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長い時間をかけて制作されたグレッグ・オールマン初のソロアルバム『レイド・バック』

本作『レイド・バック』は兄であるデュアン亡き後のオールマン・ブラザーズ・バンドを率いたグレッグ・オールマンの初ソロアルバムであり、“レイド・バック(のんびりした・ゆったりした)”という言葉を広めたことでも知られるサザンロック界隈から登場した重要作のひとつである。よく、オールマン・ブラザーズはデュアンとグレッグがブルース担当、ディッキーはカントリー担当という言われ方をしているが、60sや70sの南部ロッカーはブルース、カントリー、R&B、フォーク、ブルーグラスに至るまで、全てのルーツミュージックから影響を受けている。『レイド・バック』はサザンロックというよりはスワンプ系シンガーソングライター作品のようなテイストで、テンションの高いオールマンズのサウンドとはまた違った味わいのある好盤である。

■オールマン・ジョイズの頃

デュアンとグレッグは高校生の頃からさまざまな音楽活動をしていた。若い頃から多くの音楽を貪欲に吸収しており、地元周辺ではひと味違う存在であった。ふたりは1964年にエスコーツを結成、1年後にオールマン・ジョイズへと改名している。彼らの演奏を見た著名なソングライターのジョン・D・ラウダーミルクは彼らの資質を見抜き、ダイアルレコードのバディ・キレン(サザンソウルやカントリーで数多くのヒットを送り出している大物プロデューサー)に紹介、ラウダーミルクはプロデュースも引き受けている。この時期の録音(66年)は『オールマン・ジョイズ/アーリー・オールマン』として73年になってからリリースされた。このアルバムはまだ中途半端なスタイルであるが、ラウダーミルクはカントリーやブルースナンバーを演奏するようにアドバイス(「スプーンフル」のレコーディングは彼の推挙)するなど、彼ら兄弟の方向性を決める重要な時期でもあった。余談だが、この作品でラウダーミルクと共同でプロデュースおよびソングライティングを担当したのは、後にスワンプロック作品を数枚リリースすることになるジョン・ハーレーだ。

■アワーグラスの頃

その後、兄弟はアワーグラスを結成し西海岸へと移る。メンバーはデュアン&グレッグの他、ジョニー・サンドリン(Dr)、ピート・カー(Ba)、ポール・ホーンズビー(Pf)と、全員がサザンロックの歴史に名を残す重要な面子で構成されている。アワーグラスの演奏を観たリバティレコードのウィリアム・マッキューエンは彼らと契約を交わし、レーベルメイトで当時人気のあったニッティ・グリッティ・ダート・バンド(以下、NGDB。メンバーのジョン・マッキューエンはウィリアムの弟。グループにはジャクソン・ブラウンも一時在籍していた)と同居することになる。結局、アワーグラスは2枚のアルバムをリリースするものの、無理やりサイケデリックロックまがいのグループに仕立て上げられたことに嫌気が差し、デュアンは南部へと戻ってしまう。

後にジョン・マッキューエンはインタビューで、デュアンが当時からギターの名手だったことや、クラレンス・ホワイト(ケンタッキー・カーネルズやバーズの名ギタリスト)と同じように、引いている時に左手が止まって見えたと語っている。

■ブッチ・トラックスとの邂逅

デュアンは南部に戻ってからは毎日のようにセッションを繰り返し、新しい音楽を模索している。そんな折、ヴァンガードレコードからアルバムをリリースしていたサイケデリックフォークロックグループ、ザ・31st・オブ・フェブラリーのデモ録音に兄弟で参加することになる。この録音は68年に行われ、『デュアン&グレッグ』のタイトルで73年にリリースされる。この時点ですでに、デュアンのスライドを含め、オールマン・ブラザーズの初期のサウンドが確立していると言ってもいいかもしれない。『イート・ア・ピーチ』に収録されている「メリッサ」の初期バージョンが収録されている。

このザ・31st・オブ・フェブラリーはドラマーがブッチ・トラックスで、他スコット・ボイヤー(この後、カウボーイを結成する)、デビッド・ブラウン(この後、ボズ・スキャッグス・バンドやサザンロック周辺で数多くのセッション活動を行う)の3人組で活動していた。

デュアンはサザンソウルのスタジオミュージシャンとして活動しながら、新しいグループのメンバーを探していた。そして、ロスにいるグレッグをデュアンが呼び寄せる頃には、オールマン・ブラザーズ・バンドのメンバーは決定していた。また、ちょうど同じ頃、ロジャー・ホーキンスやデビッド・フッドを擁するマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオも始動している。その第一弾アルバムはシェール(後にグレッグと結婚する)の『3614ジャクソン・ハイウェイ』(‘69)である。

