君の話〜エヴォリューションMix〜
8.僕の話
9.種を蒔く人
10.キミドリ色の世界
11.えんぴつケシゴム〜overture〜
12.奏(かなで)
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