江戸アケミの急逝から30年の節目となる2020年1月27日、存命メンバーにJAGATARAが再結成され、“Jagatara2020”としてライヴを行なうことが決まっているが、それに合わせたかたちで、これまで超入手困難だった“暗黒大陸じゃがたら”名義のオリジナル1stアルバム『南蛮渡来』と、“JAGATARA”名義での初のオリジナルアルバム『裸の王様』のアナログ盤が発売された。この2作品を含む過去作もすでにサブスクリプションで配信されており、いい時代になったものだとしみじみ思う。そんなわけで、当然、今週は『南蛮渡来』を取り上げるのだが、聴けば聴くほど、調べれば調べるほどにすごいアルバムであることが分かった。
■名盤が続出した1980年代
この暗黒大陸じゃがたらの『南蛮渡来』は、1980年代邦楽のベスト1作品に推す声も多いアルバムである。オールタイムで見ても歴代の十傑に挙げる人も少なくないし、邦楽における最重要作品のひとつであることは疑いようがない名盤と言える。今回はその理由を改めて考えてみたいと思う。
本作が発表されたのは1982年。のちに“花の82年組”なんて言葉が生まれたほどアイドル華やかし時期であって、中森明菜、小泉今日子、松本伊代、早見 優、シブがき隊ら、今も芸能界で活躍している文字通りのタレントたちが数多くデビューした年である。その年の日本レコード大賞は細川たかしの「北酒場」が戴冠。『NHK紅白歌合戦』のトリは紅組が都はるみ、白組が森進一で、しかもそこまでの5組は紅白ともに全て演歌歌手が占めているという、お茶の間的には依然、歌謡曲、演歌の人気が根強かった頃である。
一方、その向こうを張るかたちで、1970年代半ばから台頭して来ていたニューミュージックがこれもまた巷にかなり浸透していた時期であって、ニューミュージックと歌謡曲、演歌との棲み分けが何となくできあがってきていた時期であったような気がする。それは何かというと、ニューミュージックはアルバムで聴き、歌謡曲や演歌はシングルで聴くというスタイルではなかったかと思う。
『南蛮渡来』が発表された1982年だけで見ても、その年の年間シングルチャートは1位:あみん「待つわ」、2位:薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」、3位:岩崎宏美「聖母たちのララバイ」、4位:中村雅俊「心の色」、5位:細川たかし「北酒場」であったのに対して、同年の年間アルバムチャートは以下の通りである。1位:中島みゆき『寒水魚』、2位:山下達郎『FOR YOU』、3位:サザンオールスターズ『NUDE MAN』、4位:松山千春『起承転結II』、5位:オフコース『over』。シングルヒット作とアルバムヒット作との顔触れ、タイプが計ったかのように分かれているのが面白い。
ちなみに、この前年も後年も同様の傾向が見て取れる。この辺はリスナー全体の指向が変化したことに関係しているのであろうし、世代間での嗜好の差異が表面化してきたことにもよるのだろうが、この事象からはアルバムの意味や意義、制作者の意図といったものが注目され、語られるようになったのがこの時期からだったのではないか…という推測が成り立つように思う。
その証拠に…と言っていいだろうか。1980年前後には、今日、多くの人が名盤と認める傑作が数多く発表されている。フリクションの『軋轢』(1980年)。RCサクセションの『ラプソディー』(1980年)。Plasticsの『WELCOME PLASTICS』(1980年)。大瀧詠一の『A LONG VACATION』(1981年)。INUの『メシ食うな!』(1981年)。佐野元春の『SOMEDAY』(1982年)。THE STALINの『STOP JAP』(1982年)。この他にも、Yellow Magic Orchestraは1978年の『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』から1981年までの3年間で5枚のオリジナルアルバムを発表しているし、山下達郎も『RIDE ON TIME』『ON THE STREET CORNER』(ともに1980年)、『FOR YOU』(1982年)、『MELODIES』(1983年)という重要作をこの時期に制作している。