69年11月には記念すべきオールマン・ブラザーズのデビューアルバム『ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド』をリリースし、ロックに新たな歴史を刻むことになった。翌70年になると、デュアンはデラニー&ボニーのレコーディングをはじめ、デレク&ザ・ドミノスの『レイラ』のセッションに参加するなど精力的に活動を行ない、またオールマンズの2ndアルバム『アイドル・ワイルド・サウス』をリリース、このアルバムでサザンロックは完成したと言っていいだろう。

グレッグは折を見てソロアルバム向けのリハを行なうものの、なかなか自分の思ったサウンドにはならず、やり直しの日々が続いていた。

■本作『レイド・バック』について

73年、長い時間をかけてようやくグレッグのソロアルバムが完成する。本家のオールマンズは『アット・フィルモア・イースト』(‘71)、デュアンの死(71年11月)、『イート・ア・ピーチ』(’72)、ベリー・オークリーの死(72年11月)、『ブラザーズ&シスターズ』(‘73)をリリースしているのだから、グレッグのアルバム作りは、かなりの時間を要したことが分かる。

参加しているミュージシャンは多く、チャック・リーヴェル、ジェイモ、ブッチ・トラックスのオールマン組、ギターにはバジー・フェイトンとジミー・ノールズが参加、スコット・ボイヤーとトミー・タールトンのカウボーイ組、ポール・ホーンズビー、ジョニー・サンドリン、チャーリー・ヘイワード、デビッド・ブラウンらサザンロック常連組などをはじめ、10人にも及びバックヴォーカルやストリングス勢など、かなり豪華なメンバーである。

収録曲は全部で8曲。「ミッドナイト・ライダー」「プリーズ・コール・ホーム」の2曲はオールマンズのナンバーで、グレッグの代表曲でもある。名バラード「ハートのクイーン(原題:QUEEN OF HEARTS)」はバジー・フェイトンのギターが冴え渡っている。フェイトンにしてもノールズにしても、当時グレッグと仲の悪かったディッキー・ベッツへの当てつけかと思うぐらい素晴らしいギターワークを聴かせている。「ドント・メス・アップ・ア・グッド・シング」ではリーヴェルのピアノが最高のプレイを見せる。ジャクソン・ブラウン作の「青春の日々(原題:THESE DAYS)」はグレッグの十八番のひとつで、ここでも彼の歌は素晴らしい。グレッグは他にも「ソング・フォー・アダム」などのジャクソン・ブラウンの暗めの曲を取り上げているが、ひょっとしたら内省的なシンガーソングライターになりたかったのかもしれない。

このアルバムで一番の名曲だと思うのは、スコット・ボイヤー作の「オール・マイ・フレンズ」。カウボーイのオリジナルも良いが、本作でのゆったり(レイド・バック)した泥臭さはとても味わい深い。ラストの「永遠の絆(原題:WILL THE CIRCLE BE UNBROKEN)」はカントリーやブルーグラスでよく歌われるトラッド。ここではデラニー&ボニーやドン・ニックスを意識したようなゴスペル風のスタイルとなっている。

なお、本作は昨年(2019)にデラックス・エディションがリリースされた。2枚組でデモや別ミックスなど未発表テイクが満載となっている。

最後に、ジャケットのイラストはマイルス・デイビスの『ビッチェズ・ブリュー』でお馴染みのマティ・クラーワインが手がけている。

本作が気に入ったら、サザンロックだけれどサザンロック臭の少ないカウボーイの『ボイヤー&タールトン』(‘74)やタールトン/スチュワート/サンドリンの『ハッピー・トゥ・ビー・アライブ』(’76)を聴いてみてください。

TEXT:河崎直人

アルバム『Laid Back』

1973年発表作品

<収録曲>

1. ミッドナイト・ライダー/MIDNIGHT RIDER

2. ハートのクイーン/QUEEN OF HEARTS

3. プリーズ・コール・ホーム/PLEASE CALL HOME

4. ドント・メス・アップ・ア・グッド・シング/DON’T MESS UP A GOOD THING

5. 青春の日々/THESE DAYS

6. マルチ・カラード・レイディ/MULTI COLORED LADY

7. オール・マイ・フレンズ/ALL MY FRIENDS

8. 永遠の絆/WILL THE CIRCLE BE UNBROKEN

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