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夭折の天才ギタリスト、トミー・ボーリンが残したソロデビュー作『ティーザー』

世に天才と呼ばれるギタリストは多いが、その中でもトミー・ボーリンは別格だ。彼は10代の頃からロック、ジャズ、フュージョン、ブルース、カントリーに至るまで何でも弾けたのである。こんな多彩なギタリストは他にいないだろう。また、指弾きだけでなくスライドもべらぼうに上手いのだから、どんな幼少期を過ごしたのか知りたいものだ。日本ではリッチー・ブラックモアの代わりにディープ・パープルに参加したことで知られているぐらいだが、彼の豊かな才能はグループのギタリストという立場では発揮できないと僕は考える。ソロアーティストとして一流のセッションマンと一緒にバラエティーに富んだ作品を作り上げることで、初めて彼の才能は開花するのだ。ボーリンのソロデビューとなる本作『ティーザー』は、そんな彼の才能がよくわかる傑作となった。

■ビリー・コブハムの 『スペクトラム』での驚くべきプレイ

手数の非常に多いドラマーとして知られるビリー・コブハムは超絶ギタリストのジョン・マクラフリン率いるマハビシュヌ・オーケストラのメンバーで、コブハムにとって初となるソロアルバム『スペクトラム』(‘73)を制作する際、トミー・ボーリンに参加を要請する。72年、20歳のボーリンはエナジーというジャズ/フュージョン系(もちろん、当時はフュージョンという概念はまだないので、かなり先進的なサウンドであった)のグループでライヴ活動を精力的に行なっていて、特にジャズ系のアーティストから「すごいギタリストがいる」という噂が飛び交っていたから、コブハムもそのライヴに足を運んだのである。ジョン・マクラフリンという優れたギタリストと一緒にやっていたコブハムだけに、ギタリストを見る目は厳しかったはずだが、それだけ無名のボーリンのギタープレイが並外れていたわけである。

『スペクトラム』はジャズだけでなく、プログレや実験音楽の要素までも含んだまったく新しいサウンドで、まさしくフュージョンの黎明期以前にリリースされた画期的な音楽性を持つ作品だと思う。ギターはボーリンとジョン・トロペイ、ベースにはジャズ界の巨人ロン・カーターと、ジェームス・テイラーやジャクソン・ブラウンのバックでラス・カンケルとのコンビで知られるウエストコーストロックを支えるリー・スクラーという不思議な人選であったが、ここでボーリンはジャズ/フュージョン的なプレイとハードロック的なプレイを併せ持ったようなシャープな演奏を披露し、ジャズとロックのアーティストたちに衝撃を与える。

リッチー・ブラックモアはもちろん、当時のハードロックのプレーヤーたち、そして特に影響を与えたのはジェフ・ベックであった。ベックはこのアルバムのボーリンのプレイにヒントを得て、『ブロウ・バイ・ブロウ』(‘75)や『ワイアード』(’76)を制作することになるのである。『スペクトラム』での渾身のプレイは間違いなく彼を代表するキャリアのひとつである。

■ゼファーでの先進的なギタースタイル

1951年生まれのボーリンは幼少期にドラムとピアノを始め、13歳頃にはロックに夢中になりギターを手にしている。いくつかのバンドで腕を磨き、その後、ゼファーというサイケデリックブルースロックのグループに加入する。ゼファー在籍時には『ゼファー』(‘69)と『ゴーイング・バック・トゥ・コロラド』(’71)の2枚のアルバムに参加している。ボーリンのギターはすでに完成されており、当時のアメリカンロックのギタリストとしては珍しく、スワンプロックやサザンロック風のプレイだけでなくブリティッシュ系ハードロック風のプレイもできるプレーヤーとして、彼の認知度は高まっていく。しかし、ゼファーの難点は音程の定まらない女性ヴォーカルにあった。当時、大いに人気のあったジャニス・ジョプリンやマザーアースのトレーシー・ネルソン、コールドブラッドのリディア・ペンスらの真似に終始していただけに、グループは一向に目が出なかったのである。ゼファーの演奏自体は素晴らしいだけに残念ではあったが、結局、ボーリンは脱退し、前述したエナジーを結成する。

