いきなり宣伝になってしまうが、僕も編集&ライティングで関わった『昭和50年男』というムック本が創刊した。タイトル通り、昭和50年生まれによる、昭和50年生まれのためのこの本。創刊号の特集はオレたちが小4だった1985年から、中2だった1989年のカルチャーにスポットを当てた「Golden 5 years」特集。世の中的にも昭和が終わり平成が幕を開ける、大きな節目となったこの時代。改めて振り返ると、この時代に見聞きしたものがいまの自分を形成したと言い切れるほど、多大な影響を受けていたことが分かった。ここでは1985~1989年のヒット曲を紹介しつつ、昭和50年男の黄金時代を振り返りたい。
■「あの娘とスキャンダル」(’85) /チェッカーズ
『ドラえもん』が描いたような明るい未来を想像させてくれた『つくば科学万博』が開催され、UFOからやって来たと歌う未知の生物「ウーパールーパー」が大ブーム。『スーパーマリオブラザーズ』の発売で、空前のファミコンブームが到来した1985年。この年の流行は「こんなの見たことない!」と小4のオレたちの心を躍らせる、面白すぎるものばかりでしたが。『ザ・ベストテン』でチェック柄のおしゃれな衣装に前髪をちょろりと垂らした九州から来た7人組バンドが歌い演奏する姿も、「こんなの見たことない! カッコ良い!」と思わせるものだった。ドラマ『うちの子にかぎって』の主題歌が「星屑のステージ」で、レンタル屋でレコード借りてきて、少し背伸びした気分で聴いてたのも覚えてる。1985年には「ジュリアに傷心」が年間チャート1位を獲得しているが、曲の発売は84年11月。チェッカーズはその後、「俺たちのロカビリーナイト」くらいから、それまでのアイドル路線を脱却していくのだが。僕はそっちの楽曲のほうが好きだったりする。
■「魔訶不思議アドベンチャー!」 (’86)/高橋洋樹
『ドラゴンクエスト』発売、高橋名人の登場などにより、ファミコン全盛期を迎えた1986年。まだ小5のガキだったオレたちを夢中にさせてくれたのは、アイドルやロックバンドではなく、ファミコンゲームだったり、『キン肉マン』や『キャプテン翼』や『北斗の拳』、そして『DRAGON BALL』といったマンガやアニメだった。1986年2月にアニメがスタートした『DRAGON BALL』は、観てない人がいねぇんじゃないか?というくらい、周りの友達はみんな観てたし。『DRAGON BALL』の主題歌と言うと「CHA-LA HEAD-CHA-LA」が浮かぶ人も多いと思うが、オレたち世代はやっぱり《つかもうぜ! DRAGON BALL》の「魔訶不思議アドベンチャー!」だろう。しかし、『DRAGON BALL』って、もともと世界を旅して7つの球を集める物語だったはずなのに、最近はドラゴンボールのありがたみ低すぎじゃない?(笑)
■「かしこ」(’87) /うしろゆびさされ組
オレたちが小6になった1987年。世の中的にはバブル到来で好景気の波が押し寄せていたみたいだけど、ガキのオレたちには関係なし! ファミコンやって、ビックリマン集めて、ミニ四駆やってと小学校生活を謳歌すべく、遊び倒してた思い出しかありませんが。当時、とんねるずが大好きだった僕は火曜と水曜だけは『夕やけニャンニャン』観たさに早めに帰って、「タイマンテレフォン」や「ニャンニャン腕相撲」を爆笑しながら見てました。そして、同時期に大好きだったのが、アニメ『ハイスクール奇面組』。その主題歌とEDテーマを歌ってたのが、おニャン子クラブから派生した、うしろゆびさされ組だったのだから、ファンになるのは必然という感じでしたが。高井麻巳子は「こんな可愛い人いるんだ!」と初めて意識した異性だったし、うしろゆびさされ組は初めて夢中になったアイドルだった。ラストシングルとなった「かしこ」など、改めて聴くと名曲満載の彼女らですが。その後、高井麻巳子が秋元 康の奥さんになったことを考えると、曲作りに自然と力も入ったのかも?と余計なことを勘ぐってしまう(笑)。
■「ガラスの十代」(’88) /光GENJI
オレたちが中学生になり、少しだけ大人になった気分でいた1988年。BOØWYが東京ドームで『LAST GIG』を行ない、RCサクセションの『カバーズ』が素晴らしすぎて発売中止。エクスタシーレコードからXの『Vanishing Vision』発売と、日本のロックシーンが騒がしくなってきたこの年ですが。メインストリームを賑わせていたのは、1987年に「STAR LIGHT」でデビューした光GENJIだった。クラスの女子がみんな夢中になってて、下敷きに切り抜きを挟んで「かーくん、カッコ良い!」「私はあっくん派!」とかキャーキャー言って、全国の男子を大いに嫉妬させた。1988年の年間チャートでは、「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」で1~3位を独占! 「なにが光GENJIだよ!」とか言いながら、異性を意識した男子たちが履いてたケミカルウォッシュのジーンズは、完全に光GENJIの影響でした(笑)。
■「ラブレター」(’89) /THE BLUE HEARTS
昭和が終わり、平成が始まった1989年。手塚治虫や美空ひばりが亡くなり、ベルリンの壁が崩壊。子供ながらにひとつの時代の終わりを感じた年だったが、中1から中2へと進学する、思春期ど真ん中だったオレたちは時代の終わりより、新しい時代の始まりにワクワクしてた。『イカ天』こと『三宅裕司のいかすバンド天国』が始まり、ロックバンドがチャートを賑わすバンドブームが到来。地元にできたレンタルCDショップに通い、中学の入学祝いに買ってもらったミニコンポで、新しい音楽を夢中で聴きまくってた当時の僕。最も衝撃を受けたのがドラマ『はいすくーる落書』で知ったTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」でした。真っ直ぐな歌と言葉、激しい演奏に一発で胸を貫かれた僕は、アルバム『TRAIN-TRAIN』を即購入。宮下(友達)の兄ちゃんから回ってきた『THE BLUE HEARTS』『YOUNG AND PRETTY』のテープも擦り切れるほど聴いて、「ラブレター」もCDショップで予約して購入しました。昭和50年男の面白いところは、昭和の終わりはカルチャーがあまり分断していなかったので、これくらいの時代までの出来事はわりと誰もが共通の思い出として持ってること。その後、平成になってカルチャーがどんどん細分化されて。選択肢が一気に広がることで、自分の好みに合った音楽ジャンルに興味を持ったり、アニメやゲームに興味が行ったりと、それぞれが違った道に進んでいくのですが。意外とみんな、音楽の入口はTHE BLUE HEARTSだったりするから面白い。昭和50年生まれ以外にはあまりピンと来ないかもしれないが、僕は今につながる自分を形成する人生でもかなり重要な時期を、この時代に過ごせて良かったと改めて思う。
TEXT:フジジュン(昭和50年生まれ)
フジジュン プロフィール:1975年、長野県生まれ。『イカ天』の影響でロックに目覚めて、雑誌『宝島』を教科書に育った、ロックとお笑い好きのおもしろライター。オリコン株式会社や『インディーズマガジン』を経て、00年よりライター、編集者、デザイナー、ラジオDJ、漫画原作者として活動。12年に(株)FUJIJUN WORKSを立ち上げ、バカ社長(クレイジーSKB公認)に就任。メジャー、インディーズ問わず、邦楽ロックが得意分野だが、EBiDANなど若い男の子も大好き。笑いやバカの要素を含むバンドは大好物。
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