これはシンクロニシティ(=意味のある偶然の一致)とも言えるだろうし、The Beatlesの『Rubber Soul』に影響を受けてThe Beach Boysの『Pet Sounds』が制作され、さらにその『Pet Sounds』が『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』に影響を与えたような、アーティスト間の共鳴みたいなものから導き出されたと考えることもできるだろう。だが、どちらにしても、歌謡曲や演歌以外のシーンにおいては“アルバムはイケる”、もしくは“アルバムでイケる”という確信がこの時期に強くなっていったとは言える。それは作者だけでなく、レーベル側は十分にビジネスになると思ったことだろうし、受け手にしてみれば、アルバムはシングルの何倍もの世界観を楽しめるものであり、あるいはシングルでは知り得なかった世界観を楽しめることを実感したであろう。日本の音楽文化が成熟を始めた時期であったとも言えるし、音楽がさらなる大衆化することで、今日に連なる礎の時期だったと言えるかもしれない。
■アフロビートを導入した先鋭
今回、『南蛮渡来』を聴いて真っ先に感じたのは、これはアルバムというスタイルでなければ制作できなかった作品ではなかろうかということ。本作未体験の人は“何、当たり前のことをしたり顔で…”と呆れておられるかもしれないが、もう少しお付き合い願えれば幸いである。
『南蛮渡来』は全8曲で収録時間は約40分。当時はLP盤でアルバムをリリースするのが極めて普通のことだったので総体の尺はこれくらいが当然として、注目してほしいのは収録曲のタイムである。M1「でも・デモ・DEMO」6分30秒。M7「FADE OUT」6分59秒。M8「クニナマシェ」9分14秒。3分程度のものもそれ以下の長さの楽曲も収録されているのだが、長尺の楽曲が目立つ。M8「クニナマシェ」は昨今の楽曲に比べても長めだと感じるほどである。まぁ、長いだけなら1970年代にもプログレがあったので、タイムそのものはどうこう言うこともないのだが、『南蛮渡来』はその音楽性がファンクを中心としたものであって、それである種、必然的に長尺となっていると想像できる──そこがポイントだと思う。本作以前に彼らは“財団法人じゃがたら”名義でシングル「LAST TANGO IN JUKU」を発表しているが、『南蛮渡来』収録曲のようなものを表現するにはシングルでは事足りなかったであろうし、時代がアルバム寄りになってきたことは今になって思えば幸いだったようにも思う。
ファンクという音楽ジャンルをひと口で語るのはなかなか難しいが、ダンサブルなリズムと象徴的なメロディーのリピートで構成されたもので、演奏のグルーブ=ノリに主眼を置いた音楽…との説明でそう大きく間違ってはなかろう。日本では歌謡曲や演歌は素より、現在のJ-POPにしても歌の主旋律を楽曲の中心と捉えることがほとんどだと思う。A→B→サビという日本独自の曲構成は今も邦楽シーンの主流だ。もともとのファンクはそうした日本で一般的に好まれている音楽とはベクトルが異なる。それぞれをグルーブ中心の音楽とメロディー中心の音楽と割り切って考えたら、完全に真逆と言えるかもしれない。ファンクものちにファンクロックへと派生し、世界的なロックバンドがそのビートを自らのサウンドに取り込むことも何ら珍しくなくなったし、日本においてもファンクとJ-POPとの融合は今や普通のことに感じるだろうから、令和2年ともなれば“ファンクのどこが革新的だったの?”と思われるかもしれない。
だが、『南蛮渡来』で暗黒大陸じゃがたらが示したのは、ファンクはファンクでも、アフリカンなリズムを取り込んだファンク=アフロビートであり、より土着的な音楽ジャンルへの傾倒がはっきりと聴き取れるのである。これは相当に先鋭的であったと言える。前述した1980年代前半の名盤もどれも素晴らしい作品であることは間違いないけれども、ほとんどのインスパイア元は欧米のロック、ポップスであった。『南蛮渡来』はそれらとは土台がまったく異なると言っていい。突然、思いも寄らなかった遥か斜め上から降って来たようなアルバムではないかと今となっても思ってしまう。発表されたのが1982年であることを考えると、大袈裟に言えば、これは発明、発見を超越して、魔法や錬金術によって生まれたような作品と形容したいほどである。
■《あんた気にくわない》に見る創造性
