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横浜銀蝿の『ぶっちぎり』は日本のサブカルにヤンキーカルチャーを根付かせた決定的一枚

結成40周年となる2020年。翔、TAKU、嵐の3人で活動を再開していた横浜銀蝿にJohnnyが参加し、ついにオリジナルメンバーで完全復活! 2月19日にニューアルバム『ぶっちぎりアゲイン』を発売し、3月からは『横浜銀蝿40th コンサートツアー2020~It’s Only Rock’n Roll集会 完全復活編 Johnny All Right!~』をスタートさせる! 当コラムでもこの伝説のヤンキーバンドを紹介する! 夜露死苦!

■邦楽史に名を残すヤンキーバンド

日本のサブカルチャー史において“ヤンキー”は決して無視できない代物だ。いや、無視できないどころか、ほとんど日本サブカルチャーのど真ん中に鎮座し続けていると言ってもいい。直近のトピックとしては、テレビドラマ『今日から俺は!!』のスマッシュヒットが分かりやすい例だろう。原作は1990年代に人気となったコミックであり、ドラマの時代設定は原作より昔のお1980年代前半に改変されていたというから、物語自体はおよそ40年前のものである。ほとんど時代劇に近い…とはさすがに言いすぎだろうけど、新しいドラマではないことは間違いない。だからこそ、若い視聴者にとっては古さが新鮮だったのだろうし、リアルタイムで1980年代を過ごした人たちは回顧的な楽しみを見出したと思われる。もちろん、福田雄一氏による巧みな脚本・演出と、賀来賢人、伊藤健太郎ら実力派若手俳優同士の演技とによる絶妙なアンサンブルが、時代性うんぬんを超えて老若男女に支持された最大の要因ではあろうが、それにしても、金髪パーマに短ラン&トゲトゲ頭に長ランの主人公、聖子ちゃんカットのヒロインが繰り広げる物語である。そのドラマが平成最後の年に話題となり、2020年7月には劇場版が公開されるに至っては、そこにヤンキー文化の浸透があるから…というのは決して穿った見方でもないだろう。

初出からわりと時間を置いて実写映像化されたヤンキーコミックには『クローズ』という前例もある。『今日から俺は!!』ほど長いスパンではなかったが、1998年に連載が終了し、そこから約10年後に初の実写映像化作品である映画『クローズZERO』(2007年)が公開された。そこから『クローズZERO II』(2009年)、『クローズEXPLODE』(2014年)と、映画独自の続編も制作された上に、それがまたコミカライズされ、現在まで続く息の長いシリーズとなっている。コミックのスピンオフも少なくないばかりか、『クローズ』の続編である『THE WORST』はEXILE TRIBEの『HiGH&LOW』シリーズとコラボレーションを実現。『クローズ』シリーズは、その映画『HiGH&LOW THE WORST』以前から、アパレルやフィギュアとのコラボも積極的に行なっており、この辺もまさしくヤンキー文化の浸透、その証のひとつと見ることもできるだろう。

このまま漫画『ビー・バップ・ハイスクール』から那須博之監督版の映画の話に突入して、城東工業のテルと“ボンタン狩り”について延々と語りたいところなのだが、当コラムは邦楽名盤紹介であるから、残念ながら(?)話題を音楽へと進めよう。ヤンキーの存在は当然、日本の音楽シーンにおいても無視できるものではない。今、その筆頭と言えばやはり氣志團だろう。平成生まれにしてもさすがにこれが氣志團のオリジナルと思っているような人はいないだろうが、氣志團がメジャーデビューした2002年でも巷で彼らのようなリーゼント姿を見かけることはほぼなくなっていたので、氣志團は現在のこのスタイルの筆頭というよりも、音楽業界でのヤンキースタイルはもはや彼らの独壇場と言っていい。

