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パンク文脈から登場した職人グループ、ポリスの衝撃的なデビューアルバム『アウトランドス・ダムール』

1978年にポリスがデビューした時、多くのロックファンは新しいパンクグループだと勘違いした。いや、勘違いさせられたのだ。ポリスの3人は豊富な音楽経験を持っているにもかかわらず、確信犯的にパンクやニューウェイブっぽい雰囲気を醸し出してロック界に新風を巻き起こした。彼らが活動した5年間にリリースしたアルバムは5枚。どれもロック史に残る傑作群だが、個人的にはデビュー時の衝撃が大きいので、今回は『アウトランドス・ダムール』を取り上げる。

■ポリス結成

1976年11月、マニアックなプログレグループとして知られるカーヴド・エアのメンバーであったスチュワート・コープランドは、イギリス北東部にあるジャズクラブでたまたまスティングの演奏を観て気に入り、「ロンドンに来ることがあればセッションしよう」と連絡先を交換する。翌年初め、スティングは本業の教職を辞めてロンドンに移り、それを機にコープランドと再会すると、彼はすでにカーヴド・エアを脱退していた。コープランドがロンドンパンクのライヴシーンに参入したい考えをスティングに持ち掛けたことから、バンド結成が決まる。ギターにはフランス人でパンクへの造詣が深いヘンリー・パドヴァーニがコープランドの要請により参加する。このメンバーで「Fall Out/Nothing Achieving」のシングルをリリースしている。このシングルはまぁまぁパンキッシュなサウンドに仕上がっているが、あまり個性は感じられない。

ポリスと併行して、スティングは元ゴングのマイク・ハウレットの依頼で参加したストロンチウム90にドラマーが不在だったことから、コープランドに声を掛ける。また、ハウレットはギターにハイレベルの技術を持った英ロック界の重鎮アンディ・サマーズを呼び寄せていた。そもそもストロンチウム90はゴングのリユニオン・コンサートのための短期ユニットであったから、そのコンサートが終わるとスティングはサマーズにポリスへの加入を要請する。

■ストロンチウム90

ゴングのリユニオン・コンサートでは、マイク・ハウレット(ヴォーカル&ベース)、スティング(ベース、ギター、ヴォーカル)、アンディ・サマーズ(ギター)、スチュワート・コープランド(ドラムス、パーカッション)のメンバーで出演、この時の演奏と直前のスタジオ録音は『ストロンチウム90:ポリス・アカデミー』(‘97)のタイトルでCD化されている。興味深いのは、このアルバムにはすでに「マジック(原題:Every Little Thing She Does Is Magic)」(4thアルバム『ゴースト・イン・ザ・マシーン』収録)が登場していることだろう。ただ、この曲に関してはバンドの演奏ではなく、スティングひとり(ギターとヴォーカル)によるデモである。

『ストロンチウム90:ポリス・アカデミー』がリリースされた時、この作品こそがポリス結成のきっかけとなったと言われていたのだが、それは間違い。あくまでもストロンチウム90は短期のユニットであり、ポリスは別にパーマネントグループとして活動していたからである。スティングはポリスのギタリストのヘンリー・パドヴァーニの技術に難色を示しており、ストロンチウム90のセッションのおかげで、アンディ・サマーズという類い稀な才能と知り合えたからこそ、ポリスがデビューにこぎつけたのは確かである。

結局、サマーズはスティングに請われてポリスに加入する。パドヴァーニは、その1カ月後にコープランドから脱退するよう説得され、やむなく受け入れている。この両者の関係が当時どうだったのかは分からないが、2007年にリリースされたパドヴァーニのソロアルバムにはスティングとコープランドが参加し、同年のポリスのリユニオンツアー最終日にはアンコールでパドヴァーニの名前が呼ばれ「Next To You」を一緒に演奏しているぐらいなので、現在はそう悪くはないようだ。

■アンディ・サマーズ

ポリスのメンバーで最年長者はアンディ・サマーズである。彼は60年代後半からプロのミュージシャンとして活動していた。ソフトマシーンのツアーメンバーを皮切りに、エリック・バードン&ザ・アニマルズのメンバーを務めた後、アメリカへ渡ってクラシックギターと作曲を5年間学んでいる。イギリスに戻ってからはケヴィン・コイン、ズート・マニー、マイク・オールドフィールドなどのレコーディングに参加し、確かなテクニックを持ったミュージシャンとして引く手あまたの存在であった。サマーズは1942年生まれなので、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ジョージ・ハリソンらよりも年上である。ブリティッシュロックの黎明期から活躍していたサマーズは、さまざまな音楽に精通する職人的ギタリストと言えよう。

