5月20日、さだまさしがニューアルバム『存在理由~Raison d’être~』を発表した。ということで、さだまさしの名盤を紹介しようと考えたわけだが、ソロデビューから44年目、本作が通算42枚目(!)と多岐に渡るため、正直言って全ての作品を吟味することはできないわけで、シングルヒットを連発していた作品から『私花集』をチョイスさせてもらった。この時期のさだまさし(というか、この時期のフォーク、ニューミュージック)はネガティブなキーワードで語られることが多かったのだが、今このアルバムを聴いてみると、どうしてそのように形容されたのか不思議でならない。バラエティーに富んだ傑作であることをまず記しておこう。
■“暗い”と矮小化された1970年代後期
さだまさしに“暗い”というイメージを持つ人は一定数いると思われる。そういう人は、氏がヒット曲を連発していた1970年代後半にさだまさしを適当に聴き流していたか、あるいはほとんど聴いてなかった人が何となくそう思っているのだと想像する。いや、ほぼそうだと断定して間違いないのではないかと思う。結論から先に言っておくが、さだまさしの音楽は暗くはない。そもそも暗い/明るいは主観によるところでもあるし、そのどちらかに100パーセント偏った感情というのも現実にはないだろうから、“さだまさし=暗い”というのはどう考えてもかなり強引な図式ではあろう。
氏自身もそこには自覚的らしく、先日出演したラジオ番組で以下のように笑い飛ばしていた。「さだまさしってヒット狙いで歌っていると思った人もあったみたいで、随分誤解されたんですけどね。世の中が不況になる度に僕、話題にしてもらえるんですよ。辛い時には暗い歌がいいですから。中島みゆきなんか最高ですよ。さだまさし、中島みゆき、山崎ハコは三大暗い歌大会。歌で♪死にますか、死にますか♪って歌った奴は(他に)いないですからね(笑)」。レコードデビュー45周年を超え、そろそろ50周年に手が届こうかというベテラン中のベテランらしい、ユーモアを交えたコメントには余裕が感じられる。コンサート回数は4000回以上と、公演を行なう毎に日本記録を更新するリビングレジェンド。また、氏は1970年代からラジオ深夜放送のパーソナリティを務め、その精神を受け継いだと言えるNHKのバラエティー番組『今夜も生でさだまさし』を現在も継続中である。流石にそのトーク力は常に絶品なのである。
ただ、そんなさだまさしも当時のレッテル貼りには辟易していたようで、同ラジオ番組ではこんなことも語っていた。氏が企画・監督を務め、1981年に公開されたドキュメンタリー映画『長江』について話した件において、である。「僕、あの頃、日本で“暗い”だとかボロカスに言われて、“何で歌でこんなに言われなきゃいけねぇんだ、ばーか!”ってさ、中国に逃げちゃったところがあって。“どこが暗いんだ!?”って。ほんと、日本のマスコミの一部ってどこか変だと思いましたよ」。笑いを挟みながら話してはいたし、それは決して怒気を孕んだ感じではなかったが、こうして文字にしてみると、その時の氏の体験が強烈だったことを察することができる。
当時のさだまさしの一連のヒット曲を振り返ると──。氏の最大のヒット曲である「関白宣言」(1979年7月発売)は歌詞もコミカルでメロディーも明るいし、12分30秒とというその演奏時間の長さから当時はかなり珍しかった12インチシングルで発売された「親父の一番長い日」(1979年10月)は物語性のあるナンバーで、悲哀だけが前面に出たものではなかった。「道化師のソネット」(1980年2月)はサビメロにはさわやかさすら感じる楽曲だ。「防人の詩」(1980年7月)は上記でさだ氏自身がギャグっぽく語っていた通り、《海は死にますか 山は死にますか/春は死にますか 秋は死にますか/愛は死にますか 心は死にますか》がリピートされるわけだから、明るく見えないのは当たり前だが、モチーフは『万葉集』に基づいたものだと言うし、そもそも映画『二百三高地』主題歌としてその音楽監督であった山本直純氏から依頼されたものであったというから、それを以てさだまさしを暗いだ何だというのはお門違いと言うものであろう。ちなみに「道化師のソネット」も映画『翔べイカロスの翼』主題歌であり、さだ氏自身が主演と音楽監督を務めており、この頃すでにシンガーソングライターの枠に留まらず、多岐に活動を繰り広げていた。そのマルチな才能にスポットが当たることもなく、“さだまさし=暗い”というイメージだけに矮小化されたのだから、そのレッテル貼りに対する本人の落胆ぶりは今となっても察するに余りある。さだ氏が語っていた通り、当時の日本のマスコミは(その一部ではあったのだろうが)は確実に変だったと言える。