ただ、昭和生まれの方にはご理解いただけれると思うが(昭和60年辺りだと厳しいかもしれないが)、氣志團はその遅れてきた正統なる系譜であって、日本の音楽シーンにおけるヤンキーアーティストのアップデイト版と言える存在である。彼ら以前にもヤンキーなアーティスト、バンドはわりといた。地元でヤンキーやってて音楽活動を本格化させる内にファッション的にはヤンキーを脱した…なんて人を含めると相当数いたと思うし、たぶん今活躍しているバンドにもそれなりにいるんじゃなかろうか。結論から言えば、ヤンキーなバンドの元祖はキャロルであろうし、その親衛隊からバンドと成ったクールスもそのひとつだろう。一応、諸説ある…と断っておくけれども、たぶんそれが最有力説であろう。だが、自らヤンキーであることを明確にシーンに示したという観点で言えば、THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(※以下、横浜銀蝿)以上にヤンキーバンドらしいヤンキーバンドはいないと思う。横浜銀蝿がいなかったら氣志團はなかった…とまでは言わないけれども、少なくとも今のようなビジュアルではなかったことは間違いなかろう。その継承の意味でも重要な存在ではあるし、暴走族で使われていた専門用語などヤンキー文化を日本語ロックに持ち込んだ特異性、独自性において邦楽史にその名を残す存在である。

■ヤンキー文化を歌詞に注入

筆者が初めて横浜銀蝿を見てその存在を認識したのは、『ザ・ベストテン』か『夜のヒットスタジオ』かのどちらかであったか忘れたけれども、テレビの歌番組であった。演奏していたのは2ndシングル「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」だったと思うので1981年のことだろう。自分が住む田舎では、革ジャンを着てるような奴は皆無だったけれども、横浜銀蝿のメンバーと同じような髪型をしている奴はいっぱいいたし、白いドカン(ズボンのことね)は見かけなかったけれども、学ランのズボンがあれくらい太い奴もいっぱいいた。だから、テレビにそんなバンドが出てきたことに驚いた。その当時はヤンキーではなくて、“ツッパリ”とか単に“不良”とか呼んでいたように思うが、そんなその辺にいるような人たちがバンドを組んでテレビに出ていることに──今となってはその感覚をはっきりと思い出せないけれども、何か不思議な気持ちを抱いていたような気がする。《ドカン》《ヨーラン》《リーゼント》《ソリ》《くるくるパーマ》《長めのスカート》《ガン》《タイマン》等々。そこに出て来る歌詞もどこかで聞いた言葉が連なっている。

今回紹介する横浜銀蝿の1stアルバム『ぶっちぎり』のオープニング曲、デビューシングル「横須賀Baby」のカップリングでもあったM1「ぶっちぎりRock’n Roll」にもこんな歌詞がある。

《うなる 直管闇夜をさき/朝まで全開アクセルOn》《マブイあの娘もハコ乗り/今夜はSatisfy》《CASTOROの香りまきちらし/朝まで全開アクセルOn》《ホイルスピンをきめれば/今夜はSatisfy》(M1「ぶっちぎりRock’n Roll」)。

意味不明だという人もいるだろうからいくつか訳すと──。《直管》とは直管マフラーで、サイレンサーが搭載されていないマフラーのことで、そうすることで排気音が甲高くなるという。《マブイ》は顔が美しいこと。《ハコ乗り》は乗用車の窓から上半身を出して乗ること。《CASTORO》はおそらく“Castrol”のことで、エンジンオイルを指していることで間違いなかろう(商標登録とかの関係でこうなったのではないかと想像する)。で、《ホイルスピン》は急発進や急旋回でタイヤが激しく空転すること。つまり、M1「ぶっちぎりRock’n Roll」は暴走族のことを綴ったものである。それこそクールスはもともとバイクチームであったし、外道やアナーキーは暴走族に愛されたバンドではあったが(外道の頃は暴走族を“サーキット族”と言ったそうな…)、暴走族の存在そのものを描いたような楽曲は、少なくともそれまでのメジャーにはなかったわけで、横浜銀蝿は端から画期的なことをやっていたと言える。

■その表現はコミカルかつポップ

注目すべきは、そうした暴走族的なことも含めたヤンキー文化をポップに表現したことではなかったかと思う。まず、これもまた2ndシングル「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」が好例であるが(そう考えると同曲は横浜銀蝿のエッセンスを凝縮していたわけで、この楽曲がヒットしたのも当然だったと言えるのかもしれないが)、コミカルな要素を注入した点。『ぶっちぎり』で言えば、M9「尻取りRock’n Roll」であり、M2「そこのけRock’n Roll」もそうであろう。

