ムーンライダーズの鈴木慶一と有頂天のKERAとによるユニット・No Lie-Senseの3rdアルバム『駄々録〜Dadalogue』が7月29日にリリースされたということで、今回は鈴木慶一のソロとしてのキャリアのスタート地点と言える、鈴木慶一とムーンライダーズの『火の玉ボーイ』を取り上げてみた。下記でつらつらと書いてみたが、音源を聴けば聴くほど、そして鈴木慶一というアーティストについて書けば書くほど、氏がいかに偉大な音楽家であるか、しみじみと感じてしまった今週である。
■鈴木慶一という音楽の巨人
『ミュージック○○○○』や『レコード●●●●●●』を愛読するような音楽ファンは、当たり前のこととして鈴木慶一を“音楽シーンの巨人”として語りがちだ。いや、それは本当のことだからそう語るのは当然だし、本稿もそんな出だしでいこうとさっきまで考えていたのだけれど、“ちょっと待てよ”と冷静になって考えみた。音楽ファン以外で鈴木慶一と聞いて“あぁ、あの人ね”と即座に反応する人はどの程度いるだろうか。特定のアーティストや特定のジャンルだけを好んで聴くようなライトユーザーにその範囲を広げてみても、ピンとくる人は案外少ないような気がする。鈴木慶一と聞いて“ムーンライダーズのリーダー”と思うような人はわりと音楽好きに限定されるだろうし、“はちみつぱい”の名前が思い浮かぶとなると、それは相当な音楽愛好家であろう。
だからと言って、本稿は鈴木慶一を貶めるものでないことを予めお断りしておくが、氏と同世代…というか、同時期に本格的に音楽活動を始めたアーティストたちと比較すると、そのコントラストがはっきりするように思う。例えば、鈴木慶一がはちみつぱいを結成した1970年にバンド名を改名したはっぴいえんど。はっぴいえんど自体を知らなくとも、大滝詠一や細野晴臣らが在籍していたバンドと聞けばピンとくる人もいるだろうし、仮にはっぴいえんども大滝も細野も知らずとも、松田聖子のヒット曲を手掛けた…と言えば“あぁ〜”となる人もいるだろう。はちみつぱいと同時期に音楽活動をスタートしたシュガー・ベイブについても、それと似たようなところがある気がする。シュガー・ベイブを知らなくても、山下達郎と大貫妙子が在籍していたバンドと説明すれば多くの人が“へぇ、そうなの!?”くらいの反応は出るはずだ。しかしながら、鈴木慶一の場合、それらとは若干趣が異なるように思う。
端的に言えば、ソロにしても、バンドにしても、ユニットにしても、誰もが知るようなヒット曲がないということになる。ここでもう一度言うが、だからと言って、氏が上記アーティストと比べてどうだとかと言いたいのではない。鈴木慶一を軽んじる気持ちはさらさらない。むしろ逆である。はちみつぱいと言っても、今は“何それ? 美味しそう!”といった反応が出ても何ら不思議ではない中、そのはちみつぱいの結成から50余年。誰もが知るようなヒット曲がないにも関わらず、ソロは基より、バンド、各種ユニットで現在まで途切れることなく活動を継続しているというのは、これは偉業と言うべきだろう。
■劇伴やプロデュース作も多数
氏の場合は自身の音源制作に留まらず、劇伴も手掛けている。鈴木慶一や、はちみつぱい、ムーンライダーズにピンとこない人も、氏が劇伴で参加した作品を知れば“あっ!”となると思う。最も有名と思われるのは北野映画。2003年公開の『座頭市』で国内外の映画賞において音楽賞を獲得しているし、『アウトレイジ』三部作(2010年、2012年、2017年)や『龍三と七人の子分たち(2015年)の音楽も鈴木慶一が手掛けている。平成初期にはゲーム音楽も担当している。糸井重里がゲームデザインを手掛けた『MOTHER』(1989年)、『MOTHER2 ギーグの逆襲』(1994年)がそれである。ともに音楽が重要な要素を占めた作品であり、それぞれが今もなおファミコン、スーパーファミコンの名作RPGと言われているのは氏の力は少なくなかったと思われる。
さらに音楽プロデューサーとしても数多くのアーティストの作品を世に送り出していることも忘れてはならない。野宮真貴、杏里、ISSAY、渡辺美奈代、桐島かれん、cali≠gariらの作品をプロデュース。最も有名なところは原田知世だろうか。彼女のアルバム『GARDEN』(1992年)、『Egg Shell』(1995年)、『clover』(1996年)が氏が手掛けたものだ。この三部作は原田知世がアイドル女優から本格派シンガーへと進化するにあたって重要な作品であり、シンガー・原田知世にとって鈴木慶一は相当に大きな存在であったことは間違いない。
