ジェニファー・ウォーンズは、映画のテーマ曲「愛と青春の旅だち(原題:Up Where We Belong)」(ジョー・コッカーとのデュエット、82年)や『ダーティー・ダンシング』の「タイム・オブ・マイ・ライフ」(ビル・メドレーとのデュエット、87年)で日本でもよく知られているが、どちらもデュエット作のせいか、彼女の芸術的歌唱力が十分に発揮されているとは言えない。しかし、今回取り上げる彼女の4枚目のアルバム『ジェニファー・ウォーンズ』(’77)には、その魅力が十二分に詰まっている。楽曲の良さ、アレンジ、歌の表現力、ハイレベルの歌唱力など、どこを取っても文句なしの仕上がりだ。本作はAORに分類されることが多いが、ジャンルに関係なく洋楽が好きな人なら誰もが納得できる名盤に仕上がっている。
■アカデミー賞歌曲賞を3回獲得
ジェニファー・ウォーンズは非常に歌が上手い。それは単に声域が広いとかビブラートが巧みとかいうレベルではなく、自作はもちろん他作であっても、楽曲の本質を深く理解した上で過不足のない歌唱表現ができるタイプである。大袈裟でトリッキーな歌い方はせず、あくまでも楽曲にマッチした表現をすることに徹しているから、ある意味で地味に映るかもしれない。しかし、それこそがジェニファー・ウォーンズという歌手の真骨頂である。
これまでに彼女は3回のアカデミー賞歌曲賞を受賞している。最初の受賞は1979年、サリー・フィールド主演の『ノーマ・レイ』の主題歌「流されるままに(原題:It Goes Like It Goes)」で、静かな中に熱く秘めた想いを彼女は見事に表現し、シンガーとして世界的な評価を得る。この映画はブラック企業に搾取される女性たちの労働運動を描いたシリアスな作品で、残念なことに日本では話題を集めることもなく、短期間の公開で終わってしまったが、冒頭に流れるジェニファーの歌は素晴らしく、サリー・フィールドの名演(この作品でアカデミー主演女優賞を獲得)もあって、映画館ではすすり泣く人も少なくなかった。この映画がエンターテインメント作品であったなら、ジェニファー・ウォーンズの名は日本でもっと知られていたと思う。
そして、2回目の受賞がみなさんご存知の『愛と青春の旅だち(原題:An Officer and a Gentleman)』である。この曲に関しての説明はいらないだろう。ジョー・コッカーとのデュエット作品で、当時のMVでのふたりの対照的な動きに視聴者の笑いを誘っていたが、これも名曲かつ名演である。3回目のアカデミー受賞作となる映画『ダーティー・ダンシング』の挿入歌「タイム・オブ・マイ・ライフ(原題:(I’ve Had)The Time of My Life)」は、時代的な事情もあって、打ち込み中心のダンサブルなナンバーとなり、今聴くと古臭い感じが否めないし、楽曲自体たいした曲とは思えないのだが、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞、グラミー賞の3冠に輝いた。映画のメガヒットに助けられたのかもしれない。
■ジェニファー、 ジェニファー・ウォーレン、 ジェニファー・ウォーンズ
彼女は幼少期から歌手志望で、声楽やオペラ曲を学んでいる。60年代にフォークリバイバルのムーブメントから華々しくデビューしたボブ・ディランやジョーン・バエズに感化され、コーヒーハウスやライヴハウスでシンガーソングライター(以下、SSW)としての活動をスタートさせている。フォークシンガーとしてデビューすべく、オリジナル曲の創作やヴォーカルアレンジなどにも取り組んでいた。67年にはパロットレコードと契約が決まり、『…I Can Remember Everything』(‘68)で念願のデビューを果たすのだが、レコード会社は彼女をアイドル的なスタンスのフォークロック歌手として扱い、結局は2作目の『See Me, Feel Me, Touch Me, Heal Me!』(’69)も、彼女の良さが引き出されないまま鳴かず飛ばずであった。なお、デビューから2枚はジェニファーという芸名でリリースされている。
60年代末、ロサンジェルスのライヴハウスで人気を呼んでいたのがストーン・ポニーズのリードシンガー、リンダ・ロンシュタットである。その後、ロンシュタットは独立し、新しいタイプ(カントリー・フォークロック的なサウンド)のシンガーとして人気が急上昇していた。大手レコード会社は第2、第3のロンシュタットを探しており、リプリーズレコードが目をつけたのがジェニファーであった。彼女自身、パロットでの扱いには嫌気がさしていただけにこの移籍は渡りに船で、プロデューサーに元ベルベット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルを迎えて、ジェニファー・ウォーレン名義で『ジェニファー』(‘72)をリリースする。バックを務めるのはウィルトン・フェルダー(クルセイダーズ)、リッチー・ヘイワード(リトル・フィート)、ラス・カンケル(セクション)、ジャクソン・ブラウン、スニーキー・ピート、スプーナー・オールダムら腕利きのセッションマンが参加、選曲もプロコル・ハルム、ドノヴァン、ジャクソン・ブラウン、ビージーズ、フリーなど幅広く、1曲ではあるがオリジナルも収録している。
このアルバムは、これまでで一番の出来とはなったが、よくある西海岸風フォークロック作品となり、ヴォーカリストとしての彼女の魅力は十分には引き出されないままであった。この作品、アメリカではすぐに廃盤となったが、ジャクソン・ブラウンやラス・カンケルらが参加していることから日本の熱心なSSWファンの間では少し話題となった。余談だが、このアルバムは2013年に日本でCD化(世界初CD化!)されている。そして、今回紹介する『ジェニファー・ウォーンズ』で、彼女は初めて本名での活動をスタートさせる。
■レナード・コーエンとの親交
