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『Before The Daylight』は、孤高のアーティスト、角松敏生が創り上げた、今も色褪せない世界標準の一作

5月13日、角松敏生のセルフカバーアルバム第二弾である『EARPLAY ~REBIRTH 2~』がついにリリースされた。…ということで、角松敏生のアルバムから1作品を紹介することにしたわけだが、ファンならばよくご存知じの通り、デビュー以来、常に新しい試みを自作に取り入れてきたアーティストだけに、角松敏生を代表するアルバムを1枚挙げるのはなかなか難しい。今回は『EARPLAY ~REBIRTH 2~』でもその収録曲がカバーされていて、さらには自身のキャリアの中では(今のところ)チャート最高位を記録したアルバムということで、7thアルバム『Before The Daylight ~is the most darkness moment in a day』をチョイスさせてもらった。

■当時の最新デジタルサウンドを導入

隠しても何だから、最初に正直に告白しておく。今回、『Before The Daylight ~is the most darkness moment in a day』(以下、『Before The Daylight』)を初めて聴いた。いや、拝聴した。1988年2月発売だから32年も前の作品に今さらこういうことを言うのは恥ずかしい話だし、この度その収録曲のリアレンジ版も収録された『EARPLAY 〜REBIRTH 2〜』がリリースされるのだから“何をかいわんや”と叱られるであろうが、こりゃあ相当にカッコ良いアルバムだ。ジャンルで言えば、ファンクとかAORとかに分けられるのだろうが、個人的にはこれは完全にロックだと思う。そう分けたいと思った理由はのちほど述べるとして、まずは『Before The Daylight』のカッコ良さの中核と言ってもいいサウンドについて、以下で少し述べてみたい。

本作のかなり大胆にデジタルサウンドを取り入れている。当時の最新鋭であったというから、日本でこのサウンドは珍しかったと言えるのかもしれない。全体として流石に1980年代ならでは…と言っていいドンシャリ感は拭えないものの、今聴いてもそこに“いなたさ”みたいなものはほぼ感じられないことに少し驚く。そりゃあ2020年現在の最新のロック、ポップスに比べたらいろいろと指摘したいところも出てくるだろうけど、1980年代の音源には今になって聴くとどこか気恥ずかしさを感じさせるようなサウンドも少なくない中で、まったくそうなっていないばかりか、“こんな感じの洋楽、どこかにあっただろ?”と思わず探してしまいそうな、サウンドメイキングの巧みさがある。

例えば、M1「I Can Give You My Love」とM2「Lost My Heart In The Dark」。ドラムのアタック音やシンセベースのブイブイとした響きは如何にも1980年代な感じではある。オーケストラルヒットらしきものも聴こえる。オケヒは本作が発表された辺りでは随分と下火になっていったものなので、ここだけを読んだ人には、当時でも若干古いサウンドと誤解されるかもしれない(“オーケストラルヒットらしきもの”なので、実際はそんなことはない)。そんな感じで、サウンドを構成する要素を文字面だけで見てみると、“その特徴は完全に1980年代やな”と突っ込みが入りそうではある。しかし、実際に聴いてみると、確かにデジタル音ではあるものの、少なくとも1980年代特有のデジタル臭みたいなものはキツくないのである。これ見よがしじゃないと言い換えてもいいだろうか。“シーケンサー使ってます”ではなく、あくまでも基本はバンドアレンジで、そこでの各音をコンピュータに担わせた…といった感じだ。そのバランスも絶妙なのだと思う。個々の音に大小はもちろんのこと、ディレイの掛け方ひとつにしても、これ以上に長くとも短くともダメだという微妙な線を行っていると思われる。