■汎用性ある旋律と多様性あるサウンド
今回3rdアルバム『私花集』を聴いて、その想いは確信に変わった。このアルバムを聴いて“さだまさし=暗い”と断定する人は、乱痴気騒ぎみたいな音楽しか聴いてない人だろうし、その人にとっての音楽とはほとんどが暗いものではないだろうか。収録曲を順番に見て行こう。M1「最后の頁」。歌メロはポップスとして十二分なメロディアスさで、内容はロストラブソングではあろうが、さわやかさすら感じるところである。「最后の頁」は山口百恵に提供した楽曲(「秋桜」のカップリング曲「最後の頁」)のセルフカバーなので、百歩譲ってもともとは山口百恵用だったと考えれば、これは本来のさだまさしっぽさではないのではないか…とかなり底意地の悪い見方ができるかもしれないので、それはそれとして次に行く。M2「SUNDAY PARK」である。フォークっぽさは否めないものの、とても汎用性が高いメロディーラインだし、流石にシティポップス…とまでは言わないが、サックスを取り入れたサウンドはAORっぽい作りである。
M3「檸檬」はそのサウンドも含めてまさしくエレジーと言った面持ち。その物悲しい雰囲気からして、明るいか暗いかと言えば後者に分けられるだろう。ただ、サビメロにはある種の力強さを湛えており、単にダークなだけでない独特の世界観があるナンバーである。「檸檬」はシングルでもリリースされており、こちらの方にはザラっとしたエレキギターが配されていたりして、ロックな印象に仕上がっていて興味深い。M4「魔法使いの弟子」はブルース。そうは言ってもストリングスが厚めなので、所謂ブルース臭さみたいなものは消えているけれど、ギター、鍵盤も完全にそれっぽい。娘に寝物語をするような内容からすると、あまり泥臭くなり過ぎないような配慮があったのかもしれないが、根底にはしっかりブルージーさがある。M5「フェリー埠頭」はM2以上にAOR的と言えるだろう。イントロで左右に触れる鍵盤。渋めのエレキギター。そして、間奏、アウトロで鳴く(“泣く”と言ったほうがいいかもしれない)サックス。アーバンなのかシティなのかは知らないけれど、そんな匂いがする。メロディーは明るくはないし、かと言って暗いというわけでもない絶妙なところを進むが、そこがまたここで歌われている揺れる想いを表しているようでとてもいい。アナログ盤はここでA面が終わり、次曲からB面となる。
M6「天文学者になればよかった」はB面のオープニングだっただけあって、サウンドはここでポップに一変。歌メロ自体はフォークソングらしさを残すものの、サビは開放的でアメリカンポップス風──誤解を恐れずに言えば、モータウン的である。調子に乗ってさらに言えば、さだまさしの地声が甲高いこともあって、楽曲全体は1990年代の渋谷系っぽい雰囲気すら感じさせる。M7「案山子」は伝統的フォークソングと言えるだろうか。ギターの動きもそうだが、メロディー展開がA、Bの繰り返しというのは洋楽的だ(Bメロは和風っぽさもあるので、その内容も含めて考えると、これは和魂洋才と言えるものなのかもしれない)。
M8「秋桜」は、山口百恵Ver.の発売が1977年だから、今や山口百恵の楽曲と認識しているリスナーも少なくなっただろうが、これもセルフカバー。こちらは山口百恵Ver.とは異なった[フォークソング調のアレンジが施されている]という([]はWikipediaからの引用)。2番からは鍵盤やリズムも加わるものの、基本はアコースティックギターとバイオリン中心というシンプルな構成は、確かに地味と言えるだろうが、どちらかと言えば抑制の効いたサウンドと言うべきだろう。オリジナルから40数年も経ち、当時に比べてJ-POP、J-ROCKも多様性を増した今となっては、M8「秋桜」はいわゆるビジュアル系の楽曲のイントロにもありそうなアルペジオではあって、個人的には簡単にフォーキーと片付けられないものではあると思う。M9「加速度」はその作編曲者である渡辺俊幸氏が公言している通り、明らかにThe Beatlesを意識したサウンドである。『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』であり、『Let It Be』である(ということはPhil Spector的でもある)。メロディーはマイナー調だが、そのバンドサウンドが世界観全体に緊張感を注いでいる。M10「主人公」はノスタルジックでありつつ、ドラマチックな展開を持つミッドバラード。サビの壮大さはフィナーレを飾るに相応しいし、その雰囲気は、どこまで意識していたのかは分からないけれども、やはりThe Beatlesの『Sgt. Pepper’s ~』における「A Day In The Life」のようである。
