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大ヒット曲「真夜中のオアシス」を収録したマリア・マルダーの初ソロ作『オールド・タイム・レイディ』

1973年、豪華なゲスト陣を迎えて、ソロデビュー作にもかかわらず燻し銀の渋いアルバムを作り上げたマリア・マルダー。『オールド・タイム・レイディ(原題:Maria Muldaur)』は、普通のヒットアルバムとは少々趣を異にする。本作は売れるか売れないかではなく、アメリカンルーツをとことん追究し、自分が納得できる“良い作品”を生み出すことだけを考えて制作された出色の作品なのだ。彼女の音楽をソロデビュー前から知る者には驚きであっただろうが、都会的なテイストを持つ「真夜中のオアシス(原題:Midnight at the Oasis)」が大ヒット(全米6位、全英21位)し、一躍彼女の名は世界で知られるようになる。とりわけ、アーティストたちの間で彼女の艶やかな歌とバックの演奏のすごさが囁かれ、彼女は瞬く間にミュージシャンズ・ミュージシャンとなった。もちろん、それは現在においても変わらず、マルダーはアメリカを代表するシンガーのひとりとして数多くのアーティストたちから大きなリスペクトを集めている。この6月には9年振りに来日を果たし、元気な姿を見せてくれた。

■フォーク・リバイバルで人気を集めた ジャグバンド

1960年代はじめ、マリア・マルダー(当初はマリア・ダマート名義)はフォーク・リバイバルが大きなムーブメントになっていたニューヨークのグリニッチビレッジで活動を始める。フォーク・リバイバルはフォーク、ジャズ、R&B、ブルーグラス、ポップス、ロカビリー、トラッド、ワールドミュージックなど、さまざまな音楽を包含し相互に影響を与え合いながら、新しい音楽が次々に生み出されていたわけだが、ディランのような弾き語りが多かった中で、彼女は音楽活動をイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドというジャグバンドでスタートさせる。

ジャグバンドは1900年代初頭にブルースやラグタイムと融合したアメリカ南部の黒人を中心に広がった音楽で、19世紀後半に存在したミンストレル・ショー、20世紀になってその後を引き継いだヴォードヴィル(お笑いや手品、見世物など、大衆が集う演芸場のこと。フランスのバーレスクやイギリスのバラエティーと似ている。日本で言う演芸場のこと)や、メディシン・ショー(巡回薬局というか、薬を売るために音楽やお笑いを見せるショーのこと。日本でも昔は飴を売るために小学校の校門前におじさんが来て、紙芝居を見せていたのはみなさんご存知だろう…あ、僕とは時代が違うか)などで演じられた大道芸的な存在である。

その演奏は、ギター、バンジョー、マンドリンなどの通常音楽で使われる楽器と、ウォッシュボード(洗濯板)、カズー、ウォッシュタブベース(金だらいを裏返して木の棒に針金を張った一弦ベース)、ジャグ(大きい瓶で、息を吹き込んでベース音を出す)、スプーン、ノコギリなどの見た目にも楽しげな道具を使うのが特徴である。特にフィンガーピックを付けて演奏する(掻き鳴らす?)ウォッシュボードは、ジャグバンド独特のグルーブ感を生み出す重要なアイテムだ。

■ジャグバンド(スキッフル)出身の ロックアーティスト

ジャグバンド出身のアーティストは意外と多い。イギリスではジャグバンドのことをスキッフルと呼んでおり、呼び方が違うだけでほぼ同じものである。イギリスでは、デビュー前のビートルズがそうであったし、リッチー・ブラックモア、ヴァン・モリソン、ジミー・ペイジ、ロン・ウッド、アレクシス・コーナーらも元はジャグバンドの出身である。アメリカでは、ジャクソン・ブラウン、NGDB、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア、CCRのジョン・フォガティらがいる。

■ジム・クウェスキン・ジャグ・バンド

イーヴン・ダズン・ジャグ・バンドのメンバーは彼女の他、カントリーブルース・ギタリストとして日本でもファンの多いステファン・グロスマン、のちにジェリー・ガルシアとしょっちゅう共演するマンドリン奏者のデビッド・グリスマン、この後ラヴィン・スプーンフルを結成し「魔法を信じるかい(原題:Do You Believe in Magic)」(‘65)を全米で大ヒットさせるジョン・セバスチャン、ブルース・プロジェクトやBS&Tのメンバーとして活躍する才人スティーブ・カッツら豪華な面子を擁した。