リプリーズでのレコーディングの前後、その歌唱力が徐々に認められ、テレビ出演が決まったり、他のアーティストのバックヴォーカルを務めたりするなど、一気に仕事が増えている。そして、彼女にとって大きな転機が訪れる。71年に、カナダの著名な作家でSSWに転向した才人レナード・コーエンと出会い意気投合し、彼のレコードやツアーでバックヴォーカルやヴォーカルアレンジを任される。ふたりの友好関係はコーエンが亡くなる2016年まで続き、彼女のシンガーとしての表現力はコーエンによって大きく開花することになる。
■アリスタとの契約で一気にブレイク
リプリーズとの契約はどうやら単発だったようで、次に彼女に興味を示したのは当時設立されたばかりのアリスタ・レコード。社長のクライブ・デイヴィスはもともとコロンビア・レコードの社長を務め、ジャニス・ジョプリン、ローラ・ニーロ、サンタナ、アース・ウインド&ファイア、エアロスミスらと次々に契約を結び、大きな業績を挙げた人物だ。中でも、彼が手がけたカントリーシンガーであるリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」(‘70)は驚異のヒットとなり、世界16カ国で1位を獲得し、そのセールスは以後27年間破られることはなかった。
彼はジェニファーの潜在能力をいち早く察知し、ストーンズやジョージ・ハリソンらのアレンジャーとして知られるジム・プライスに彼女の新作のプロデュースを依頼、多忙なプライスは少しずつ彼女のレコーディングを進めるが、クライブにデモを聴かせる期限になっても録音が終わらず、業を煮やしたクライブはもうひとりのプロデューサーとして、イーグルスの『ならず者(原題:Desperado)』や『呪われた夜(原題:One Of These Nights)』でストリングスアレンジを担当したジム・エド・ノーマンに声をかける。彼はプロデューサーとしての仕事は初めてであったものの、それだけに渾身の力を込めて手がけることになった。彼がプロデュースを手がけたのは2曲のみであるが、その2曲がジェニファーのアリスタ移籍第1作を大成功に導くのである。
■本作『ジェニファー・ウォーンズ』 について
先ほど少し触れたが、本作で初めて、彼女は本名のジェニファー・ウォーンズを名乗ることになる。それは、このアルバムが彼女にとって初めて納得のいく作品となったからであろう。収録曲は全11曲、歌、アレンジ、楽曲の質、曲の並び順など、どの部分を切り取っても完璧な仕上がりである。ジム・エド・ノーマンがプロデュースした「星影の散歩道(原題:Right Time Of The Night)」と「夢を見ながら(原題:I’m Dreaming)」はどちらもシングルカットされ、大ヒットしている。「星影の散歩道」はSSWのピーター・マッキャンの曲で、彼女は歌詞の一部が気に入らなかったためレコーディングを拒んでいたが、作者のマッキャンは彼女の意見を受け入れて歌詞を書き換えている。この2曲、クライブがヒットする曲を入れたいと選曲したもので、彼の耳がいかに優れているかを証明したナンバーとなった。
他にもアルバムを1枚リリースしてはいるが、まったく知られていないSSWのスティーブ・ファーガソンの曲を2曲(「ママ」「あなたは私のもの(原題:You’re The One)」)取り上げていたり、グラム・パーソンズの名演で知られる「ラヴ・ハーツ」やストーンズの「シャイン・ア・ライト」など玄人好みの渋い曲も、彼女の歌唱力のおかげで、新しい命を吹き込まれている。彼女が書いた「行かないでダディ(原題:Daddy Don’t Go)」も良いし、ジャクソン・ブラウンのバックを務めていたダグ・ヘイウッドが書いたカントリーナンバー「ドント・リード・ミー・オン」も素晴らしい曲だ。
また、本作のバックを務めるアーティストも実に豪華で、ギターにジェイ・グレイドン、ダニー・クーチ、キーボードにニッキー・ホプキンス、ダグ・リビングストン、ホーンにジム・ホーン、ジム・プライス、ドラムにはラス・カンケル、他にもケニー・エドワーズやハーブ・ペダーソンなど、西海岸を代表するプレーヤーが参加している。
最後にエピソードをひとつ。本作のジャケット裏とレコード盤(LP当時)には1976年と明記されているものの、レコーディングに時間がかかってしまい、実際のリリースは1977年の1月にずれ込んでいる。76年の夏にはジャケットも含め発売準備は済んでいたのだが、クライブ・デイヴィスが営業的な観点から77年の1月までリリースを待つように指示している。
本作のように完成度の高いアルバムにはそう簡単には出会えないものだが、アリスタからの第2弾『ハートで一撃(原題:Shot Through The Heart)』(‘79)も本作同様素晴らしい出来である。もし彼女の作品を聴いたことがないなら、この機会にぜひ聴いてみてください。新しい発見がきっとあると思うよ♪
TEXT:河崎直人
アルバム『Jennifer Warnes』
1977年発表作品
<収録曲>
1. ラヴ・ハーツ/Love Hurts
2. ラウンド・アンド・ラウンド/Round and Round
3. シャイン・ア・ライト/Shine A Light
4. あなたは私のもの/You’re the One
5. 夢を見ながら/I’m Dreaming
6. ママ/Mama
7. 星影の散歩道/Right Time of the Night
8. マギー・バック・ホーム/Bring Ol’ Maggie Back Home
9. ドント・リード・ミー・オン/Don’t Lead Me On
10. 行かないでダディ/Daddy Don’t Go
11. オー・ゴッド・オブ・ラヴリネス/O God of Loveliness
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