「ロング・トレイン・ランニング」と「チャイナ・グローブ」の2曲は、ロックファンなら一度は聴いたことがあると思う。この2曲が収録されているのが、ドゥービーブラザーズの3rdアルバムとなる本作『キャプテン・アンド・ミー』である。のちに、健康上の理由で脱退を余儀なくされるトム・ジョンストンだが、この時はまだまだ絶好調だ。パワフルで黒っぽいヴォーカルと荒削りなギターワークは全開で、ウエストコーストロックの雄としてイーグルスと並び世界中を席巻した時期。前作『トゥールーズ・ストリート』からスタートするドゥービーブラザーズの第2期は、ツインギターとツインドラムの編成で、ハードなナンバーからフォーク(カントリー)ロックまでこなす正にウエストコーストを代表するグループであった。
■スリーマイル島の原発事故と ノー・ニュークス (ミューズ・コンサート)
1979年3月、米ペンシルベニア州にあるスリーマイル島での原発事故は、世界に衝撃を与える重大な事件であった。この原発ではメルトダウンが起こり、放射能が周辺地域に漏れ出す結果を招いた。アメリカではこの事故の直前にメルトダウンの恐ろしさを描いた映画『チャイナ・シンドローム』(79年3月公開(日本では同年9月公開)。ジャック・レモンとジェーン・フォンダ主演)が公開されたばかりで、国民の原発への意識が高まろうとする最中であっただけに、反原発運動はあっと言う間に全米に広がっていく。
中でも、俳優やミュージシャンたちは熱心に反核・反原発運動を展開し、さまざまなイベントを繰り広げていた。アメリカ西海岸を中心に活動するミュージシャンたちが集結した『ノー・ニュークス(ミューズ・コンサート)』は、スリーマイル島の事故からわずか半年後にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されることになる。1979年9月19日から5日間にわたって行われたこのコンサートは、ドゥービーブラザーズ、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、CS&N、ニコレット・ラーソン、ジェシ・コリン・ヤング、ジョン・ホール(オーリアンズ)、ポコといったウエストコーストロックを代表するアーティストのほか、ブルース・スプリングスティーン、ライ・クーダー、ジェームス・テイラー、カーリー・サイモン、チャカ・カーン、ギル・スコット・ヘロン、レイディオ、スイート・ハニー・イン・ザ・ロックなどの大物アーティストが参加した強力なイベントとなり、同年末に早くもリリースされたアルバムは3枚組のボリュームとなった。
余談だが、このレコードについていたブックレットには、原発の危険性についてはもちろん、原発施設の安全規則違反を訴えたカレン・シルクウッドが謎の交通事故死を遂げたシルクウッド事件(83年に映画化されている)にも触れており、当時興味深く読んだものである。
さて、このコンサートでオープニングとエンディングを務めたのがドゥービーブラザーズで、インターネットのない時代の日本人にとって、この時期の彼らがいかにビッグアーティストであったか、このアルバムのおかげで認識できたのだ。この時期のドゥービーブラザーズはマイク・マクドナルドがリーダーであり、いわゆるウエストコーストロックのバンドではなく、AOR寄りのアダルトグループに変わってしまっていただけに、トム・ジョンストンがリーダーシップを発揮していたかつてのドゥービーブラザーズを愛する者にとっては残念に感じたものだ。
では、ウエストコーストロック時代のドゥービーブラザーズとはどんなグループであっただろうか。
■ウエストコーストロックについて
ドゥービーブラザーズがデビューしたのは1971年。デビュー作では地味なフォークロックを聴かせていた彼らが注目されたのは「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」と「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」の2曲を収めた2ndアルバム『トゥールーズ・ストリート』(‘72)をリリースしてからだ。特に「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」は全米で大ヒット、70年代初期のアメリカンロックを代表するナンバーだと言っても過言ではない。この曲に見られるような軽快なリズム感と爽やかなコーラスを中心としたフォーキーかつアーシーなロックは、アメリカ西海岸産のグループやシンガー独特のサウンドであり、それらを総称してウエストコーストロックと呼ばれるようになる。