この時期の日本でアフロビート、アフロファンクに注目しただけでも相当に革新的で、暗黒大陸じゃがたら、即ち江戸アケミ(Vo)のセンスは文字通り抜群であったと言える。閉じられた同好会的な世界は別として、この時、ライヴをやったり、音源を制作して販売するフィードにおいて、当該ジャンルに手を伸ばしたのは、おそらくじゃがたらだけだっただろう。その姿勢だけでも十分に刮目するに値するのだが、重ねて称えねばならないことは、その取り込み方にある。M1「でも・デモ・DEMO」からそれは顕著だ。その冒頭も冒頭、イントロが始める前のカウントの代わりとも言っていい江戸の歌からして、もう十二分に素晴らしい。
《あんた気にくわない》(M1「でも・デモ・DEMO」)。
短い日本語を、その語感を損なうことのない抑揚を付けてきちんとリズムに乗せているばかりか、そこにFela Kutiが創設したと言われるアフロビートの精神と言ってもいい、不服、反発をしっかり宿らせている。こんなにファンキーでポップでロックなフレーズはそうはない。
そこから続く、演奏も実に活き活きとしている。パーカッションを含めてグイグイと全体を引っ張るリズム。小気味の良いギターのカッティング。特有のグルーブ感を下支えするベースのうねり。いななくサックスを始めとする軽妙なホーンセクション。快活な印象を加味しているコーラス。ものすごくテクニカルな演奏というわけではないけれども、躍動感が持続しているだけでなく、そのテンションが尻上がりに上がっていく。6分30秒のタイムは決して長く感じないし、もっと聴いていたいと思わせるスリリングさを有している。あえて英語っぽい言い回しをしている《くらいね、くらいね》や《でも、でも、でも、》辺りもいいし、途中でどこか民謡っぽい旋律を奏でるギターも良く、1曲目から江戸アケミの決意と凄みを感じる「でも・デモ・DEMO」である。
以降、ややサウンドがサイバーな印象のM2「季節のおわり」や、パンク色が濃いM5「アジテーション」やM6「ヴァギナ・FUCK」などは1980年代前半という時代性を感じさせるところでもあって、こうしたナンバーがあることも暗黒大陸じゃがたら、江戸アケミの寛大さというか、懐の深さであろうが、この『南蛮渡来』で示されたこのバンドのすごさ、その極め付けは、やはりフィナーレを飾るM8「クニナマシェ」であろう。「でも・デモ・DEMO」で始まって、その他さまざまな楽曲を経てここに辿り着くというのもアルバムとして実に巧くできていると思う。パーカッシブなアフロビートを基調としながらも、オキナワンが入っているようでも、日本古来の民謡が加味されたようでもある、密集形のサウンドは、じゃがたらのものとしか言いようがない。言葉そのものが突き刺すようなキャッチーを湛えた《ヤラセロセロセロセロセロセロセロ》というコーラスが全体を支配しながら、それがいつしか子供の声による《ぼくたちは光の中でチャチャチャ》へとつながっていき、そこから柔らかなメロディーが聴こえてくるという構成は聴いていて本当に気持ちが良く、どこか知らない世界へと誘われていくような感覚すらある。今も他でこれを似たような音楽を聴いたことがない。マニアックなアングラなものではまったくなく、十分に踊れるポップさもしっかりある。黒人のそれでも白人のそれでもない、完全に独自のファンクミュージックである。繰り返し言うようだで恐縮だが、1982年という時点で、この方向性を目指し、ひとつサウンドを完成させた江戸アケミと暗黒大陸じゃがたらのメンバーは、やはりすごいと言わざるを得ない。
江戸アケミはライヴで観客に向かって“お前はお前のロックンロールをやれ!”とアジっていたという。本作収録曲の歌詞にもこうある。
《思いつくままに動きつづけろ/思いつくままにとばしつづけろ/思いつくままに走りつづけろ/思いつくままにたたきつづけろ/思いつくままに壊しつづけろ/思いつくままに踊りつづけろ/思いつくままにしゃべりつづけろ》(M1「でも・デモ・DEMO」)。
ファンクもロックも音楽ジャンルではなく、生き方の指針や姿勢でもある。彼は言葉のみならず、独自の音楽を創造することでそれを示した。邦楽シーンの偉大なる巨人である。
TEXT:帆苅智之
アルバム『南蛮渡来』
1982年発表作品
<収録曲>
1. でも・デモ・DEMO
2. 季節のおわり
3. BABY
4. タンゴ
5. アジテーション
6. ヴァギナ・FUCK
7. FADE OUT
8. クニナマシェ
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暗黒大陸じゃがたらの『南蛮渡来』は、他の誰でもない、江戸アケミだけが示した江戸アケミのロックンロール
JAGATARAまとめ
安斉かれん、楽曲「誰かの来世の夢でもいい(Prod.by Carpainter)」をサブスク配信限定でリリース