膵臓がんで闘病を続けていた遠藤ミチロウが亡くなった。享年68歳。訃報は5月1日に届いた。令和という新しい時代の到来と同時だったというのは、THE STALINでドラスティックな話題を振りまいた氏らしい話だなぁと思いつつ、一時代を築いたアーティストが逝くというは、それと時を同じくしてきた者にとっては強烈に時代の節目を感じさせる出来事である。遠藤ミチロウが邦楽ロックシーンに大きな影響を与えた人物のひとりであることは議論を待たないと思う。1980年代に限って言えば最大のインフルエンサーと言ってもいいかもしれない。そんな氏を偲んで、今回はTHE STALINのアルバム『虫』を紹介する。
■日本のロックに及ぼした多大なる影響
ラジオを聴きながらこの原稿に取り掛かろうとしていたところ、偶然にもグループ魂の活動でも知られる脚本家の宮藤官九郎氏が、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組でミチロウの死を悼みながら「ロマンチスト」をかけていた。“この番組でこういう曲をかけるのも…”とややエクスキューズがありつつも、大型連休の只中、帰路につく車の中でラジオを聴いていた人も多いと思われる中、公共の電波で《吐き気がするほどロマンチックだぜ 》を聴かせたクドカン、天晴れである。“遠藤ミチロウさん惜しむ声続々 クドカンにも影響与えたパンク精神”というネット記事をご覧になった方もいらっしゃるかもしれないが、宮藤氏もまた遠藤ミチロウから大きな影響を受けたアーティスト。2010年に発表されたトリビュートアルバム『ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜』においては、グループ魂で遠藤ミチロウのソロの代表曲「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」のカバーを実現させている。
THE STALINのトリビュートアルバムは上記作品の他、2001年に『365:A TRIBUTE TO THE STALIN』も制作されているが、この両作品に参加しているアーティストの顔ぶれだけ見ても、遠藤ミチロウの功績が分かろうというものだ。2001年版では、大槻ケンヂ、犬神サーカス団、KENZI & THE TRIPSら、2010年版ではグループ魂以外に銀杏BOYZ、フラワーカンパニーズ、BUCK-TICK、MERRY、DIR EN GREYらが参加。さらには、バンド単位ではないが、thee michelle gun elephant、LAUGHIN’ NOSE、BRAHMAN、THE MAD CAPSULE MARKETSといったバンドのメンバー、元メンバーに加えて、戸川純、UA、YUKIといった女性ヴォーカリストも参加している。THE STALINのことをリアルタイムで知らない世代も、遠藤ミチロウのパフォーマンスを生で観たことがない人も、上記の名前を見れば氏の偉大さを少なからず理解してもらえるのではなかろうか。
また、彼ら彼女らがひとつのジャンルに固まることなく、その表現手段や活動の場が多岐に渡っていることもお分かりになってもらえると思う。遠藤ミチロウが後世に及ぼした影響はパンクといった狭義のロックだけに留まっていないのである。THE STALIN時代はライヴで牛や豚の臓物を客席に投げたり、拡声器のサイレンや爆竹を鳴らしたり、全裸でパフォーマンスしたりと、とかくスキャンダラスな方向で語られることが多かった氏だが、それをリアルタイムで体験して、のちに自らも表現者となった人たちは、センセーショナルさの内側にある文芸や美術──そのアーティスティックな価値をしっかりと掴み取っていたのであろう。ミチロウ自身がそのことに自覚的であったかどうかは定かではないが、氏の“悪魔の精液”は確実にそのDNAを各地に遺していった(“”はアルバム『trash』収録「天上ペニス」からの引用)。
■過激さの裏側にあった大衆性
もっとも、そのライヴパフォーマンスが刺激的すぎたがゆえに今も氏を語る上でそこは無視できないのだが、遠藤ミチロウがTHE STALINの頃から粗暴なパフォーマーでなかったことは音源を聴けば明白である。最初期こそ歌詞には所謂放送禁止用語はあるし、殺伐とした言葉が並んでいたりするものの、歌メロもギターリフもキャッチーで、当時のハードコアに見られたような、一切大衆を寄せ付けないような排他性はない。サウンドは荒々しかったことは否めないものの、全体にはポップであって、十分に大衆性があった。氏はパンクに感化されてバンドを始めたというだけあって、「Anarchy in the U.K.」(Sex Pistols)や「London’s Burning」(The Clash)に近い…とは穿った見方かもしれないが、決して聴きづらいものではなかったと思う。さらに──それこそが凡百のロックミュージシャンとは圧倒的に異なるミチロウの才能であるが、その親しみやすいメロディーに文学性を帯びた歌詞を乗せたことがTHE STALIN のロックバンドとしての特異性、優位性があったことは間違いない。
