5月13日、杉山清貴のニューアルバム『Rainbow Planet』がリリースされるということで、彼のキャリアのスタート地点である杉山清貴&オメガトライブの作品を取り上げる。5作ある彼らの作品の中から、初のチャート1位を獲得した『ANOTHER SUMMER』をピックアップした。今から35年前の日本の空気を孕んだアルバムであることは間違いないのだが、どうやらそれだけではないようで──。
■我が思い出のオメガトライブ
今回、杉山清貴&オメガトライブの『ANOTHER SUMMER』を取り上げることになって、“そう言えば、今まで自発的に杉山清貴&オメガトライブを聴いたことがなかったな”とPCに向かうと、思いもよらず、とある記憶の扉が開いた。いきなり私事になってしまうが、最後にはおそらくちゃんと落ちが付くと思うので、若干お付き合いいただきたい。
学生の頃の話である。たぶん1984年か1985年だったと思う。場所は某大学の教室内。面識のない輩が、その隣にいたこれまた面識の輩にこんなことを話していた。“せっかくBMW借りるんだから、BGMもちゃんとしたものを用意しなくちゃダメだろ!”。流石に正確な言い回しまでは覚えてないし、その人たちの顔も思い出せないのだが、内容は間違いなくそんなところだ。世は完全にバブル前夜。彼らのように外車で遊び回るようなスタイルが主流だったとは言わないまでも、当時そんな大学生はわりといたようにも思う。というか、借りたBMWじゃなくて親に買ってもらったBMWなんて奴もいたと思う。何でそんなことが、頭の片隅に引っかかっていたのかと言うと、まさにそこで、その会話に感心した…というと変な言い方だが、“いるいるとは聞いてたけど、本当にそんな大学生いるんだなぁ。しかも、この学校にも…”ということで、印象に残ったのだろう(さっきまで記憶に埋もれていたけれど…)。希少生物を初めて見るとあんな感覚になるだろうか。
そういう自分は…というと、その後もバブルの恩恵を受けたことはない。さっきまで記憶に埋もれていたとはいえ、知り合いでも何でもない輩たちの会話が海馬に残っていたのかというと、それはバブルの恩恵を受けてない者のやっかみであることは言うまでもないが、件の会話の中で彼らが“ちゃんとしたBGM”として挙げた歌手やバンドたちが、さもありなんといったラインナップであって、それを聞いてて閉口してしまったから…というのもある。閉口も何もその輩たちとはしゃべってもいないので、こっちが勝手にうんざりしていただけなのだが、それがその印象を強くした要因でもある。覚えている限り、そこで挙げられていた名前をここで挙げていくことも可能だけれど、記憶違いがあったりすると面倒なことにもなりかねないので止めておくが、そこに杉山清貴&オメガトライブが含まれていたことは正直に白状しておこう。
もちろん杉山清貴にもオメガトライブに何の罪もない。いけ好かない輩が好んで聴くような音楽なのだから俺は金輪際、聴かないことにしようと心に誓ったのは自分の勝手である。杉山清貴&オメガトライブのデビューは1983年4月で、ここまで話した筆者の体験が1984年だったにしろ1985年だったにしろ、その時点ですでにブレイクしていたので、デートの素敵なBGMになるのも当たり前である。だから、どう考えても閉口したこちらが悪い。酷すぎる偏見である。30年も前の話であるが、関係各位に謝っておきたい。すみませんでした。以後いろいろあって、今は心を入れ替えて、ようやくここに『ANOTHER SUMMER』を聴くに至った次第である。というわけで、以下、ともあれ私見含みは継続しつつ、本作を解説してみたい。
■癖のない歌声と1980年代サウンド
『ANOTHER SUMMER』を聴いて感じたのは──これは改めて言うことではないけれども、まず最初に言っておかなければならないのは、杉山清貴というシンガーの素晴らしさである。ハスキーとか極めて個性的な声…というわけではなく、音源を聴く限りは圧しが強い感じもない。パッと聴きには普通…と言っちゃアレだが、いい意味でサラッと聴けてしまうヴォーカルではあると思う。だが、そこがとてもいいのである。あの歌声だからこそ、楽曲の世界観が活きたことは確実である。変に技巧的でないところもいいところだ。仮に、当世のコンテポラリーR&Bのようなフェイクを多用するような歌唱であったり、コブシを回すようなヴォーカリゼーションであったりしたら、その世界観は台なし…とは言わないまでも、ニュアンスは相当変ったに違いない。
