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潜在的なオルタナティブ性が開花したトム・ウェイツ中期の傑作『レイン・ドッグ』

トム・ウェイツは異色のシンガーソングライターとして1973年に名作『クロージング・タイム』でアサイラムレコードからひっそりとデビューした。レーベルメイトのイーグルスが彼の初期の名曲「オール‘55」を3rdアルバム『オン・ザ・ボーダー』(’74)でカバーしたことで、その存在は広く知られることになる。1980年までにアサイラムから7枚のアルバムをリリースするも商業的な人気は得られなかったが、ミュージシャンズ・ミュージシャンとして音楽業界では大きな支持を集める。今回取り上げる『レイン・ドッグ』はアイランドレコードに移籍しての2作目にあたり、彼がニューヨークに移住してからリリースした初のアルバムだ。ジョン・ルーリーやマーク・リボーといったニューヨークのオルタナティブジャズ(当時はフェイクジャズとかパンクジャズと呼ばれていた)のアーティストたちが参加、創造性に満ちたオルタナティブな傑作である。

■芝居がかったスタイルが本物に…

70年代初期のSSW系アーティストの特徴と言えば、ジーンズ&Tシャツに代表される“飾らない普通の振る舞い”であった。ところが、トム・ウェイツは場末のバーで酔っ払いながらタバコをくゆらせピアノに向かうという不健康なイメージが売りで、とにかく芝居がかっていた。彼のデビューアルバム『クロージング・タイム』のジャケットが当時の彼の全てを物語っており、77年の初来日時は彼の役者のような振る舞いがSSWファンの失笑を買うこともあった。

それが彼の計算だったのかどうか確かめる術はないが、70年代後半にはシルヴェスター・スタローンの監督デビュー作『パラダイス・アレイ』(‘78)にチョイ役で出演、80年代に入ると俳優としてもジム・ジャームッシュ作品を中心に頭角を表すようになる。

■大きな転機となるサウンドトラック制作

アサイラムでの最後のアルバム『ハート・アタック・アンド・ヴァイン』(‘80)に収録された「オン・ザ・ニッケル」は、80年に公開された同名映画のタイトル曲で、ウェイツはこの映画のために他にも4曲を書き下ろしている。『オン・ザ・ニッケル』はインディーズ映画ということもあり公開はすぐに打ち切られるものの、後にはカルト的な扱いとなり復刻、現在はブルーレイでもリリースされている。これがひとつのきっかけで、映画『ゴッドファーザー』で知られるフランシス・フォード・コッポラ監督から『ワン・フロム・ザ・ハート』(’82)の音楽を依頼され、このことがウェイツの音楽を大きく変革させることになる。

コッポラ監督はウェイツの『異国の出来事(原題:Foreign Affairs)』(‘77)に収録されたベット・ミドラーとのデュエット「アイ・ネバー・トゥ・ストレンジャーズ」を聴き、『ワン・フロム・ザ・ハート』で再現したかったようだ。この映画のサウンドトラックでウェイツの相手歌手には、大物カントリーシンガー、ロレッタ・リンの妹でポップ・カントリーのクリスタル・ゲイルが選ばれた。ウェイツが書いたオリジナルの楽曲自体は王道の映画音楽に仕上がっており、関係筋からは大きな評価を受けている。82年のグラミー賞ではオリジナル楽曲賞にノミネートされるなど、彼の名は一躍世間に知られることとなった。

この映画の現場で知り合ったのが、後のウェイツの伴侶となるキャスリーン・ブレナン。彼女はこの映画のシナリオ編集をしていた。彼女はまた音楽マニアでもあり、ブルースから現代音楽に至るまでジャンルを問わず造詣が深かったようだ。彼女の豊富な知識と卓見による助言で、ウェイツの音楽はこれ以降、変わっていくことになるのである。

ちなみに、前述の『異国の出来事』の表ジャケットには男女ふたりがぼんやりと写っている。男性はもちろんウェイツで、女性は当時ウェイツと付き合っていたリッキー・リー・ジョーンズ(デビュー前)である。