その起源はと言えば、主にバーズ一派(フライング・ブリトー・ブラザーズ、ディラード&クラーク、ディラーズなどを含む)のサウンドと、CSN&Yを模したコーラスを組み合わせたものである。ウエストコーストロックのスタイルを作り上げたのは、多くのアーティストの試行錯誤によるものだが、ウエストコーストロックの完成形のひとつとしては、ドゥービーブラザーズの「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」とイーグルスのデビュー曲「テイク・イット・イージー」(‘72)の2曲が挙げられる。日本でウエストコーストロックという呼称が定着したのは、この2曲の存在が大きい。もちろん、リンダ・ロンシュタットやジャクソン・ブラウンの諸作もウエストコーストロックであることは確かであるが、この2曲のインパクトはあまりにもすごかった。この2曲がリリースされた前後の70年代初頭から数年、アメリカや日本では自然志向が強まったこともあって、アメリカのロック界ではウエストコーストロックが主流となり、ピュア・プレイリー・リーグ、フールズ・ゴールド、J.Dサウザー、マイケル・ディナー、ファイアーフォール、ファンキー・キングス、ポコ、ロギンス&メッシーナなど、優れたアーティストが次々に登場する。
70年代中頃になると、レコード会社が巨大化していくのに伴って、ローカルな音楽であるウエストコーストロックを全世界で売るためにテコ入れが始まる。その過渡期にリリースされたのがイーグルスの『呪われた夜』(‘75)、『ホテル・カリフォルニア』(’76)やドゥービーブラザーズの『テイキン・イット・ザ・ストリート』(’76)といった作品である。ジャクソン・ブラウンはAOR寄りに向かい、リンダ・ロンシュタットはニューウェイブ的なサウンドで勝負するなど、徐々に軽やかでナチュラルなウエストコーストロックのテイストは失われていく。その過程が最もよく分かるのがドゥービーブラザーズだと思う。
■ドゥービーブラザーズの歩み
1970年、ギター&ヴォーカルのトム・ジョンストン、同じくギター&ヴォーカルのパット・シモンズ、ベースのデイブ・ショグレン、ドラムのジョン・ハートマンの4人組で、第1期ドゥービーブラザーズはスタートする。フォークロックタイプのデビュー作『ドゥービーブラザーズ・ファースト』(‘71)をリリースするが、ジョンストンとシモンズの音楽性をうまく活かせずに鳴かず飛ばずの結果となった。
デビューアルバムをリリース直後、ベースのショグレンの代わりに、シモンズの旧友のタイラン・ポーターを迎え、2人目のドラムにマイケル・ホサックが加入、大人しいフォークロックから大音量のアメリカンロックグループへと大幅な方針転換を行ない、多くのファンを持つ黄金期とも言える第2期ドゥービーブラザーズが誕生する。この時期は曲によってジョンストンのダイナミックさとシモンズの繊細さを分散させることで、良い結果を生むことになる。2nd『トゥールーズ・ストリート』(‘72)からは「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」(全米11位)、カバー曲の「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」(全米35位)やシングルカットこそしていないが代表曲のひとつである豪快なアメリカンロックナンバー「ロッキン・ダウン・ザ・ハイウェイ」を収録するなど素晴らしいアルバムとなっている。
なお、第2期にはキーボードでリトル・フィートのビル・ペインが参加しており、第2期ドゥービーブラザーズの成功になくてはならない存在であった。ペイン自身もドゥービーブラザーズには愛着を持っており、何度も正式メンバーにと誘われたのだが、人気はドゥービーブラザーズには劣るがリトル・フィートの高い音楽性が彼をとどまらせたようだ。
■熱いロックと フォーク(カントリー)ロックの バランス