例えば、「SUMMER SUSPICION」や「RIVERSIDE HOTEL」を○○○○○○や△△△△が歌ったとしたら(それはそれで聴いてみたい気もするけれど…)、歌詞に寄った場合、楽曲内で歌いかけてくる主人公の性格がモロ分かりというか、とても生々しい物語になると思われる。その点、杉山清貴の歌声は歌詞内の主人公が特定されづらいというか、聴き手それぞれに想像する主人公として脳内変換されやすいような気がする。あのオーガニックコットンのような、いい意味で混じり気のない歌声、歌唱法はポップミュージックにおける最高のアドバンテージであるだろう。杉山清貴がソロ活動から35周年を迎えようとしていること自体、その何よりの証拠ではないかと思う。
続いて、サウンドについて。さすがに1985年発表の作品である。ドンシャリ感は如何ともしがたい。そして、シンセの使い方が完全に80’S。キーボードと、たぶんそこに付随するエフェクターはニューロマな匂いを発し、ドラムですら電子音が派手に響く。M1「ROUTE 134」、M5「SCRAMBLE CROSS」、M6「MAYONAKA NO SCREEN BOARD(真夜中のスクリーンボード)」辺りにその色が濃い。Duran Duranを思い出すやら、テレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』のオープニングテーマ「ワイワイワールド」を思い出すやらで、1980年代をリアルタイムで過ごした者にとっては、正直言って懐かしくもどこか恥ずかしい印象は否めない。まぁ、これも流行歌がその後に辿る宿命みたいなものだろう。もっとも、そうした電子寄りが極めて目立つのは上記くらいなもので、あとの『ANOTHER SUMMER』収録曲の基本はAOR。特にM2「DEAR BREEZE」とM4「TOI HITOMI (遠い瞳)」辺りで聴こえて来るサックスはこの手のジャンルのお手本のような鳴りで、1985年頃には、ちょっと背伸びして大人の世界に入り込みたいと願って止まなかった連中にとっての格好のデートBGMとなり得たのではないかと想像する。何だかson of a bitch…。
■躍動感あるバンドアンサンブル
ただ、『ANOTHER SUMMER』のサウンド面は、そうしたAORに加えて当時の流行を挟み込んだだけかというと、そういうことだけではないと思う。バンドサウンドの躍動感と言ったらいいだろうか。オメガトライブは間違いなくバンドであると分かるアンサンブルで、そこを意識して聴かなくとも、しっかり個性的なパートが聴こえてくる点は強調しておくべきだろう。とりわけベースの響きがいい。M1「ROUTE 134」やM3「FUTARI NO NATSU MONOGATARI -NEVER ENDING SUMMER-」でビンビン鳴らしてるスラップもさることながら、M4「TOI HITOMI (遠い瞳)」やM6「MAYONAKA NO SCREEN BOARD (真夜中のスクリーンボード)」で披露している個性的なフレーズは完全に聴きどころだ。そうそう。ニューロマ的と評したM5「SCRAMBLE CROSS」にしても、そのバンドアンサンブルの妙はあって、間奏の激しいギターとリズム隊の絡みは実にアグレッシブ。ここだけ聴いたら、むしろデートのBGMには向かないんじゃないかと思えてくることに、勝手に好感を持った。こういうところは、食わず嫌いして聴かないと、もったいないことになる好例と言えよう。
もしかすると、ご存知の方も少なくないかもしれないが、オメガトライブとは[プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称]である([]はWikipediaからの引用)。メンバー主導で楽曲を制作していたわけではないので、厳密な意味で所謂バンドではなかったと言える。レコーディングは、ヴォーカル以外、プロのスタジオミュージシャンが演奏していたともいう。つまり、『ANOTHER SUMMER』も杉山以外のオメガトライブのメンバーは携わっていなかったことになるので、上記で示したアグレッシブな演奏もメンバーのものではないことになる。その点では、バンドだからこそ生まれる独創性のようなものは薄いのかもしれない。だが、だからと言って、そのアグレッシブなアンサンブルがなかったことになるわけでもないし、ましてや否定されるべきものではないだろう。逆に見れば、大衆音楽においてヒット曲を創造するプロの仕事を感じ取れると肯定的に捉えたい。また、メンバーはレコーディングでこそ弾いてなかったものの、ライヴではしっかりと演奏していたとも聞く。未だ当てぶりも少なくない(と伝え聞く)業界にあって、上記のようなプロセスはオメガトライブのメンバーを何ら貶めるものではなかろう。
■意外にも(?)多様性のある歌詞