ここで話を鈴木慶一自身の活動に戻すが、そうした他者作品への参加に加えて、氏はさまざまなバンド、ユニットを結成してきた。バンドは、本稿冒頭から何度も話に差し込んだ、はちみつぱい(1971年頃結成)、ムーンライダーズ(1975年結成)がそうだし、ユニットとしては高橋幸宏とのコンビによるTHE BEATNIK(1981年結成)をはじめ、実弟の鈴木博文とのTHE SUZUKI、矢野顕子、大貫妙子、奥田民生、宮沢和史とのBeautiful Songs、PANTAとのP.K.O.、ケラリーノ・サンドロヴィッチ=KERAとはNo Lie Senseの他、秩父山バンドを組んでいるなど、本当に数多くのアーティストとコラボレーションを重ねている。ムーンライダーズは活動休止中で現在、氏のバンドとしての動きはないものの、2018年にTHE BEATNIKで5thアルバム『EXITENTIALIST A XIE XIE』を発表。そして、2020年7月にNo Lie Senseが3rdアルバム『駄々録~Dadalogue』をリリースしたのは前述の通りで、まだまだ現役なのはもちろんのこと、いくつかのプロジェクトを(五月雨式ではあるが)同時進行させているのである。
…と、ここまで書けば、鈴木慶一の名前を聞いてピンとこない方でも、氏の音楽に対する熱量やシーンにおける功績を少しは分かっていただけると思う。これだけの活動を50年以上に渡って継続しているだけでも相当にすごいことである。バンド、ユニット、プロデュース、他者作品への参加と変化自在なスタイルは、それだけ氏を欲する人たちが絶えない証左であろう。確かに誰もが知るようなヒット曲に恵まれたわけではないけれども、それは逆に言えば、変に大衆に迎合してこなかったからでもあると考えられるし、それでいてメジャーシーンに居続けているというのは、どう考えてもすごいことだと言わざるを得ない。鈴木慶一は“音楽シーンの巨人”である。今日はこれだけでも覚えて帰ってほしい。
■ティン・パン・アレイも参加
思わず熱くなってつらつらと長く書いてしまった。ここからようやく本題。アルバム『火の玉ボーイ』について記す。本作は“鈴木慶一とムーンライダーズ”名義となっているが、実質的には鈴木慶一のソロワークである。これはファンの間では有名な話で、鈴木氏自身はソロアルバムのつもりで作っていたところ、発売されたレコードの名義が“鈴木慶一とムーンライダーズ”で愕然となったと、のちに本人が述懐している。まだまだアーティスト主導に程遠い時代だったのである。本作がソロ作だったというのは、今、収録曲のクレジットを見るだけでも分かる。ムーンライダーズ編曲だけでなく、鈴木慶一編曲のナンバーもあるし、タイトルチューンのM4「火の玉ボーイ」はティン・パン・アレイの編曲だったりする。参加ミュージシャンも当然と言うべきか、ムーンライダーズのメンバーが多いものの、当時のメンバーが全員参加しているのは半分くらいで、残りは精々その2~3人が参加している程度。これまたタイトルチューンに関して言えば、武川雅寛(Vn)がひとりコーラスに加わっているだけだ。完全にバンドで作り上げた作品ではないだけに、そう考えると“鈴木慶一とムーンライダーズ”名義にしたのも納得できそうな気もするが…(※註:ここまでムーンライダー“ス”とムーンライダー“ズ”が混在しているが、誤字ではない。『火の玉ボーイ』では実際にそう表記されていたからで、ややこしいけれども、“鈴木慶一とムーンライダーズ”は原盤に則してムーンライダー“ス”とした)。
肝心のアルバムの内容を以下、ザッと解説していこう。グレンミラー風のピアノイントロから始まるM1「あの娘のラブレター」はロックチューン。跳ねるピアノ、ホーンセクションが全体に躍動感を与えているのもいい感じで、間奏に入るVeto GalatiのラジオDJも実にカッコ良い。M2「スカンピン」は、はちみつぱい時代に存在しているリフをもとに作り上げたというミッドバラード。イントロで主旋律を奏でるシタールや、スペクター風に鳴るドラムにこだわりが垣間見える。M3「酔いどれダンス・ミュージック」は、はちみつぱいのシングル「君と旅行鞄(トランク)」のB面だった同曲のセルフカバーだ。Aメロの頭からヴォーカルのファルセットが飛び出すソウルフルなファンクナンバー。アウトロで鳴るバイオリンがいかにもアメリカンな雰囲気を醸し出しつつ、エンディングではさまざまな和楽器が鳴り、不思議な感じで締め括られる。