ドゥービーブラザーズのグループとしての魅力は、対照的なふたりのソングライター&ヴォーカルが雰囲気の違う曲を書くことにあった。トム・ジョンストンのパワフルで荒削りのハードなナンバーと、パット・シモンズのフォーキーで繊細なナンバーが初期ドゥービーブラザーズの特徴であり、その絶妙なバランス感(誰もが長続きはしないだろうとは考えていたが)が素晴らしかった。カントリーロックタイプの「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」とハードなアメリカンロックの「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」の2曲がヒットしただけに、ジョンストンとシモンズは自分たちの役割を明確に認識したはずである。そして、その役割がピッタリはまったのが、続く3作目のアルバムとなる名曲揃いの『キャプテン&ミー』(‘73)なのである。
■本作『キャプテン&ミー』について
収録曲は全部で11曲。前作と比べ、演奏面でもヴォーカル面でも格段にパワーアップしており、ツインリードギター、シンセ、パーカッション、マウスハープなどの使用が適材適所であり、アレンジ面にかなりこだわったことが分かる。1曲目の「ナチュラル・シング」から4曲目の「ダーク・アイド・ケイジャン・ウーマン」まではジョンストンがソングライティングを務めていて、リードヴォーカルも彼が担当している。この4曲どれもが名曲・名演で、特に「ロング・トレイン・ランニング」(全米8位)と続く「チャイナ・グローブ」(全米15位)は、ロックの醍醐味がしっかり味わえる傑作である。
他にもハードロックンロールの「ウイズアウト・ユー」(珍しく、ハートマンとホサックの共作)と「イーヴル・ウーマン」(これも珍しいシモンズによるハードロックナンバー)や、ドゥービーブラザーズの代表曲のひとつとして知られるカントリーロックの名曲「サウス・シティ・ミッドナイト・レディ」では、当時スティーリー・ダンに在籍していたジェフ・バクスターがペダルスティールで参加しており、これがきっかけとなり、のちに彼もドゥービーブラザーズのメンバーとなる。サザンロック風テイストの「ユカイア」は隠れた名曲だと思う。タイトルトラックの「キャプテン・アンド・ミー」はジョンストンの曲だがシモンズが得意とするタイプのナンバーで、組曲風の展開を見せる。ここでは「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」と同様、バンジョーが効果的に使われているのだが、なぜかどちらもクレジットがない。弾いているのはシモンズで間違いないだろう。
■その後のドゥービーブラザーズ
本作は全米チャートで7位となり、イーグルスと並んでウエストコーストロックの代表グループとして彼らは全盛期を迎えることになる。この後にリリースした4th アルバム『ドゥービー天国(原題:What Were Once Vices Are Now Habits)』(‘74)では、シモンズ作の「ブラック・ウォーター」で念願の全米1位を獲得するなど充実した活動を展開するのだが、ジョンストンの体調不良(ドラッグによる)などで、5th作の傑作『スタンピード』をリリース後にマイク・マクドナルドと入れ代わるかたちで休養を余儀なくされ、ジョンストン時代のドゥービーブラザーズは一旦幕を下ろすことになるのである。
前述の『ノー・ニュークス(ミューズ・コンサート)』に登場するドゥービーブラザーズは、マイク・マクドナルド加入後のAOR路線を突き進んでいる時で、全米1位を獲得した8thアルバムの『ミニット・バイ・ミニット』(‘78)が爆発的にヒットした頃に当たる。
TEXT:河崎直人
アルバム『THE CAPTAIN AND ME』
1973年発表作品
<収録曲>
1. ナチュラル・シング/NATURAL THING
2. ロング・トレイン・ランニン/LONG TRAIN RUNNIN’
3. チャイナ・グローヴ/CHINA GROVE
4. ダーク・アイド・ケイジャン・ウーマン/DARK EYED CAJUN WOMAN
5. クリア・アズ・ザ・ドリヴン・スノー/CLEAR AS THE DRIVEN SNOW
6. ウィズアウト・ユー/WITHOUT YOU
7. サウス・シティ・ミッドナイト・レディ/SOUTH CITY MIDNIGHT LADY
8. イーヴル・ウーマン/EVIL WOMAN
9. オコーネリー・コーナーズ/BUSTED DOWN AROUND O’CONNELLY CORNERS
10. ユカイア/UKIAH
11. キャプテン・アンド・ミー/THE CAPTAIN AND ME
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