■アサイラムからアイランドへの移籍

『ワン・フロム・ザ・ハート』で王道の映画音楽を創作し、キャスリーンとの出会いと結婚など、音楽だけでなく人生の転機を迎えたウェイツは、次作『ソードフィッシュ・トロンボーン』(‘83)を初のセルフプロデュース作品として録音する。これまでとはまったく違うその実験的な内容に、いわばSSW系レーベルのアサイラム側はリリースに難色を示し、ウェイツとの関係は終わりを迎える。この作品でウェイツはワールドミュージック、実験音楽、断片的素材などをコラージュのように散りばめ、それまでの“酔いどれピアノ弾き”というイメージを一新、まるで現代音楽家ともいうべきスタイルでアイランドレコードから再デビュー(と言ってもよいだろう)を果たす。

■本作『レイン・ドッグ』について

そして、『ソードフィッシュ・トロンボーン』をリリース後、彼の音楽的スタンスに近いニューヨークに移住、新作『レイン・ドッグ』のレコーディングがスタートする。

バックを務めるのはラウンジ・リザーズのジョン・ルーリー、マーク・リボーをはじめ、ウェイツの音楽を愛するローリング・ストーンズのキース・リチャーズ、イギリスきっての名ギタリストであるクリス・スペディング、ホール&オーツのバックを務めるG.E・スミスとミッキー・カリー、ルー・リードのバックでお馴染みのロバート・クワイン、ニューヨークの最先端ミュージシャンであるボビー・プレヴィット、キング・クリムゾンやピーター・ガブリエルのバックメンとして知られるトニー・レヴィンなど、豪華なメンバーが参加している。

中でも、このアルバムで世界的に知られることになるマーク・リボーのアバンギャルドなギターワークは、ウェイツの狙いを100パーセント表現しているといっても過言ではなく、リボーとマイケル・ブレアのふたりは本作を聴いたエルビス・コステロに請われ、彼のバックメンとしても活躍する。

収録曲は全部で19曲、「ハング・ダウン・ユア・ヘッド」のみ妻のキャスリーン・ブレナンと共作、他は全てウェイツのオリジナル曲。アルバムの構図は前作と似ていて、断片的な素材や実験的な小品をコラージュ的に配置している。違うのは「ハング・ダウン・ユア・ヘッド」「タイム」「ダウンタウン・トレイン」といったアサイラム時代を彷彿させるキャッチーなナンバーが収められているところだろうか。また、「ジョッキー・フル・オブ・バーボン」と「タンゴ(原題:Tango Till They’re Sore)」の2曲は、ジャームッシュのスタイリッシュな映画『ダウン・バイ・ロー』(‘86)のサントラにも収録されており、この映画はウェイツとジョン・ルーリーが主演を務めている。

本作で一番知られているだろう「ダウンタウン・トレイン」にリボーは参加しておらず、G.E・スミスとロバート・クワインがギター、トニー・レヴィン(Ba)、ミッキー・カリー(Dr)、ロビー・キルゴア(Key)、マイケル・ブレア(Per)という面子でのレコーディングだ。ちなみにこの曲が知られている理由は、89年にロッド・スチュワートがカバーし世界的に大ヒットしたからである。

アサイラム時代の作品では『クロージング・タイム』と『土曜日の夜(原題:The Heart Of Saturday Night)』(’74)の2枚の出来が傑出していると僕は思うが、80年代のウェイツの傑作と言えば、本作が一番に挙げられるのではないだろうか。

TEXT:河崎直人

アルバム『Rain Dogs』

1985年発表作品

<収録曲>

1. シンガポール/Singapore

2. クラップ・ハンズ/Clap Hands

3. セメタリー・ポルカ/Cemetery Polka

4. ジョッキー・フル・オブ・バーボン/Jockey Full of Bourbon

5. タンゴ/Tango Till They’re Sore

6. ビッグ・ブラック・マリア/Big Black Mariah

7. ダイヤモンド&ゴールド/Diamonds & Gol

8. ハング・ダウン・ユア・ヘッド/Hang Down Your Head

9. タイム/Tim

10. レイン・ドッグ/Rain Dogs

11. ミッドタウン/Midtown

12. ナインス&ヘネピン/9th & Hennepi

13. ガン・ストリート・ガール/Gun Street Girl

14. ユニオン・スクウェアー/Union Square

15. ブラインド・ラブ/Blind Love

16. ウォーキング・スパニッシュ/Walking Spanish

17. ダウンタウン・トレイン/Downtown Train

18. ブライド・オブ・レイン・ドッグ/Bride of Rain Dog

19. レイ・マイ・ヘッド/Anywhere I Lay My Head

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