当時、東海岸(ボストン界隈)ではジム・クウェスキン・ジャグ・バンドに大きな人気が集まっており、イーヴン・ダズン・ジャグ・バンドも2匹目のどじょうを狙い、64年にエレクトラレコードからデビューすることになるのだが、残念ながらさほど売れなかった。他にもアーティー・トラウムのトゥルー・エンデヴァー・ジャグ・バンドやデイブ・ヴァン・ロンクのラグタイム・ジャグ・ストンパーズなどが活動してはいたが、クウェスキンの人気には及ばず、どのグループも短命であった。というか、多くのアーティストがジャグバンドのグループは通過点としてみていたというほうが確かであろう。

ほどなくしてイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドは解散するのだが、彼女のヴォーカルとフィドルの腕前、そしてルーツ音楽への深い造詣を買われ、ジム・クウェスキン・ジャグ・バンドに参加することになった。クウェスキンのグループには、ビル・キース、ジェフ・マルダー、フリッツ・リッチモンドら、さまざまなルーツ音楽に精通した優れた人材が揃っており、彼女のルーツ音楽への探求心はますます深くなっていく。結局、クウェスキン・ジャグ・バンドで3枚のアルバムに参加、中でもリプリーズレコードからリリースされた『ガーデン・オブ・ジョイ』(‘67)は高い評価を得た。

■敏腕プロデューサー、ジョー・ボイド

彼女はクウェスキンのグループで知り合ったジェフ・マルダーと結婚し、ダマートからマルダーに名前が変わる。数年後には離婚することになるのだが、現在までマルダー姓は変えずに活動している。リプリーズでプロデューサーのジョー・ボイドと出会い、ボイドは彼女にソロシンガーで活動することを勧めるが、彼女はジェフと一緒にやりたかったため、クウェスキン・ジャグ・バンド解散後、ジェフ・アンド・マリアとして活動を始めた。

ジョー・ボイドは英米をまたにかけ、多くのグループやシンガーを見出した敏腕プロデューサーである。例えば、先週このコーナーで紹介した『スーパー・セッション』の文中に登場する『ホワッツ・シェイキン』(66)に収録された世界初のスーパー・セッション、エリック・クラプトン&パワーハウス名義の3曲はボイドのプロデュースだし、トラッドロックグループのフェアポート・コンヴェンションの諸作をはじめ、ピンク・フロイド、ソフト・マシーン、ニック・ドレイク、インクレディブル・ストリング・バンドなどを発掘している。彼がロック界に残した業績は、とてつもなく大きい。

ボイドのプロデュースの特徴は、アーティストの音楽ルーツを明確に感じさせる手法である。ジェフ・アンド・マリアの第1作『ポテリー・パイ』(‘70)では、オールドジャズ、フォーク、カントリーといった彼女の音楽的資質と、ジェフ・マルダーのバックボーンであるカントリーブルースをごちゃ混ぜにしつつも、各素材のテイストも損なわずに提示するという離れ業をやってのけた。この『ポテリー・パイ』にはさまざまなアメリカンルーツ音楽が詰まっているのだが、当時はジャンル分けができないために売れなかった。しかし、内容は素晴らしく、ボイドの面目躍如とも言える仕上がりであった。現在、こういう音楽はアメリカーナとして認知されているが、ボイドのやっていることは当時としては新しすぎたのかもしれない。

その後、ジェフ・アンド・マリア名義で2作目となる『スイート・ポテト』(‘72)をリリースしたものの結婚生活が破綻、彼らはそれぞれの道を進むことになる。ジェフはポール・バターフィールドの名グループ、ベターデイズに参加し、そしてマリアはソロに転向する。もちろん、ボイドは当初から彼女をソロ歌手としてデビューさせたかっただけに、プロデュースはボイドが担当することになる。

■マッド・エイカーズ

ソロになる前に、彼女が参加したアルバム『マッド・エイカーズ(原題:Mud Acres Music Among Friends)』(‘72)に少し触れておく。同作はウッドストックに住むアーティストたちが集まって、アンプラグドでアメリカのコモンストックを演奏するという企画アルバムだ。ハッピー&アーティー・トラウム、エリック・カズ、ビル・キース、ジョン・ヘラルドといったウッドストック派のアーティストたちが集まったセッションで、彼女もここで素晴らしい歌唱を披露している。この体験がこの後の彼女のソロ作の充実につながったことは間違いない。全ての歌と演奏が文句なしの仕上がりで、『マッド・エイカーズ』は名盤となった。当初は1枚のみの企画のはずだったが、思いのほか受けが良かったため継続することになり、以降数枚のアルバムがリリースされた。ただし、彼女はソロ活動で忙しくなったため、最初の1枚にしか参加していない。

