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日本のネオアコブームに大きな影響を与えたベン・ワットの『ノース・マリン・ドライブ』

70年代後半から始まるポストパンク時代には、ニューウェイブ、スカリバイバル、エスノロック、ダブ、シンセポップなど、さまざまなスタイルの新しい音楽が生まれたが、それらは大手レコード会社では扱いにくいアイテムであり(売れるかどうか分からない)、小回りの利くインディーレーベルからリリースされることが多かった。80年初頭のイギリスで、インディーズのチェリーレッドからリリースされた廉価盤のコンピレーション『ピロウズ・アンド・プレイヤーズ』(‘82)が大ヒット、83年1月にNME誌のインディーズチャートの1位となる。このアルバムは3月になっても1位をキープした上、3位には同レーベルの『遠い渚』(トレーシー・ソーン)、5位にもチェリーレッドの『ノース・マリン・ドライブ』(ベン・ワット)が入るという快挙となった。『遠い渚』も『ノース・マリン・ドライブ』もほぼ生ギターが中心の作品で、この新たなアコースティックサウンドは日本でも話題となり、後のネオアコや渋谷系サウンドに大きな影響を与えたのである。そんなわけで今回はベン・ワットの『ノース・マリン・ドライブ』を取り上げる。

■新世代のフォーク風ロック

1981年にデビューしたスコットランド出身のアズテック・カメラはポストパンクの中でも、フォーク風ロックというシンプルなスタイルで目を引いたグループだ。ここで、わざわざフォーク風ロックと書いたのは、よくある(特にアメリカに多い)フォークロックとは系統が違うからである。通常フォークロックと呼ばれる音楽は、50年代から連綿と続くフォークリバイバルというフィルターを通したある種のルーツ系音楽であるが、イギリスで80年初頭に登場したフォーク風ロック(所謂ネオアコ)はパンクロックのフィルターを通したまったく新しい音楽であり、フェアポート・コンベンションやペンタングルといったブリティッシュ・トラッドのグループとも音楽的な繋がりはないのが特徴である。

アズテック・カメラの登場を皮切りに、アコースティック楽器を使ったグループが次々にデビューする。ペイル・ファウンテンズ、フェルト、ジャザティアーズ、ゴー・ビトウィーンズ(オーストラリアのグループで、後のグラント・マクレナン)などのグループはもちろん、スミスも最初はネオアコ的感覚を持ったグループであった。

■ネオアコのサウンド

80年代のブリティッシュ産フォーク風ロック(ネオアコ)は、基本的に寂寥感のあるヴォーカルと涼しげ(寒々とした)なギターが特徴である。生ギターを中心にリズムギター(エレキ)、ベース、ドラム、キーボードなどが入る場合は多いが、前面に出るのは生ギターであることが多い。サウンドとしてはアメリカのフォークロックとは違ってフォーク、カントリー、ブルースの影響は少なく、パンク的でどちらかと言えばダークな感覚を持つ。

■ベン・ワットについて

ところが、ベン・ワットは生ギター1本(ピアノが入ることもある)で勝負した。普通、高度な技術を要求されるので、生ギター1本で演奏するのは難しい。特にパンクでスタートしているアーティストの場合には、高度な技術を磨くことは苦手なので、バンド系で演奏することが多い。ワットはポストパンクのアーティストであるものの、父親がジャズバンドのリーダーでアレンジも手がけるアーティストであったため、幼少期から音楽を学んでいた。だから、ボサノバやジャズ的なバックボーンを持っているのだ。

ワットはデビュー当時のインタビュー(NME誌)で、ドアーズ、ザ・ジャム、ジョイ・ディビジョン、アズテック・カメラ、ロバート・ワイアット、バーズ、ビリー・ホリデイなどに影響されたと答えている。これを見るとフォークロックからパンクやジャズまで、さまざまな音楽が彼の糧となっている。そして、寂寥感のあるヴォーカルはどうやらロバート・ワイアット譲りのようだ。

ワットは81年にチェリーレッドから、ケヴィン・コインのプロデュースで3曲入りのデビューシングル「Cant」をリリース、83年にはロバート・ワイアットが参加した5曲入りEP『Summer Into Winter』をリリースする。新人なのにケヴィン・コインとロバート・ワイアットが参加しているのはすごいことである。それだけ、ワットの才能が認められたということなのだろう。

冒頭で紹介したチェリーレッドの大ヒットコンピ『ピロウズ・アンド・プレイヤーズ』には収録された17曲中、ワットの絡んだ曲が4曲も収められている。ソロの「Some Things Don’t Matter」(『ノース・マリン・ドライブ所収』)、トレーシー・ソーンの「Plain Sailing」、マリン・ガールズの「Lazy Ways」、トレーシー・ソーンと組んだエブリシング・バット・ザ・ガール(以降、EBTG)の「On My Mind」である。

ちなみにトレーシー・ソーンとワットのサウンドは似ており、チェリーレッドの提案でふたりはEBTGを組むのだが、後にこのグループは大手レーベルと契約しドル箱スターになる。なお、現在ソーンとは夫婦である。

■本作『ノース・マリン・ ドライブ』について

83年にリリースされた、ワットの記念すべきデビューアルバム。収録曲は全部で9曲。1曲(ボブ・ディラン作)を除いて、全てオリジナルである。基本的にはエフェクター(コーラス、フランジャー)を通した生ギターだけでの演奏(ギターは多重録り)で、曲によってはアルトサックス(演奏はブリティッシュジャズ界のベテラン、ピーター・キング)がソロを取る。アルバム全編を貫く寂寥感のある静謐さは、聴いていると何物にも代えがたい幸福感に浸ることができる。僕は本作を聴く時、一曲一曲を聴くというよりはアルバムの持つ全体的な雰囲気を味わうことが多い。とはいえ、どの曲も完成度は高く、特にボサノバタッチの曲での彼のヴォーカルやギタープレイは素晴らしい。結局、本作は『ピロウズ・アンド・プレイヤーズ』と入れ替わるように、インディーチャートで1位となった。

なお、CD化に際して、前述したワットの5曲入りEP『Summer Into Winter』が追加収録されているが、本作とは若干テイストが違うので、別々に聴くことをオススメする。

この後、ソーンとのEBTGで世界的にブレイクするのだが、ゴージャスな音になりすぎていて、僕の中では本作『ノース・マリン・ドライブ』を超えるベン・ワットの作品はない。生ギター1本でポストパンク時代を生き抜いた彼の渾身の一作を、ぜひ聴いてみてください。

TEXT:河崎直人

アルバム『North Marine Drive』

1983年発表作品

<収録曲>

1. オン・ボックス・ヒル

2. サム・シングス・ドント・マター

3. ラッキー・ワン

4. エンプティ・ボトルズ

5. ノース・マリン・ドライブ

6. ウェイティング・ライク・マッド

7. サースト・フォー・ノレッジ

8. ロング・タイム・ノー・シー

9. ユーアー・ゴナ・メイク・ミー・ロンサム・ホエン・ユー・ゴー

〜ボーナス・トラック〜

10. ウォルター&ジョン

11. アクアマリン

12. スリッピング・スローリー

13. アナザー・カンバセ―ション・ウィズ・マイセルフ

14. ガール・イン・ウィンター

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