シンガーソングライター系のアーティストが脚光を浴びた70年代初頭、その内省的な作風と繊細そうな風貌から多くのリスナーを惹きつけたのがジャクソン・ブラウンである。彼は新興レーベルのアサイラムから72年にデビュー、3作目の『レイト・フォー・ザ・スカイ』(‘74)は滋味あふれる仕上がりで、完璧とも言えるSSW系サウンドを完成させている。リリースされてから半世紀近くになるが、今でもアルバム全曲、歌詞を見ずに歌える人も少なくないだろう。パンクとAOR/フュージョンが一世を風靡する70年代中頃になっても、彼の作風はデビュー時とさほど変わることはなかったが、ブルース・スプリングスティーンをスターにしたことで知られるジョン・ランドウにプロデュースを任せた4作目の『プリテンダー』(’76)は、豪華なサポートミュージシャンを起用して重厚かつ奥深いサウンドに仕上げている。このアルバムは全米チャートで5位まで上昇、彼のそれまでのキャリアでもっとも成功した作品となった。そして、本作『孤独なランナー(原題:Running On Empty)』は彼の5作目となるアルバムであり、ライヴ盤にもかかわらず全曲新曲ばかりを収録した異色の作品ではあるのだが、『プリテンダー』を上回る好セールスを記録した。
■研ぎ澄まされた神聖さを感じるサウンド
先日、アメリカのテレビドラマ(タイトルは失念)を何気なしに観ていると、ブラウンの代表曲のひとつ「ロック・ミー・オン・ザ・ウォーター」がラジオでかかり、それを聴いていた50歳代(と思われる)の女性が自分の20歳代の子どもに「私たちの青春そのものの曲よ」と語りかけていたシーンがあった。ドラマでこの台詞を言わせるということは、当時のアメリカで多くの人に影響を与えたのだろう。「ロック・ミー・オン・ザ・ウォーター」は彼のデビューアルバムに収められておりシングルカットもされているが、チャートでは48位にとどまっている。このシーンを観て、僕はチャート位置と人に与える影響度とは全く別物だということを再認識したのである。ブラウンの音作りには、研ぎ澄まされた純粋さのようなものが感じられるので、リスナーの心に強く残るのだろう。
2ndアルバムの『フォー・エブリマン』(‘73)の中にも、彼が16歳の時に書いた名曲「ジーズ・デイズ」やメドレー仕立ての巧みなアレンジが光る「シング・マイ・ソング・トゥ・ミー」〜「フォー・エブリマン」などに神聖さが滲み出ている。3rdアルバムの『レイト・フォー・ザ・スカイ』(’74)は、少人数のバンドサウンドを中心にしていて、ロックンロールをやっても「レイト・フォー・ザ・スカイ」や「ビフォー・ザ・デリュージ」の神聖な印象が強く感じられ、アルバム全編に重々しい統一感が醸し出されている。リスナーにとっては、その生真面目そうな音楽性が彼の人間性とダブって見え、惹き込まれるのかもしれない。
■『プリテンダー』ツアーでの初来日公演
1977年3月、『プリテンダー』のツアーでジャクソン・ブラウンは初来日公演を行なっている。僕は最終日の大阪公演に行った。ツアーメンバーにはデイブ・メイソンの『デイヴ・メイソン・イズ・アライヴ!』(‘73)で最高のキーボードを聴かせていたマーク・ジョーダンや、60年代中頃にラス・カンケルとシングス・トゥ・カムというサイケデリックロックのグループをやっていたベーシストのブライアン・ギャロファロらが来ていたので少し興奮気味であった。コンサート自体は、彼のファンなら誰もが納得できる選曲で演奏も素晴らしかった(特に、デビッド・リンドレーのギターワーク)のだが、ブラウンに関してはライヴを観るよりも個人的にはひとりでレコードを聴くほうが合っていると思った。だから、これ以降は彼のコンサートに行っていない。
余談だが、まだコンサートが始まる前、僕が座っていた席の真ん前に、外国人の女性に連れられた小さいよちよち歩きの男の子がしばらく立っていたのだが、それがのちにブラウンの妻となるリン・スウィーニーと先妻フィリスの息子のイーサンであることはすぐに分かった。アーティストの関係者が普通に客席をうろうろしているのは珍しいことなので、かなり前のことだがはっきりと覚えている。
■『プリテンダー』の深い味わい
『プリテンダー』はジョン・ランドウにプロデュースを任せ、豪華なバックメンバーを起用していることもあり、サウンド面や彼のソングライティングは充実し、メリハリのある秀作に仕上がっている。ローウェル・ジョージの絶品のコーラスと味わい深いスライドが聴ける「ユア・ブライト・ベイビー・ブルース」をはじめ名曲揃いで、このアルバムも彼を代表する名盤だと言える。妻フィリスの死(自殺。事故の可能性もある)や子供(イーサン)を持つことでブラウンの人間を見つめる眼差しがより深く繊細になったのは間違いない。