M4「火の玉ボーイ」は問答無用のブルースナンバーである。ギターと鍵盤の流麗なプレイ、リズム隊のグルーブ、ブラスアレンジ、コーラス──どれをこれも震えるほどに素晴らしい。タイトルの“火の玉ボーイ”とは、この楽曲でベースを弾いている細野晴臣氏のことだそうで、だとすると《真夜中のスタジオで/あいつを見つけたら/サーチライトあてて 火の玉ボーイ/疲れた顔して去ってゆく/夜明けのほうへ》とのフレーズにはユーモアが感じられ、当時の細野氏の仕事っぷりを鈴木氏がどう見ていたのかも偲ばれて楽しいところでもある。M5「午後のレディ」はジャジーな鍵盤とウッドベースが印象的な洒落たナンバー。背後でずっと鳴っているバイオリンがポップさを与えているような気もする。A面はここまで。ちなみにA面=Side Aは“City Boy Side”なる呼称が付いていたが、それも納得の空気感である。
■作曲家、歌手としてのすごさ
“Harbour Boy Side”と名付けられたSide B =B面は、M6「地中海地方の天気予報~ラム亭のママ」からスタート。ゆったりとした「地中海地方~」からスパニッシュな「ラム亭~」につながっていく組曲的な作りが興味深く、楽しい印象だ。M 7「ウェディング・ソング」は、これまたピアノとウッドベースが目立つジャジーな楽曲。ムーンライダーズのメンバーである岡田徹(Key)の作曲で、《月のカタバルトに乗せて 巡るかしら》といったフレーズが印象的な歌詞も鈴木氏と岡田氏で作っていったという。M8「魅惑の港」はポップなロックチューンと言ったらいいだろうか。イントロからサイケデリックな音が聴こえてくるが、歌詞にもそんな言葉があるようなので、アシッドな感じは意識的だったのだろう。メロディがリスナーの想像を超えて進んでいくような印象もあるけれども、現在、KERAと組んでNo Lie Senseをやっていることを考えると、その原型というわけでもなかろうが、何か妙に納得させられてしまうようなところがある。
M9「髭と口紅とバルコニー」はカントリーロック調のサウンドではあるものの、メロディーは和風──誤解を恐れずに言えば、戦後の流行歌のような味わいがある。鈴木慶一というアーティストの本質には、ポピュラリティー、親しみやすさがあることをうかがわせるナンバーでもあろう。フィナーレであるM10「ラム亭のテーマ~ホタルの光」は、M6の「ラム亭のママ」の本来のテンポに誰もが知る「ホタルの光」をつなげてある。誰もが知る…と言っても、レトロチックな面白いエフェクトがかかっていて、これも誤解を恐れずに言えば、何か奇妙な感じで終わる。
本当にザッと解説してしまったけれど、このアルバムは細かい部分を指摘していくとキリがないところがある。例えば、M2「スカンピン」の後半でゲップしている音が聴こえるがそれは鈴木氏のものだとか、M9「髭と口紅とバルコニー」では“この曲にはこの人の声が合う”ということで斉藤哲夫、南佳孝にコーラス参加を依頼したとか、そんな具合だ。この辺は『火の玉ボーイ』のリイシューのライナーノートに詳しく、どんなシンセを使ったとか、効果音をどうやって作ったとか、それこそどんなふうに作曲したのかとかも、鈴木氏本人が解説しているので、興味を持った人はそちらをお読みいただけたらと思う。この駄文の何倍も音源を楽しく聴けるガイドである。なので、細かいところはそちらに譲るとして、今回『火の玉ボーイ』を聴いて気づいた点を最後に少し触れて本稿を締め括りたい。
それは──改めて言うことではないのかもしれないけれど、日本的なメロディーと、鈴木慶一の歌のうまさである。メロディーに関しては、上記のM9「髭と口紅とバルコニー」でも指摘したが、M2「スカンピン」やM3「酔いどれダンス・ミュージック」もそうで、そののちに鈴木氏がクレイジーキャッツなどへのリスペクトを公言したこともよく分かるというか、ここでも原型を見る想いである。歌のうまさについては全編がそうなのだけど、白眉はM6-1「地中海地方の天気予報」だろう。低音からハイトーン、ファルセットまで、様々な表情のヴォイスパフォーマンスをこなしている様子は天晴れと言うべき代物だろう。このコラムの冒頭で氏のさまざまな活動を紹介したように、鈴木慶一は多彩な才能を発揮している音楽家ではあるのだが、そもそもソングライターとして、シンガーとしての能力が半端ない人であることがよく分かる。『火の玉ボーイ』は鈴木慶一のデビュー盤にして、その天賦の才を満天下に知らしめた作品と見ることもできるだろう。
TEXT:帆苅智之
アルバム『火の玉ボーイ』
1976年発表作品
<収録曲>
1. あの娘のラブレター
2. スカンピン
3. 酔いどれダンス・ミュージック
4. 火の玉ボーイ
5. 午後のレディ
6-1. 地中海地方の天気予報
6-2. ラム亭のママ
7. ウェディング・ソング
8. 魅惑の港
9. 髭と口紅とバルコニー
10. ラム亭のテーマ~ホタルの光
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