今作はそれまでのセルフプロデュースを止め、信頼できるプロデューサーに“外側から見た角松敏生”というコンセプトのもとで制作されたという。角松曰く、自分自身のことがよく分からないのでセルフプロデュースでやっていたと言い、そこまでの10作品(インスト盤含む)で自己の探求にひと段落が付いたことで、『Before The Daylight』でプロデューサーを招くことにしたそうである。そのプロデューサー(兼アレンジャー)は全てニューヨークで活躍していた一線級のミュージシャン。これは当時の世界標準のサウンドであろうし、そのアレンジの絶妙さも当然と言える。また、これは筆者の想像でしかないが、このデジタル感は角松敏生が日本のアーティストであって、活動の中心が東京であるから…というニュアンスも少なからずあったのではないだろうかと考える。バブル真っ只中の日本で角松敏生がジャパンマネーでニューヨークの一流ミュージシャンを集めたとかそういうことを言いたいのではなく、1988年と言えば、まだ東京はアジアでの最重要な都市であり、日本の工業製品は依然、世界を席巻していた(ホンダとかソニーね)。世界から見た1980年代後半の東京観みたいなものはその音に図らずも出ていたのではないか──何の確証もないけど、何となくそう思う。ちなみに、M1、M2共、奇しくも『EARPLAY 〜REBIRTH 2〜』に収録されているので、聴き比べるとオリジナルが当時、示した革新性が分かるような気がするので、ぜひお試しを。

■絶妙な生音の取り込み方

また、『Before The Daylight』は完全なデスクトップミュージックではないから、デジタル臭が薄いのは当然なことかもしれない。大半の音は所謂打ち込みで作られているものの、肝心なところでしっかり生音が入っている。ここは大きなポイントであろう。まず、何と言っても、ギターがいい。ギターが聴こえて来る箇所はどれもこれも超よくて、やはりM1「I Can Give You My Love」であったり、M6「Remember You」辺りのギターソロは流麗で素晴らしい。全編を通して聴こえてくるカッティングも実にいい。とりわけM7「Lady In The Night」が顕著だろうか。俗に言うサイドギター。一見、地味に思えるものの、これがあるとないとでは楽曲全体の印象はガラリと変わることは素人でも分かる。グルーブを生み出しているのはギターと確信させられるほどに、絶妙なプレイだと思う。

あと、生音が目立つのはサックス。これもまた楽曲に特有の空気感を与えている。印象的なのはM3「Thinking Of You」やM8「I’d Like To Be Your Fantasy」だろう。AORらしさだったり(完全にそう分けてしまうのはやや乱暴なのだが、ここは便宜上そう呼ぶ)、ジャケットの画に象徴される夜の都会的な雰囲気であったりを醸し出すのに、あの響きは重要な役割を担っているだろう。さらに忘れてはならないのはコーラスワークだ。M1「I Can Give You My Love」、M4「Get Your Feelin’」、M8「I’d Like To Be Your Fantasy」辺りで聴かせるブラックミュージック要素あふれる女性コーラスは流石に本場米国仕込み。今聴いてもまったく古びた感じがないのは、録音された当時の丁寧な仕事っぷりが偲ばれるところでもある。『Before The Daylight』収録曲は、これらの極めて印象的な生音が件のデジタルサウンドと合わさることで構成されている。改めて言うと、そこでのバランスも絶妙なのだろう。デジタルが出すぎても生音が多すぎてもこうはならないと思う。優れたシェフは、どこにでもある調味料を使っても、その絶妙な加減によって見事なひと皿を作り上げるという。それに近いことではないかと思う(微妙な例えですみません…)。

しかも…である。楽曲の中心を成していると言ってもいい歌のメロディーがいい。改めて言うことでないのかもしれないが、ここは強調しておきたい。料理に例えるならもともとの素材がいいのである。聴く人によっては、山下達郎に近いと捉える人がいるかもしれないし、久保田利伸をイメージする人もいるかもしれない。だが、そこは完全に説明は付く。山下達郎に関しては、角松自身が早くからリスペクトを公言している。[シュガー・ベイブの『SONGS』(1975年)は擦り切れるほど聴いた]というから、その辺は身体に染みついたものなのだろう([]はWikipediaからの引用)。また、もし久保田との類似を指摘する声があるならば、その影響下にないことだけははっきりと申しておきたい。『Before The Daylight』だけを聴いたらそう感じるかもしれないが、角松敏生はそれ以前から黒人音楽のフィーリングを自作に取り込んでいる。Wikipediaにもこうある。[デビュー以来の夏や海といったリゾート感覚のシティ・ポップス路線から離れ、自身の音楽的趣向であったダンス・ミュージックやニューヨークのミュージック・シーンで流行る最先端のファンクに傾倒していく。その曲調に合わせて歌詞のテーマも次第に夜の街へと移り、1983年に12インチ・シングル「Do You Wanna Dance」、続く1984年のアルバム『AFTER 5 CLASH』で、その世界を示した。(中略)ニューヨークへ長期滞在するようになり、現地での流行をいち早く取り入れた音楽活動を行うようになっていった。7&12インチ・シングル「GIRL IN THE BOX ~22時までの君は…」や代表作となる1985年のアルバム『GOLD DIGGER~with true love~R』は、ターンテーブルによるスクラッチやラップがいち早く取り入れられた]([]はWikipediaからの引用)。つまり、角松と久保田は共に当時のブラックミュージックに師事しているのだから、芸人システムで言うところの兄弟子・弟弟子の関係ということになる。そこで言えば、角松が「Do You Wanna Dance」を発表したのは上記の通り1983年で、久保田のメジャーデビューは1986年だから、角松のほうが兄弟子と言えるかもしれない(だからと言って、どちらが上だとか下だとかいう話ではないので、そこは誤解のないようにお願いします)。いずれにしてもメロディーのタイプが近いのは、必然とも言うべきものなのである。

