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COBRAの“オイ!パンク”らしいキャッチーさと超パンクの精神が垣間見える『CAPTAIN NIPPON』

6月17日に、昨年メンバーチェンジしたパンクバンド、SAの新作『CALL UP MY COMRADES』がリリースされるということで、今週の邦楽名盤はSAにしようか…とも思ったのだが、ストレートにSAを紹介するのではなく、ここはちょっと変化球で、SAのギタリストであるNAOKIが過去に在籍していたCOBRAを取り上げたいと思う。本文でも述べたが、日本のパンクシーンでキーになるバンドがいくつかある中で、彼らもまた間違いなくそこに入る歴史上の重要なバンドである。ちなみにSAの新作インタビューも近々、当サイトに掲載されるので、そちらもどうかお楽しみに。

■忘れじのパンクバンド

今やONE OK ROCK、WANIMAを筆頭に、大型フェスのヘッドライナーやスタジアムクラスでの単独ライヴ、さらには海外ツアーすらも決して珍しいものではなくなった日本のパンクバンド。1970年代後半の世界的パンクムーブメントの黎明期、LIZARDやFRICTIONらの“東京ロッカーズ”勢や、INU、アーント・サリーといった関西勢、名古屋のTHE STAR CLUBなどが全国各地で同時多発的に出現した頃を考えるとまさに隔世の感を抱く方もいらっしゃることだろう。それ以後、1980年代に入ると、アナーキー(現:亜無亜危異)、THE STALINがスキャンダルな話題込みでシーンを賑やかし、1980年代中盤にはLAUGHIN’ NOSE、THE WILLARD、有頂天といった“インディーズ御三家”を中心に自らの手で音楽シーンを形成していくバンドも多数現れた。この辺りの精神は明らかにパンクのスピリッツから影響を受けたものであっただろう。

1987年のTHE BLUE HEARTSのメジャーデビューは、日本のパンクロック史における最大の事件と言ってもいい。当時まだどこかアングラな匂いの拭いきれなかったパンクロックを、一般層にまで浸透させたのは間違いなくTHE BLUE HEARTSである。日本ロック史の年表をTHE BLUE HEARTS以前とTHE BLUE HEARTS以後に分けてもいいくらいだと思う。1990年代の“AIR JAM世代”も相当に重要だ。Hi-STANDARDを中心にBRAHMAN、HUSKING BEEらが共に作り上げたシーンは音楽ファンから圧倒的な支持を得て、これを機に日本のパンクロックのキャパシティがグッと大きく広がった。何よりもライヴ会場がピースフルな場所と認識されるようになったことは彼らの功績が大きいと思う。また、GOING STEADY、MONGOL800らの俗に言う“青春パンク”ブームも少なからず“AIR JAM世代”の影響はあっただろうし、2000年代に入ってからブレイクしたELLEGARDENや10-FEETもおそらくそうだろう。

日本のパンクロック史をザッと振り返ってみたが、まだまだキーになったバンドはたくさんいる。当コラムで過去に紹介したバンドで言うと、Kemuri、KENZI & THE TRIPS、銀杏BOYZ、ニューロティカ、eastern youth、JUN SKY WALKER(S)、Theピーズ等々がそうだし、あるいは戸川 純もそうだと言えるかもしれない。ビジュアル系にしてもパンクの影響下から生まれたバンドも少なくないだろう。今週はその言わば邦楽名盤列伝・パンク部にまたひとつのバンドの名前を加えようと思う。COBRA である。1990年のメジャー進出後、一気にその人気に火が付き、活動期間はわずか1年半と極めて短かったが、その間に制作した2枚のアルバムを共にチャートトップ10に叩き込んだ4人組である。…とPCに入力して“あれから30年も経ったのかと?”と我ながら驚いたのだが、まるで昨日のように…とはさすがに大袈裟過ぎにもほどがあるけれど、COBRAの人気が沸騰していた頃の感じはよく覚えている。

