ジェネシスは1967年に結成され、ピーター・ゲイブリエルをはじめ創設時のメンバーは同じ学校に通っており、言わば部活の延長のような存在であった。彼らが変わったのは、メンバーの脱退で外からの補充が必要になった時だ。オーディションによってドラムのフィル・コリンズとギターのスティーブ・ハケットが加入し、リハーサルを繰り返すことで彼らの音楽は一気に進歩する。今回取り上げるのはコリンズとハケットが参加した最初のアルバム『怪奇骨董音楽箱(原題:Nursery Cryme)』(‘71)で、通算3作目となる。本作はジェネシス独自の演劇や童話をモチーフにしたサウンドが確立されようとしていた途上にあり、完成度という意味では4作目の『フォックストロット』(’72)に、ヒット作という意味では6作目『月影の騎士(原題:Selling England By The Pound)』(‘73)に及ばないが、秀逸なジャケットと発売当時の邦題のインパクトから本作を選ぶことにした。
■陰のゲイブリエルと陽のコリンズ
ジェネシスはピーター・ゲイブリエルが在籍していた(1967〜75)時代とフィル・コリンズがリードヴォーカルになった(1976〜96)時代とでは、まったく違うグループだと言っても過言ではない。前者はどちらかと言えばマニアックなプログレバンドで、後者はポップなロックバンドである。この違いは大きく、同じグループ名を名乗ること自体に問題があるレベルである。なので、「ジェネシスが好き」だと言った場合には、ゲイブリエル時代かコリンズ時代かを確認しなければ話が噛み合わないことになる。
■早熟な若者たちによるジェネシスの結成
1967年、中流階級以上の子どもたちが入学する公立学校で知り合ったヴォーカルのピーター・ゲイブリエル、ギターのアンソニー・フィリップス、ベース兼ギターのマイク・ラザフォード、キーボードのトニー・バンクス、ドラムのクリス・スチュワートの5人でジェネシスは結成された。レコードを出したいと考えた彼らは、同じ学校の先輩で音楽プロデューサーになっていたジョナサン・キングを頼り、デモテープを聴かせた。キングは気に入り、デッカレコードとシングル2枚の契約を取り付ける。この時、彼らはまだ15〜17歳で、リリースしたシングルはさっぱり売れなかったが、キングはアルバムのプロデュースも買って出るだけでなく、ジェネシスというグループ名の名付け親にもなっている。ただ、ジェネシスというグループが他にも存在することが分かり、1stアルバムはグループ名を記さず、単に『創世記(原題:From Genesis To Revelation)』(‘69)としてリリースする。このアルバムがレコード店に入荷すると、そのタイトルから宗教音楽のコーナーに置かれたという笑い話のような実話が残っている。
デビューアルバムはフォークがベースではあるもののブリティッシュトラッドの香りもなく(すでにフェアポート・コンヴェンションは67年にデビューしており、ブリティッシュトラッドはイギリスロック界のひとつのムーブメントになりつつあった)、不可思議で暗めのフォークロック作品である。このアルバムの録音前にオリジナルメンバーのクリス・スチュワートが勉強に集中するために脱退、新メンバーとしてこれまた学友のジョン・シルバーが加入している。結局、シングルもアルバムも売れず、デッカから契約は打ち切られた。
この後、大学の受験などもあって、しばらくグループの活動はストップしてしまう。ゲイブリエルとフィリップスは曲を書き続けており、バンクスとラザフォードは大学に進学したので、グループは活動を再開することになった。
■プログレバンドへの進化
彼らはフルタイムのバンドとして活動することを決め、曲作りやデモ録音、数多くのライヴをこなし、着実に力を付けていく。シルバーはアメリカ留学のためにグループを脱退、代わりに大工が本業のジョン・メイヒューがドラムで参加する。
彼らは設立されたばかりのプログレ専門レーベル、カリスマレコードとの契約が決まり、2ndアルバムのレコーディングを開始する。70年にリリースされた『侵入(原題:Trespass)』は前作と打って変わって完全にプログレ作品となっており、ベルギーではチャートの1位を獲得するなど話題となったが、イギリス本国ではキング・クリムゾン、ピンク・フロイド、イエスらのような人気には至らなかった。