■らしいメロディーとアイロニカルな歌詞

ただ、どうだろう? 私見であることを承知で述べるが、角松のメロディーは独自の艶っぽさというか、(誤解を恐れずに言えば)独特の日本っぽさがある。全体的に見たら、上記で指摘したように邦楽シーンに脈々と流れる如何ともしがたい洋楽からの影響は隠し切れないものの、随所随所でそこだけに留まらない角松オリジナリティーが確実にある。日本語がメロディーにしっかりと乗っているからの日本っぽいと感じてしまうのかもしれないが、抑制の効いたメロディーラインは、昨今のコンテンポラリーR&Bなどにはない味わい深さだと思う。M3「Thinking Of You」、M5「Can’t You See」、M8「I’d Like To Be Your Fantasy」などがそうした歌の旋律をより味わえる楽曲ではないかと思うが、特にM8は“これは確かに中山美穂に曲を書いた人なんだなぁ”と思わせるメロディアスさで、(もしかするとこの時期の…と前置きするのが正しいのかもしれないけど)角松節とも言うべきものが堪能できるだろう。

『Before The Daylight』収録曲の歌詞は、男女の機微を叙情的に表現したもので、とりわけアルバムタイトル通り“夜”の雰囲気をまとったものがほとんど。俗にシティポップとかアーバンポップと言われるものに準じている…という言い方も変だが、そこを期待する人を失望させることはない大人な世界が広がっている。しかしながら、それだけではない。こんな歌詞もある。

《夜になれば又偽りのMELODYで/満たされてる TELEVISIONに/犯されてる女達/目を覚まして 貴方はもっと/美しくなれるはずだから今》《SO I CAN GIVE YOU MY LOVE TONIGHT/もう騙されずに その身を世界に映してごらん、BABY》《流行りすたりだけの この街でも》(M1「I Can Give You My Love」)。

《いまだけに酔いしれてるだけの艶やかさならば/何時かは寂しくなるから 君は/Lady In The Night》《I’m Dreamin’/君の見ている安らぎは何処にあるの/Yes, I Love You/思いのままにならないことさえもある/Don’t Stop Your Love》《夜のドレスを着替えて さあついておいで僕に/叶えられる夢を教えよう/Lady In The Night》(M7「Lady In The Night」)。

アイロニカルな視点も忘れていなかった。先にも述べたが、本作発表の頃の日本はバブル真っ只中。経済は右肩上がりに伸びていくものだと疑わず、大半の日本人が昼夜問わず、己の欲望に忠実に生きていた時代だ。そんな中、そこに警鐘を鳴らすかのようなリリックを忍ばせておいたことは、アーティストとしての面目躍如たるものだろう。『Before The Daylight』は、そのサウンドの革新性もそうだが、そこに込められた思想、スタンスも十二分にロックなのであった。

TEXT:帆苅智之

アルバム『Before The Daylight ~is the most darkness moment in a day』

1988年発表作品

<収録曲>

1. I Can Give You My Love

2. Lost My Heart In The Dark

3. Thinking Of You

4. Get Your Feelin’

5. Can’t You See

6. Remember You

7. Lady In The Night

8. I’d Like To Be Your Fantasy

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