というのも、自分自身の興味から取材を申し込み、YOSU-KO(Vo)にインタビューをしたことがあったのだ。その頃、筆者が所属していた会社では、音源リリース時かライヴのチケット発売に合わせたキャンペーンで来訪したアーティストのインタビューばかりで、こちらから依頼するインタビューは稀だったからである。そこでなぜCOBRAに取材を依頼したのか…その理由は正直言って完全に忘れた(苦笑)。個人的にもよく聴いていたのだろうけど、当時好きだった娘がCOBRAのファンだったからなんて邪なことはなかったし(と思う)、何で自ら申し出たのか覚えていないのだけど、たぶんその人気を間近にして何かしらの義務感に駆られたのだろう。そんなわけで、『CAPTAIN NIPPON』を解説しながら、その時の衝撃が如何ばかりだったのか記憶を呼び覚ましてみようかと思う。

■キャッチーなルックスと歌

『CAPTAIN NIPPON』を聴き返して、まず膝を叩いたのがCOBRAのビジュアル面、そのルックスのことである。M2「Oi Oi モンキー・ブルース」にズバリ以下のようにある。

《ボタンダウン 愛する母さん/Vネック サスペンダー仕様/フレッド・ペリー サル頭GO GO GO GO/AND FIGHTS! モミアゲもね》《I BORN グレイテスト・ニッポン/タタミ ロックン・ロール GO GO/(ええやんけ 別に)/ナッティー・ボーイ カガミを見よ/JUST FIGHTS スキニッズ! 男さんでね》(M2「Oi Oi モンキー・ブルース」)。

YOSU-KOとPON(Ba)が象徴的であったが、それまでのパンクバンドっぽくない出で立ちにビビッと来た。それは確実にあったと思う。パンクはストリートから生まれたとは言っても、Sex Pistolsのファッションはヴィヴィアン・ウエストウッドのプロデュースではあったわけだし、ボンテージもダメージものもそれはそれでカッコ良いのは間違いないものの、筆者のような田舎の中高生からするとあまりストリートっぽさが感じられるものではなかった。日本のパンクはその本場のパンクのファッショナブルさからはかけ離れてはいたけれど、それにしてもアナーキーの国鉄の作業服(ナッパ服)は誰もが手に入るようなものではなかったし、LAUGHIN’ NOSEもTHE BLUE HEARTSもライダースジャケット着用率が高かった。当時、革ジャンは意外と高額で、子供にはなかなか手が届くものではなかった印象がある。

その点、COBRAはまさしく“ON THE STREET”。そりゃあフレッド・ペリーはそこそこの値段だし、下手をするとライダースよりも高かったりするのだが、ポロシャツやボタンダウンシャツのようなカジュアルな格好でパンクをやっている彼らを見た時には“これか!?”と溜飲を下げたような気がする。しかも、YOSU-KOとPONは髪を立てることもできないほどの短髪。《サル頭》である。その辺を歩いているような恰好でロックをやってるバンドというと、米国のWeezer辺りが有名だと思うが、COBRAのメジャーデビューはWeezerよりやや早い。両者に因果関係はなかったと思う。だが、当時のCOBRAは日本独自のスタイルだと思ったし、不思議と誇らしい気持ちになった…薄っすらそんな記憶もある。まぁ、自分の感想はさておき、そうしたCOBRAのカジュアルなファッションがリスナーの裾野を広げたことは想像するに難くないところだ。

これは今回『CAPTAIN NIPPON』を聴き返す以前から確信していたことだが、COBRA楽曲のメロディーは分かりやすい。もともとパンクはキャッチーなメロディーを有したものが多く(ハードコアを除く)、欧米のものもそうだし、そこから直接影響を受けたTHE STAR CLUB辺りもそうだった。THE STALINも歌詞こそ過激ではあったが、それが乗る歌メロは実にキャッチーであったし、それこそが遠藤ミチロウの発明であっただろう。COBRAはキャッチーさに加えて、メロディー、コードにメジャー感もあった。それは彼らがパンクの中でも“オイ!パンク”を標榜していたからであろうが、エレキサウンドやビートに荒々しさはあったものの、アングラさが薄いというか、端的に言えば明るいものであったのだ(本場の“オイ!パンク”自体、その思想性が取り沙汰されることもあったようだが、今もそこに分類される欧米のバンドのサウンドを鑑みると、概ねそんな方向付けで大きく間違ってはないだろう)。