このアルバムではフィリップスのギタープレイが素晴らしいのだが、残念なことに彼はステージ恐怖症になり、健康状態も悪かったので、不本意ながら2ndアルバムを最後に脱退してしまう。また、ドラムのジョン・メイヒューはテクニック不足で解雇されたため、ギターとドラムをオーディションで選ぶことにする。
■フィル・コリンズと スティーブ・ハケットの加入
オーディションでメンバーに決まったのはフィル・コリンズ(Dr)とスティーブ・ハケット(Gu)で、このふたりの加入がジェネシスの将来を左右することになる。新メンバーは学友でないこともあってグループの緊張感は良いほうに高まっていくのだが、その緊張が功を奏し、グループの演奏力はどんどんレベルアップしていく。クリムゾンが使っていたシンセ(メロトロン)を導入することにもなり、この時期は連日リハーサルやライヴを繰り返している。
■本作『怪奇骨董音楽箱』について
そして、71年に本作『怪奇骨董音楽箱』はリリースされた。まず耳に残るのはコリンズのタイトなドラムワークだ。ハケットのギタープレイはと言えば、前任の優れたフィリップスを凌駕するテクニックで、このふたりの存在がジェネシスにとっていかにプラスになったか、前作と比べるとよく分かる。ゲイブリエルの演劇的要素もこの頃からより明確になり、彼が紡ぎ出す奇妙でシュールな歌詞は彼らの音楽を表現するのに欠かせないものとなっている。本作以降、コンサート時にゲイブリエルがさまざまなコスチュームで音楽劇を演じるようになっていくが、それはひとえに彼の思い描く超現実世界が、ジェネシスの高い演奏力で具象化できるようになったからに他ならない。また、クリムゾンから譲り受けたメロトロンの効果は絶大で、一気にサウンドに奥行きが広がることになった。
収録曲は全部で7曲。冒頭の10分半に及ぶ「The Musical Box」は牧歌的なイントロで始まり、徐々にドラマチックな展開になっていく。ジャケットを見ながら聴くと、グリム童話の一場面のような純粋な残酷さが味わえる。曲の途中で登場するハケットのギターソロは、驚くべきことにすでにタッピング(ライトハンド)奏法が使われていて、彼のプレイは当時のブリティッシュロックギタリストの多くに影響を与えただろう。
「The Return Of The Giant Hogweed」は植物が人間を襲うというSF的な内容のナンバーで、オペラ風で緻密な構成になっている。クイーンはジェネシスから多くの影響を受けていることがよく分かるナンバーだ。また、アルバム最後の「The Fountain Of Salmacis」ではコリンズの今も変わらない個性的なドラムが聴けるし、ゲイブリエルのトレードマークとなる演劇的展開が繰り広げられているのが素晴らしい。
秀逸なアルバムジャケットのイラストは前作から引き続いてポール・ホワイトヘッドが担当、奇妙でおどろおどろしい作風はゲイブリエルの狙い通りで、本作のイラストが彼の最高傑作だろう。なお、ジャケットに描かれている広い芝生の庭がある大邸宅はゲイブリエルの親の実家を参考にしているそうだ。
本作は全英チャートで39位となり、ジェネシスはようやく本国で認知されるようになるのである。そして、翌年の72年には本作をさらに上回る出来の『フォックストロット』をリリースし、世界的なプログレグループとして認知されることになる。ゲイブリエル時代のジェネシスのアルバムで、どれか1枚と言われたら僕は内容の充実度では『フォックストロット』を挙げるが、それでもティーエイジャーの時に出会った『怪奇骨董音楽箱』の邦題とジャケットの素晴らしさ(もちろん内容も良いし)がやっぱり忘れられないのである。
TEXT:河崎直人
アルバム『Nursery Cryme』
1971年発表作品
<収録曲>
1.ザ・ミュージカル・ボックス(旧邦題 怪奇のオルゴール)/The Musical
2.フォー・アブセント・フレンズ(旧邦題 今いない友の為に)/For Absent Friends
3.ザ・リターン・オブ・ザ・ジャイアント・ホグウィード/The Return of the Giant Hogweed
4.セヴン・ストーンズ/Seven Stones
5.ハロルド・ザ・バレル/Harold the Barrel
6.ハーレクイン(旧邦題 道化師)/Harlequin
7.ザ・ファウンテン・オブ・サルマシス(旧邦題 サルマシスの泉)/The Fountain of Salmacis
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