アンディ・サマーズの長い音楽経験、プログレとワールドミュージックのバックボーンを持つスチュワート・コープランド、ジャズとフュージョンをバックボーンに持つスティングの3人は、デビューアルバムに向けてリハーサルを繰り返す。主に曲はスティングが持ち寄り、リズムの処理をコープランドが担当、サマーズは全体の色付けを行なうといった役割分担で自分たちのスタイルを徐々に作り上げていった。最初にリリースしたパドヴァーニ在籍時のシングル「Fall Out」の問題点はパンクに寄りすぎたことにあり、そのあたりの調整に時間を要したと思われる。初期のアルバムに見られるレゲエ(ダブ)風のサウンド処理は、スティングの悲しげなヴォーカルとサマーズのギターカッティングの巧みさが相まって素晴らしい効果を生んでいる。

■本作『アウトランドス・ダムール』 について

資金提供やグループの運営について助言していたコープランドの兄、マイルスはパンクロックを好んでいて、最初は古株のアンディ・サマーズの参加を快く思ってはいなかったが、「ロクサーヌ」のデモを聴いてからは全面的支持にまわる。彼はインディーズからシングルを1枚だけリリースしているグループであるにもかかわらずA&Mレコードと契約することに成功、同時に彼らのマネージャーとなる。

ポリスは先行シングルとして78年4月に「ロクサーヌ」をリリースするものの、歌詞の内容に問題があるとされ、一部のラジオ局でオンエアされないこともあってヒットしなかった。8月にリリースされた第二弾先行シングル「キャント・スタンド・ルージング・ユー」も自殺をモチーフにしたシングルのジャケットが問題になり、これまた一部のラジオ局が放送禁止扱いにしたのだが、チャートインを果たす(全英42位)。このあと、本作『アウトランドス・ダムール』と第三弾シングル「ソー・ロンリー」が11月にリリースされ、彼らはアメリカツアーへと旅立つ。ポリスのライヴはアメリカでは好意的に迎えられ、イギリスで受けなかった「ロクサーヌ」が全米各地のラジオ局でオンエアされるなど、彼らの名前は徐々に広まっていく。

79年3月、彼らがイギリスに戻るとアルバムの評判は良く、4月にはアメリカで「ロクサーヌ」がチャートで32位となる。アメリカでの人気を受け、イギリスで再リリースが決定した「ロクサーヌ」「キャント・スタンド・ルージング・ユー」「ソー・ロンリー」は、それぞれ12位、2位、6位という好成績を収め、『アウトランドス・ダムール』は全英6位まで上昇、ポリスの名は全世界に知られることになる。

本作の収録曲は全部で10曲。もちろん1曲も捨て曲などないが、ヒットした3曲はポリスの独創性に満ちた名曲群であり、どれも文句なしの仕上がり。「ピーナッツ」はスティングとコープランドの、「サリーは恋人(原題:Be My Girl – Sally)」がスティングとサマーズの共作で、それ以外はスティングの曲である。オリジナリティーに富んだポリスの楽曲は、当時流行していたディスコ音楽やAORと比べるとあまりにもロック的であったから、リスナーが受け入れるのに時間が掛かったのかもしれない。

タイトでシャープなリズムとスティングのメロディメイカーぶりは、次作の『白いレガッタ(原題:Reggatta de Blanc)』(‘79)以降で顕著になるのだが、本作の粗削りでワイルドな魅力は瑞々しく、リリースから40年以上が経っているとは思えないほどの新鮮さである。

TEXT:河崎直人

アルバム『Outlandos d’Amour』

1978年発表作品

<収録曲>

1. ネクスト・トゥ・ユー/Next to You

2. ソー・ロンリー/So Lonely

3. ロクサーヌ/Roxanne

4. ホール・イン・マイ・ライフ/Hole in My Life

5. ピーナッツ/Peanuts

6. キャント・スタンド・ルージング・ユー/Can’t Stand Losing You

7.トゥルース・ヒッツ・エヴリバディ/Truth Hits Everybody

8. 俺達の世界/Born in the 50’s

9. サリーは恋人/Be My Girl – Sally

10. マソコ・タンガ/Masoko Tanga

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