■ジェイムス・ギャングへの参加

ボーリンのギタリストとしての評価は日に日に高まり、ジョー・ウォルシュが在籍していたことで知られるジェイムス・ギャングに加入する。ジェイムス・ギャングはウォルシュのギタープレイで売れ、ウォルシュが脱退した後に加入したドメニク・トロイアーノも優れたギタリストであったから、若いボーリンにその役が務まるかと案じられた。ボーリンは『バング』(‘73)と『マイアミ』(’74)の2枚のアルバムに参加するものの、音楽性が合わず脱退する。この2枚のアルバムは佳作だと言えるが、ボーリンのギタープレイがなければ平凡な結果に終わっただろう。

■本作『ティーザー』について

ジェイムス・ギャングを抜けた後、彼はソロアルバムの制作をスタートさせていたが、いろいろなアーティストからセッションに呼ばれることも増え、疲労は募っていた。ディープ・パープルから誘いがあったのもこの頃で、彼は疲労感を癒やすために薬物に手を出し始めていた。

本作『ティーザー』のレコーディングは、デイブ・サンボーン、デビッド・フォスター、ヤン・ハマー、ジェフ・ポーカロ、ポール・ストールワース(アティチューズ)ら、豪華なメンバーを迎えてロスで行なわれた。少し遅れてディープ・パープルの『カム・テイスト・ザ・バンド』(‘75)のレコーディングがドイツのミュンヘンでスタート、ボーリンは多忙な毎日を送ることになった。

本作に収録されているのは全部で9曲。2曲のインスト以外はボーリン自身がリードヴォーカルを取っている。前述したように彼の幅広い音楽性を的確に表現するためには、やはりスタジオミュージシャンの力を借りるのがベストだと思うが、本作はその意味で各ミュージシャンが適材適所に配置され、狙い通りのサウンドが展開されている。一流のミュージシャンと互角の腕を持つ彼だけに、どの曲も水を得た魚のように生き生きとプレイしている。

「ザ・グラインド」は彼の代表作と言ってもいい曲で、レイドバックした彼のヴォーカルとサザンロック風のドライブしまくるスライドギターが決まっている。インストの「ホームワード・ストラット」はファンクをベースにしたジャズ/フュージョンナンバーで、多重録音の彼のギターが主役である。ここでもサザンロック的で秀逸なスライドが聴ける。「サヴァンナ・ウーマン」では、大きな影響を受けたジャズギターのソロ演奏を見せる。「ピープル、ピープル」ではレゲエっぽいトロピカルなフレーズを披露し、インスト「マーチング・パウダー」でもラテンパーカッションとシンセを生かしたジャジーなアプローチがあったりするなどバラエティーに富んでいて、リスナーのことをよく考えた曲の構成になっている。最後の「ロータス」はハードロックからレゲエ風のサウンドへと展開し、後半部分はキレの良いギターソロでフェイドアウトする。

そして…

ボーリンはこの後、2ndソロアルバム『プライベート・アイズ』を76年の9月にリリースし、ツアー中の12月4日未明、薬物の過剰摂取により死亡する。まだ25歳の若さであった。

TEXT:河崎直人

アルバム『Teaser』

1975年発表作品

<収録曲>

1. ザ・グラインド/The Grind

2. ホームワード・ストラット/Homeward Strut

3. ドリーマー/Dreamer

4. サヴァンナ・ウーマン/Savannah Woman

5. ティーザー/Teaser

6. ピープル、ピープル/People, People

7. マーチング・パウダー/Marching Powder

8. ワイルド・ドッグス/Wild Dogs

9. ロータス/Lotus

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