──とザっと解説しただけでも、ポップと言っては語弊があるかもしれないが、実にバラエティー豊かなアルバムであることは間違いない。ヘヴィメタルやEDMのような派手さがないのは当たり前だが、緩めのテンポばかりじゃないし、メロディー、サウンドもダークなものばかりではないわけで、これを以て暗いと言ったら、明るい音楽は一部のダンスミュージックとかメジャーキーのアイドルソングに限られることになってしまう。当時、このアルバムで“さだまさし=暗い”と断定した日本のマスコミの一部は、さだ氏が言った“どこか変だ”どころではなく、かなり変だったと言わざるを得ないだろう。
■歌詞に見る創作者ならではの精神
それでは、当時のマスコミの一部は歌詞を指して“暗い”と言ったのかというと、仮にそう思ったのなら、これはもう“変”を通り越し、完全に狂っている。“暗い”と指摘した人たちを逆に断罪せねばなるまい。短いフレーズで的確に情景を描写し、そこにしっかりと奥行きある物語を横たわらせる手法は──今さらこんなことを言ったら逆に怒られそうだが、見事のひと言である。
《寂しかないか お金はあるか/今度いつ帰る》(M7「案山子」)。
《明日の嫁ぐ私に 苦労はしても/笑い話に時が変えるよ/心配いらないと 笑った》(M8「秋桜」)。
M7「案山子」では兄から弟への問いかけであることと、その物理的距離感が分かるし、M8「秋桜」に母娘の関係性ばかりか、母親の半生すらも垣間見えるようだ。この辺は本作に限った話ではなく、さだ作品には多数あるはずなので、本作を含めてあれこそ探るのも楽しいと思う。今回、『私花集』を聴いて個人的に興味を抱いたのはM6「天文学者になればよかった」である。
《これほど設計の才能がないなら/天文学者をめざせばよかったよ/バミューダの謎や/ピラミッド・パワーに/未確認飛行物体との接近遭遇等々(コンタクト)/それから 新しいすい星に/自分の名を付けてしまおう/そうさそれが僕に 一番お似合の/すてきな仕事じゃないか/星の数かぞえて/夢の数かぞえて/恋人はそう アンドロメダ》(M6「天文学者になればよかった」)。
《未確認飛行物体との接近遭遇》というフレーズがある通り、M6「天文学者になればよかった」は映画『未知との遭遇』の影響下にあったことは明白である。調べてみたら、『未知との遭遇』の日本公開は1978年2月25日で、『私花集』は1978年3月25日発表であった。ということは、曲作り期間、レコーディング期間を考えると、『未知との遭遇』を観てからM6「天文学者になればよかった」を制作したとは考えられない。おそらく映画の惹句であり、映画の原題でもあった“第三種接近遭遇”を拝借したのだろうが、その内容が『未知との遭遇』のテーマと符合していることが最大の注目点。もちろん、M6「天文学者になればよかった」で描かれているのは宇宙人に出遭う物語ではないので、テーマが通底していると言うのが正確だろうが、Steven Spielbergがフィルムに落とし込んだスピリッツに近い匂いがする。『未知との遭遇』の米国での公開は1977年11月16日だったそうだから、さだ氏が本国で観た可能性はあるし、小説版を読んだのかもしれないけれど(そんなものがあったかどうか知らないけれど)、個人的には、音楽と映画、日本と米国とジャンルや出自は異なっても、クリエイターの抱く夢、考えるストーリーは似て来るものだと感じて、極めて興味深かった。
TEXT:帆苅智之
アルバム『私花集』
1978年発表作品
<収録曲>
1.最后の頁
2.SUNDAY PARK
3.檸檬
4.魔法使いの弟子
5.フェリー埠頭
6.天文学者になればよかった
7.案山子
8.秋桜
9.加速度
10.主人公
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