《アー アライグマ/マントヒヒ/ひとコブラクダ/ダックスフンド/どうも》(M9「尻取りRock’n Roll」)。

文字通りのしりとりである。収録タイムは20秒に満たない。インタールードやブリッジと言ってもいいくらいである。M2「そこのけRock’n Roll」はギャグではないけれども、その歌詞は《おらら そこのけ どけ》のリフレインで、何か大きなメッセージがあったわけではなかろう。だが、それが親しみやすさにつながったと想像できる。見た目はリーゼントにサングラスにほぼ髭面という強面のヤンキーである。これでその歌詞が暴走族的なものや、バイオレンス臭のキツいものばかりだったら、現役で“ツッパリ”を自認していた人たちにしても楽しめなかったに違いない。そもそもヤンキーと言っても、当時そのほとんどは10代であって、真に不良と呼べるような者=完全なるアウトローは少なかったに違いなく、このくらいの愛嬌はあって当たり前である。その意味でも横浜銀蝿は的確にヤンキー像を映していたとは言えるだろう。

M1「ぶっちぎりRock’n Roll」、M2「そこのけRock’n Roll」、M9「尻取りRock’n Roll」以外は、M5「バイバイOld Rock’n Roll」がオールドスクールなR&Rに敬意を払いつつの「Roll Over Beethoven」系の内容だが、その他はロストラブソングを含めて恋愛ものがズラリ。いつの世も流行歌の花形はラブソングである。この辺りも横浜銀蝿の親しみやすさにつながっていたことは、これまた間違いない。M7「Happy Birthday」とかM10「INSTANT GENTLEMAN」とか、今思えば子供が背伸びしているとしか思えない内容だったりするが、そこも愛敬だろうし、当時のティーンエイジャーにはビビッドに響いたのだろう。また、Johnny(Gu)は[メンバーの中で一番人気があり、バレンタインデーにはトラック何台分もの大量のチョコレートが贈られ]たそうで([]はWikipediaからの引用)、横浜銀蝿は女子からも絶大な人気を得ていたことは当時のいちリスナーであった自分も実感するけれども、それはそのラブソング比率の高さも影響していたと思われる。

最大のポイントは、いい意味でそのサウンドが複雑なサウンドではなかったことではなかろうか。基本は3コードのR&R──いや、ほとんどそれしかないと言っていい。『ぶっちぎり』ではM3「いかしたDance Tonight」やM4「I Say最高Rock’n Roll」で薄くブラスが入っていたり、M5「バイバイOld Rock’n Roll」などではピアノが聴こえたりするものの、その構成はギター2本とベース、ドラムというシンプルなものだ。1980年と言えば、Yellow Magic Orchestraの人気が爆発した年だし、J-POP史上最高のイントロとの呼び声高い久保田早紀の「異邦人 -シルクロードのテーマ-」がヒットした年でもあったので、サウンドメイク、アレンジも多様になっていた時期である。この頃ですら横浜銀蝿が鳴らしたR&Rはやや時代がかった印象のものであった。だが、それが良かったのであろう。メロディーにもよると思うが、前述したような暴走族的な歌詞が、もしデスメタルやハードコアパンクに乗っていたとしたら、世界観としてはバッチリかもしれないが、大きく大衆性は損なわれたことは論を待たないはず。誰でも一度はどこかで聴いたことがあるコード進行と、老若男女の多くが想像するバンドの最大公約数的サウンドが、横浜銀蝿の親しみやすさをアップさせるに大きく貢献したのだ。楽曲の演奏時間も3分程度だ。リスナーに変なストレスを与えない。簡単に言うと、聴いていて面倒くさくないのである。Johnnyが最近のインタビューで「横浜銀蝿は芸能史には残っていると思いますが、音楽史には残っていないと思うんです」と語っていた。メンバーがそう言ってるのだから確かに横浜銀蝿はその音楽性において語れることがないのかもしれない。でも、そんなものは端から超越していたのだという見方もできる。それが横浜銀蝿の偉大さだったと筆者は思っている。

TEXT:帆苅智之

アルバム『ぶっちぎり』

1980年発表作品

<収録曲>

1.ぶっちぎりRock`n Roll

2.そこのけRock`n Roll

3.いかしたDance Tonight

4.I Say最高Rock`n Roll

5.バイバイOld Rock’n Roll

6.お前に会いたい

7.Happy Birthday

8.Take it easy

9.尻取りRock`n Roll

10.INSTANT GENTLEMAN

11.潮のかほり

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