Music Information

日本のAORファンに熱狂的に支持されたボビー・コールドウェルの『イヴニング・スキャンダル』

7月に来日したばかりのボビー・コールドウェル。78年のデビューから現在まで、日本での人気は衰えることがないAOR(アダルト・オリエンテッド・ロックの略。現在はAC(アダルト・コンテンポラリー)と呼ばれることが多いが、ここでは当時の雰囲気を生かしてAORと呼ぶ)を代表するシンガーのひとりである。残念ながら所属レコード会社の倒産などもあって、彼の出身地のアメリカではそう知られているわけではないが、ジャズからポップスまで幅広く歌える実力派のシンガーだ。彼が当初所属していたTKレコードはマイアミ(フロリダ州)にあり、サザンソウルのような泥臭い作品からディスコ音楽まで幅広い守備範囲で知られている。有名なところでは「ザッツ・ザ・ウェイ」のヒットで知られるKCアンド・ザ・サンシャイン・バンドや「クリーン・アップ・ウーマン」のベティ・ライトらが在籍していた。21世紀になってからイギリスの女性歌手ジョス・ストーンが『ソウル・セッションズ』(‘03)でデビューした時、このレコード会社へのリスペクトを示し大いに注目を浴びた。今回は70年代の後半に日本で圧倒的な人気を誇ったボビー・コールドウェルのデビュー作『イヴニング・スキャンダル(原題:Bobby Caldwell)』を取り上げる。

■日本でのみ売れた “ビッグ・イン・ジャパン”作品

ボビー・コールドウェルは日本では大いに売れているがアメリカでは芳しくない。そういう現象は“ビッグ・イン・ジャパン”と呼ばれており、長いこと洋楽を聴いているファンはいくつか心当たりがあるはずだ。例えば、ビージーズの「メロディ・フェア」(‘69)(これはイギリス映画『小さな恋のメロディ』(’71)のテーマ曲で、この映画自体が日本のみでヒットするという特殊な現象となった。名曲なので、聴くチャンスのなかった世界の人は間違いなく損をしている)、イングランド・ダンとジョン・フォード・コーリーの佳曲「シーモンの涙」(‘72)、マッシュマッカーンの「霧の中の二人(原題:As The Years Go By)」(’70)、ランナウェイズの「チェリー・ボム(原題:Cherry Bomb。リリース時の日本タイトルは「悩殺爆弾」であった…)」(‘76)などがある。日本でのみ売れるという現象はメディアの取り上げ方を始め、運とかタイミングも大きく関係すると思うが、ターゲットが社会人相手であるだけに、数多く制作されたAOR作品は売れる作品のほうが少ないのもまた事実である。AOR時代にはボビー・コールドウェルに少し似たディック・セント・ニクラウスの「マジック」(‘80)が日本でのみヒットしている。

■AORが花開いた70年代半ば

“AOR”という言葉が使われだしたのは、1976年にボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』(76)が大ヒットしてからであったと思う。TOTOの面々をバックに従えたそのサウンドは見事なまでに都会的で、当時のお洒落が好きな社会人にはぴったりの音楽だった。青春期独特の“怒り”を秘めた若いリスナーは、ボズらの音楽とは真逆のパンクロックを聴いていたはずだ。両者は同時期に流行していたのだが、AORと似通ったテイストを持つフュージョンの登場もあって、『シルク・ディグリーズ』以降はAOR関連の作品がたくさんリリースされた。クルセイダーズを起用したマイケル・フランクスの『アート・オブ・ティー』(‘76)やジョージ・ベンソンの『ブリージン』(’76)、スタッフの『スタッフ!!』(‘76)、アル・ジャロウ『グロウ』(’76)、ネッド・ドヒニー『ハード・キャンディ』(‘76)、スティーリー・ダン『エイジャ』(’77)、リー・リトナー『キャプテン・フィンガーズ』(‘77)、TOTO『宇宙の騎士(原題:TOTO)』(‘78)、クリストファー・クロス『南から来た男』(‘79)など、枚挙にいとまがない。76年からテクノが現れる80年代初頭までがAORの全盛期となる。

■シンガーソングライターとニューソウル

このAOR志向は、いつから始まったのだろうか。僕はAORの隆盛はシンガーソングライター(白人)とニューソウル(黒人)の動きに関連していると考えている。ジェームス・テイラーの『スイート・ベイビー・ジェームス』(’70)や『マッド・スライド・スリム』(‘71)、キャロル・キングの『タペストリー』(‘71)といったシンガーソングライターのアルバムは、それまでのロックの多くがグループ中心であったのに対して、生ギター中心の弾き語りにサポートメンバーが付帯するというスタイルであった。このスタイルは白人だけのブームには終わらず、黒人ソウルシンガーにも影響を与える。

1971年にリリースされたマーヴィン・ゲイの記念碑的名作『ホワッツ・ゴーイン・オン』は、ポップスの要素が強かったそれまでのモータウン・レコードのサウンドを一変させる。このアルバムはシンガーソングライター作品のように内省的で社会的な問題提起を含むシリアスな音楽性を持ち、白人黒人を問わず、新しい音楽として認知されることになる。これ以降、黒人音楽はシンガーソングライター的なニュアンスを持つニューソウル系作品がメインになった。ダニー・ハサウェイやロバータ・フラックを筆頭に、ビル・ウィザーズ、テリー・キャリアー、ビリー・ポールらが登場して、それらのアルバムに参加したバックミュージシャンにも大きな注目が集まり、彼らの都会的なセンスは逆に白人シンガーソングライターのバックにも起用される結果となった。