■本作『孤独なランナー』について
『プリテンダー』のヒットを受けて新作はライヴ盤ということになったようだが、緻密なまでに制作されたこれまでの楽曲をライヴで再演するだけでは意味がないと考えたのか、結局は“ミュージシャンの旅の物語”をモチーフにライヴで披露した新曲(カバーもあり)を収録することに決定した。といっても、実際には全10曲のうち「孤独なランナー(原題:Running On Empty)」「ユー・ラブ・ザ・サンダー」「ラブ・ニーズ・ア・ハート」「ザ・ロード・アウト」〜「ステイ」の5曲がライヴ収録で、ダニー・オキーフの名曲「ザ・ロード」は前半がホテルの部屋での録音、ドラムが入ってからはライヴ演奏で、両者を編集している。ブルースのカバー「コカイン」とダニー・クーチが書いた「シェイキー・タウン」はホテルの部屋、「ロージー」はリハーサルルーム、「時に願いを(原題:Nothing But Time)」はツアーバスの中で録音されている。なお、「ロージー」でブラウンと共作しているドナルド・ミラー、「時に願いを」を共作しているハワード・バークは、どちらもブラウンのツアースタッフである。
バックを務めるメンバーはブラウンの大切なパートナーでラップスティール、フィドル、バンジョー等の名手デビッド・リンドレーと、アメリカを代表するスタジオミュージシャンチームのザ・セクション(リー・スクラー、クレイグ・ダーギ、ラス・カンケル、ダニー・クーチ)で、痒い所に手が届くような秀逸な演奏を聴かせる。彼らとはブラウンがデビュー時からの付き合いなので、アルバムのコンセプト的にも気心が知れているメンバーであることは重要だったと思われる。
また、バックヴォーカルには、ローズマリー・バトラー(このアルバムで一般に名前が知られ、角川映画『汚れた英雄』(‘82)のテーマ曲でリードヴォーカルを務める。11週連続でオリコン1位)と、『レイト・フォー・ザ・スカイ』でベース&コーラスを務めたダグ・ヘイウッド(ソロ・アルバムもリリースしている)が参加している。
本作はこれまでのアルバムとは違って、ブラウン自身の曲作りよりも歌うこと(コーラスも含め)とバンドのアンサンブルに重きを置いているようだ。だから、自作ということにとらわれず、カバー曲も取り上げているのだと思う。アルバムのコンセプトが“ミュージシャンの旅の物語”なので、曲作りというよりは自分とツアーメンバーの関係性をドキュメントすることが重要となる。
収録曲はどれも秀逸で素晴らしく、いつもの音作りと比べると、よりロックを感じる力強さみたいなものが加わっている。一曲目の「孤独なランナー」でガツンとワイルドに攻め、それが後半になるにしたがってジワジワと染みてくるような曲の配置がなされている。最後からひとつ前の「ザ・ロード・アウト」では、いつものブラウンらしい繊細さを聴かせながら、切れ目なく続くポップスのカバー「ステイ」では、これまでにないユーモアたっぷりのサウンドで締め括られるのであるが、その部分は何度聴いても鳥肌ものである。この曲でのバトラーの力強い歌声とリンドレー(子供のようなファルセット)のヴォーカルは微笑ましくもあり、ブラウンにとって、バンドやスタッフが悲しい日常(例えばフィリスの死)を忘れさせてくれる存在なのだということを、本作を通して表現しようとしたのではないか。
残念なことに、ブラウンが生み出した傑作はここまでの5枚で、80年にリリースされた『ホールド・アウト』は全米1位となるものの、それまでのブラウンが好きだったファンはその出来に納得できないまま、離れていくことになるのである。時代はデジタル時代に突入し、テクノ、ニューウェイヴ、ディスコ音楽が主流になっていき、SSW系の音楽はしばらく忘れられるのである。
TEXT:河崎直人
アルバム『Running On Empty』
1977年発表作品
<収録曲>
1. 孤独なランナー/Running On Empty
2. ザ・ロード/The Road
3. ロージー/Rosie
4. ユー・ラヴ・ザ・サンダー/You Love The Thunder
5. コケカン/Cocaine
6. シェイキー・タウン/Shaky Town
7. ラヴ・ニーズ・ア・ハート/Love Needs A Heart
8. 時に願いを/Nothing But Time
9. ザ・ロード・アウト/The Load-Out
10. ステイ/Stay
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