本作ではM8「D.N.F -did not finish-」が唯一ハードコアなくらいで、M10「LIFE WAR」のブラストビートは攻撃的ではあるものの、メロディーに尖った感じはない。分かりやすさを代表的なCOBRAナンバーと言えば、これはもうM6「オレたち」に尽きるのではないかと思う。誤解を恐れずに言えば、この「オレたち」はパンクではあるが、その骨子はほとんどJ-ROCK、J-POPに近いと言っていい。歌の展開がA、B、サビと、とても分かりやすいのだ。Bメロは俗に言う“PPPH”にはなってないが、楽曲に合うか合わないかはともかくとして、“PPPH”ができなくはない作り。今も流行歌としてのフォーマットに収まりそうなところではある。「オレたち」は『CAPTAIN NIPPON』からの先行シングルとしてリリースされ、チャートで25位にランクされたというから、実際、大衆に受け入れられたと言っていい。

■超パンクなバンドサウンド

1970年代後半にはまだまだアンダーグラウンドのものだったパンクは、さまざまなバンドたちの尽力(?)によって日本の音楽シーンで台頭してきたことは前述した。COBRAもまたその大きな流れの中にあって、件のファッションセンスと、“オイ!パンク”由来のポップな音楽性によって音楽シーンのメインストリームに分け入り、日本でパンクロックの知名度を上げることに寄与したと言える。そのキャッチーさが大きな武器となったことは確実だが、今回『CAPTAIN NIPPON』を聴き返して、それだけなく、COBRAはバンドとしてもとても優秀であったことを確認できた。意外と…と言っては彼らに大変失礼であるが、COBRAは楽器のアンサンブルもとてもいい。昔はキャッチーなメロディーに惹かれるばかりで、そちらに耳が行かなかったのだろうが、今回そこを発見したことは個人的には儲けものだった。

概ね3ピースでのバンドアンサンブルというシンプルな楽器構成で、ユニゾンが多いというその特性上、パンクバンドのサウンドはややもすると単調になりがちだ。逆に言うと、だからこそパンクにはキャッチーさが必要不可欠で、そういうバンドしか大成してこなかった…と言えるのかもしれないけど、COBRAにはその先を目指そうとしていた形跡がある。分かりやすい例はM11「BALLAD OF COBRA」。ミッドチューンがパンクっぽくないとは言わないが、この頃はまだ珍しい部類だったと思うし、YOSU-KOのモノローグは、少なくとも当時は他であまりお目にかかれない代物であっただろう。

そして、やはりM6「オレたち」のサウンドにも超パンクの姿勢が垣間見える。前述した通り、そもそもポップなメロディーを持つナンバーではあるのだが、リズムのシンコペーションで跳躍感や切れを出していることに加えて、後半のサビのリフレインではギターを出し入れしたり、ブレイクを入れたり、オクターブを上げたコーラスを入れたりと、単調にならないようにいろいろとやっている。この辺はパンクのDIY精神が発揮されたものと見ることもできるだろう。極め付けはM3「REAL Oi」だ。シャッフルというのも若干珍しいが、ブラスを加えている。この頃、すでにスカコアはあったはずで、ホーンセクションが入っていること自体がものすごく先鋭的であったわけではなかろうが、少なくとも当時の日本のパンクでは彼らくらいのものであっただろう。ソウル、R&B的要素だけでなく、フレンチポップスっぽいメロディーも今でも新鮮だ。COBRAのこうしたパンクだけに留まらない音楽要素の追及は、もしかすると、そののちのYOSU-KO、PONによるハウスユニット、COW COWに派生し、バンドの解散の引き金になったのかもしれないけれど、『CAPTAIN NIPPON』にパッケージされた彼らのチャレンジ精神は今も侮れないばかりか、それもまたのちのパンクシーンに有形無形の影響を与えたのではないかと考えられる。

TEXT:帆苅智之

アルバム『CAPTAIN NIPPON』

1990年発表作品

<収録曲>

1.ON THE STREET

2.Oi Oi モンキー・ブルース

3.REAL Oi

4.CAPTAIN NIPPON

5.Oi TONIGHT

6.オレたち

7.WE GOT THE POWER

8.D.N.F -did not finish-

9.カ・ガ・ヤ・ケ

10.LIFE WAR

11.BALLAD OF COBRA

12.やっちまえ!POPSTAR

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