■AORの萌芽が感じられる作品

突如スポットが当たったスタジオミュージシャンたちは黒人も白人も同じ土壌で各種アルバムに参加し、相互に影響を与えながら演奏テクニックは格段に向上していく。70年代初頭の時点で既にAORの萌芽は見られ、セールス的には芳しくなかったが、ベン・シドラン『夢の世界(原題:Feel Your Groove)』(‘71)、ビル・ウィザーズ『スティル・ビル』(’72)、アレサ・フランクリン『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』(‘72)、セヴェリン・ブラウン『セヴェリン・ブラウン』(’73)、マイケル・フランクス『マイケル・フランクス』(‘73)、キャロル・キング『ファンタジー』(’73)らのアルバムでは、のちのAORにつながる明らかに都会的なサウンドが生み出されていた。中でもダニー・オキーフの『そよ風の伝説(原題:Breezy Stories)』(’73)では、同じレーベルであったことも幸いしてか、白人シンガーソングライター作品にニューソウルの旗手であるダニー・ハサウェイが参加し、AOR誕生前夜を思わせる仕上がりとなった。また、フュージョンはシンガーを外したバックミュージシャンのみの活動である場合も少なくなく、AORとフュージョンは表裏一体の関係だとも言える。バックミュージシャンとして認められたTOTO、クルセイダーズ、スタッフなどは、AOR関連やフュージョン作品で引っ張りだことなり、その役割は現在まで続いている。

■本作『イヴニング・スキャンダル (原題:Bobby Caldwell)』について

マンハッタン生まれでマイアミ育ちのコールドウェルはジャズやポップスを聴いて育ち、思春期にはロックンロールを始めている。ヴォーカルをはじめ、ピアノ、ギター、ドラムなどもこなす早熟さで、17歳の頃にはラスヴェガスでスタンダードジャズやR&Bを演奏していたそうだ。78年初め、TKレコードと契約する。このレコード会社のリリースする作品の主なリスナーは黒人であったから、会社の幹部たちは彼の黒っぽいフィーリングを武器にしようと、彼の顔をアルバムジャケットには載せなかった。そして、彼のデビュー作となる本作『イヴニング・スキャンダル』がリリースされる。数曲の共作はあるが彼の作品が中心で、アレンジはCS&Nやロッド・スチュワートを手がけたマイク・ルイスが、プロデュースはTKレコード専属のアン・ホロウェイとマーシャ・ラドクリフが担当している。

収録曲は全部で9曲。ポップソウルの軽快なリズムと華美なストリングスをメインにした冒頭の「スペシャル・トゥ・ミー」は、伸びやかなコールドウェルのヴォーカルにマッチしたナンバーで、ディスコでも大ヒットした。間奏のサックスが夜の都会を見事に表現していて、彼の代表曲のひとつとなった。「ラブ・ウォント・ウエイト」も同傾向の曲。彼を代表するというかAORを代表する「風のシルエット(原題:What You Won’t Do for Love)」は日本のニューミュージックにも大きな影響を与えたナンバーで、彼の黒っぽいヴォーカルが生かされたキレの良いミディアムテンポの名曲。「マイ・フレイム」「カム・トゥ・ミー」「テイク・ミー・バック・トゥ・ゼン」などのバラードは彼の端正なヴォーカルを味わうにはもってこいの楽曲群だろう。ラストの「ダウン・フォー・ザ・サード・タイム」はシンプルな構成で、どこかスティーリー・ダンを思わせる仕上がりになっている。

この年、ジョン・トラヴォルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本でも封切られ、ディスコの人気が高まりつつあった時期でもあるので、本作も日本のディスコファンに大いに愛された。しかし、ディスコブームが終わっても彼の音楽は聴き継がれ、今でも多くのファンが彼の歌を愛している。彼は、単に流行だけを追いかけたのではなく、確かな音楽性に裏打ちされたヴォーカルテクニックとソングライティングのセンスが素晴らしかったからである。

TEXT:河崎直人

アルバム『Bobby Caldwell』

1978年発表作品

<収録曲>

1. スペシャル・トゥ・ミー/SPECIAL TO ME

2. マイ・フレイム/MY FLAME

3. ラヴ・ウォント・ウエイト/LOVE WON’T WAIT

4. キャント・セイ・グッドバイ/CAN’T SAY GOODBYE

5. カム・トゥ・ミー/COME TO ME

6. 風のシルエット/WHAT YOU WON’T DO FOR LOVE

7. カリンバ・ソング/KALIMBA SONG

8. テイク・ミー・バック・トゥ・ゼン/TAKE ME BACK TO THEN

9. ダウン・フォー・ザ・サード・タイム/DOWN FOR THE THIRD TIME

【関連リンク】
日本のAORファンに熱狂的に支持されたボビー・コールドウェルの『イヴニング・スキャンダル』
Bobby Caldwellまとめ
前島麻由、ソロデビューアルバム『From Dream And You』の詳細を一挙解禁