■本作『オールド・タイム・レイディ』 について

これまでの彼女の音楽経験の集大成が、この初ソロで聴ける。本作はアメリカのポピュラー音楽史に残る名盤中の名盤である。

まずは、このアルバムに参加したバックミュージシャンの豪華なこと。ギターに、スライドギターの名手であるライ・クーダー、後期バーズのメンバーでブルーグラスギターの一時代を築いたクラレンス・ホワイト、ジェフ&マリア時代からの付き合いで、人間離れしたテクニックで知られるエイモス・ギャレット、本作収録の『真夜中のオアシス』を書いたソングライター兼ギタリストのデビッド・ニクターンらが参加。ベースにはボニー・レイットのバックを務めるフレットレスベースとチューバをこなすフリーボ、ビートルズ・ファミリーのクラウス・フォアマン、フライング・ブリトー・ブラザーズの創立メンバーで数多くのセッションもこなすクリス・エスリッジ、ジャズベースの名手レイ・ブラウンも参加。ドラムにはアメリカが誇るジム・ケルトナーとデレク・アンド・ザ・ドミノスのジム・ゴードンが、キーボードには先日亡くなったドクター・ジョンをはじめ、スプーナー・オールダム、マーク・ジョーダン(同名異人は多いが、本作に参加しているのはデイブ・メイソンのバックを務めていた人)が参加している。他にもクウェスキン・ジャグ・バンドからの盟友、ビル・キースとリチャード・グリーン、イーヴン・ダズン・ジャグバンドで一緒だったデビッド・グリスマンなどが参加し、彼女のソロデビューを祝福している。

収録曲は全部で11曲。大ヒットした「真夜中のオアシス」はデビッド・ニクターンの手になる名曲で、エイモス・ギャレットの名演も含め多くの模倣を生んだ。特に日本のニューミュージック界に与えた影響は大きい。他にもヘレン・レディがヒットさせたロン・デイヴィーズの名曲「長くつらい登り道(原題:Long Hard Climb)」、ブルーグラス風にアレンジしたドリー・パートンの初期の代表曲「マイ・テネシー・マウンテン・ホーム」、ドクター・ジョン作で彼のピアノが冴え渡る「スリー・ダラー・ビル」など、非の打ち所のない名演揃いである。また、当時はまだ知られていなかったウェンディ・ウォルドマン(デビューは73年)やケイト&アンナ(デビューは76年)の曲も新人とは思えない深さを持つ曲で、彼女(ボイドかもしれない)の音楽センスには脱帽するばかりだ。

彼女のヴォーカルの強みは、洗練されたジャズ感覚とブルージーな泥臭さが違和感なく同居しているところにあり、スパイスとしてのレトロ感覚がノスタルジーを呼び起こしてくれる。彼女の登場以降、古き良きアメリカを歌う歌手が一挙に増えたが、マリア・マルダーの艶のある色っぽさには及ばない。恐らくそれは、彼女がジャグバンド出身であることに関係するのではないかと僕は考えている。

いずれにしても、本作はずっとそばに置いておくべき名作である。

TEXT:河崎直人

アルバム『Maria Muldaur』

1973年発表作品

<収録曲>

1. エニー・オールド・タイム/Any Old Time

2. 真夜中のオアシス/Midnight At The Oasis

3. マイ・テネシー・マウンテン・ホーム/My Tennessee Mountain Home

4. ラヴ・ソングは歌わない/I Never Did Sing You A Love Song

5. ザ・ワーク・ソング/The Work Song

6. ドント・ユー・フィール・マイ・レッグ/Don’t You Feel My Leg(Don’t You Get Me High)

7. ウォーキン・ワン&オンリー/Walkin’ One & Only

8. ロング・ハード・クライム/Long Hard Climb

9. スリー・ダラー・ビル/Three Dollar Bill

10. ヴォードヴィル・マン/Vaudeville Man

11. マッド・マッド・ミー/Mad Mad Me

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