さて、おしまいに歌詞の話。今回『ANOTHER SUMMER』を拝聴して、アグレッシブなサウンド以上にグッと来たのは、意外にも…と言っちゃ失礼にあたるだろうが、歌詞だった。本当に食わず嫌いのはするもんじゃない。関係各位にもう一度謝っておく、すみませんでした。オメガトライブは夏や海をモチーフとしたバンドであり、プロジェクトであっただけに歌詞のシチュエーションはそこに限定されているおり、確かにそれっぽい言葉が並んでいる。こんな歌詞もある。
《流星にみちびかれ/出会いは夜のマリーナ/ルームナンバー砂に/書いて誘いをかけた》(M3「FUTARI NO NATSU MONOGATARI -NEVER ENDING SUMMER-」)。
《一人すわるバーの/冷えすぎたシャブリ/君を持たせるのは/危な気なスリル》(M6「MAYONAKA NO SCREEN BOARD (真夜中のスクリーンボード)」)。
ほぼファンタジーだ。さすがにバブル前夜に書かれたものである。ただ、こうした絵空事が全編に渡っているなら、若き日の筆者が閉口したイメージは間違っていなかったことになるし、食わず嫌いのままで後悔などあろうはずもない。しかし、こうした上滑りしたような歌詞は、実はそれほど多くはない。アイロニカルな視点もあるし、彼らのデビュー曲「SUMMER SUSPICION」と同じカテゴリーと言っていい、不安感や不穏な空気を綴ったものもある。
《不思議 君を縛れない はがゆさがいい/Passing Time 夏の男達 競わせるだけ》《そうさ 誰も気づかない 笑顔でいれば/Passing Time 愛を打ちあけた 相手はMarried Man》(M5「SCRAMBLE CROSS」)。
《約束のない ふいの出会いを/くり返すうち 僕には見える/遠く夢のようなアドベンチャー/そっとたぐり寄せる間に/君は少し早く逃げた》《角度を変えたベッドルームライト/伏せた瞳をくもらせる》(M7「AI NO SHINKIRO (愛の蜃気楼)」)。
M5「SCRAMBLE CROSS」は、《白いアトリエ Morningショパン/熱いシャワーと ミネラルで目覚め》とか、《Scramble Cross アルファの ギアを入れたら》とか、《アート・ギャラリー あとにして/デスクに置いた メモはニューヨーク ひとり》といった内容も出て来るので、ほぼ嘲笑と言ってもいい。その内容は、サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」に近いものだろう。バブルに浮かれつつある当時の状況を予見していたのである。
この他にも、少年期の終わりとロハス生活的な展望を描いたM2「DEAR BREEZE」であったり、木下惠介作品の映画のようなM4「TOI HITOMI (遠い瞳)」やM9「THE END OF THE RIVER」であったり、歌詞の大半はしっかりと地に足のついたものである。
《入江が見える高台の MY HOUSE/窓を開ければ 波音のセッション/いつの日にか この海まで/帰る気がしてた/一度は都会に住んでも》《Sunset Beach/夕陽に映るのは/Sunset Beach/もう少年じゃない》(M2「DEAR BREEZE」)。
《帰る 港ができたら 船はいつでも/そうさ 冒険はできないよ 君のせいじゃ ないんだ》《そうさ チャンスはあるから 振りむかないで/ふたり 新しい航海に 風が誘う》(M4「TOI HITOMI (遠い瞳)」)。
《若い流れは 早いけど冷たい/岩に傷ついて 雨をうけ/川はゆるやかになる》《海はすべて包んで 水面では鳥は はばたく/決められたこの瞬間を待って》(M9「THE END OF THE RIVER」)。
借りたBMWでドライブした彼らは、そのBGMであった杉山清貴&オメガトライブをどんな気持ちで聴いていたのであろうか。そして、あの頃、食わず嫌いせずに『ANOTHER SUMMER』を聴いていたら、今とは少し違う自分になって“別の夏”があったかもしれない(食わず嫌いの挙句がこの落ちである…)。
TEXT:帆苅智之
アルバム『ANOTHER SUMMER』
1985年発表作品
<収録曲>
1.ROUTE 134
2.DEAR BREEZE
3.FUTARI NO NATSU MONOGATARI -NEVER ENDING SUMMER-
4.TOI HITOMI (遠い瞳)
5.SCRAMBLE CROSS
6.MAYONAKA NO SCREEN BOARD (真夜中のスクリーンボード)
7.AI NO SHINKIRO (愛の蜃気楼)
8.YOU’RE LADY, I’M A MAN
9.THE END OF THE RIVER
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