先ほど、クドカンがラジオでかけたことを紹介した《吐き気がするほどロマンチックだぜ》という有名なフレーズ。インディーズ時代は「主義者(イスト)」 というタイトルで発表され、メジャーデビューシングルにもなった「ロマンチスト」のサビである。アナーキスト、オポチュニスト、モラリスト、ヒューマニストといった、所謂 ○○主義者(△△イスト)と言われる人種を皮肉った内容と言われている。強いて説明を加えるならば、視野狭窄や排他的思考への嫌悪感といったところだろうか。日本ロック史に遺る見事な歌詞であるし、これが当時のライヴ会場では観客がみんな、拳を挙げながらミチロウとともに絶叫していたことを考えると、THE STALINとは音楽とも文学とも演劇とも異なる、何か新しいジャンルだったような気さえしてくる。臓物を投げたり、全裸で動き回ったりすること同様──いや、それ以上に、楽曲そのものが十二分に刺激的であったのだ。
あと、これは私見だが、サービス精神が旺盛な人であったようにも思う。前述した親しみやすいメロディーもそうなのだが、こんな話を聞いたことがある。例の臓物や爆竹を客席に投げ込んだ件。初めは臓物とかではなく、ライヴハウスにあった生ゴミをぶちまけたのが最初だったそうである。その時の観客は怒って帰ってしまったそうだが、それが口コミで話題となって次回のライヴには怖いもの見たさで人が殺到したという。そこから臓物や爆竹を使い始め、しかも全国各地のライヴハウスでそれを繰り広げたと考えると、ミチロウはTHE STALINを観に集まったオーディエンスの期待に応えたこととなる。以前ご本人にインタビューさせてもらった際に「ツアー中に鶏の頭を買いに行った肉屋のことをよく覚えていたりするもんですよ」と笑いながら話していたことも思い出す。THE STALIN時代のパフォーマンス、過激な言葉使いとは裏腹に、とても知的で穏やかな話し方をする人であったことは多くの人が述懐しているが、真摯に自己表現と向き合いつつ、それを見聴きする人がいることを常に意識していた真面目な方だったとも思う。
■音楽的指向の変化に見る生真面目さ
そのサービス精神は音源でも確認できる。ミチロウは音楽的な探求心も旺盛な人で、常に進化、深化を求めていた。THE STALINは1981年にインディーズで発表したアルバム『trash』以降、大凡毎年1枚のペースでアルバムを制作したが、そのわずか3年余りの期間で、作品毎にその作風を変えている。メジャー第一弾であった『STOP JAP』(1982年)こそ、さすがに『trash』に似たテイストはあるが(曲名は違うが同じ曲も収録されているし)、『虫』(1983年)、『Fish Inn』(1984年)はそれぞれ前作とは趣を変えている(しかも、その間、遠藤ミチロウ責任編集のソノシート付きマガジン『ING’O』(1983年)を発行したり、自身初のソロアルバム&単行本である『ベトナム伝説』(1984年)を発表したりしているのだから、そのバイタリティーもすごかった)。この辺が氏を単なるパンクロッカーと位置付けられない点でもあるのだが、アルバム毎に作風が異なるとは言っても、がらりとその容姿を変えたわけでないところに遠藤ミチロウの生真面目さを見出せるとは思う。
とりわけ2ndアルバム『虫』はその傾向がはっきりと表れた作品である気がする。全12曲中、3分を超える曲はM1「水銀」、M8「取り消し自由」、M12「虫」のわずか3曲(それ以外の楽曲は1~2分)。その中でもM12「虫」は10分近い長尺で、アルバムのトータルタイムが32分程度なので、アルバムの3分の1を占めていることとなる。タイトルチューンであり、作品の最後を飾っているので、アルバムの最重要曲であることは確かなのだが、これが前作、前々作で示していたパンクロックとはベクトルが異なっているのだ。テンポは比較的緩やかで、そのサウンドは重厚。キャッチーさがないとは言わないが、軽快なメロディーを聴かせるというよりは、明らかにバンドアンサンブルであったり、全体の雰囲気であったりを重視している。次作『Fish Inn』がサイケデリックな作品になったことを思うと、この時期からミチロウの指向は所謂パンキッシュな方向から離れつつあったのだろう。ニューウェイブっぽい乾いたギターサウンドが強調されているようにも思われるM1「水銀」にもその傾向は見て取れる。
しかしながら、M1「水銀」とM12「虫」に挟まれた各1~2分の楽曲群はそれまでのTHE STALINらしいナンバー。メロディーのキャッチーさはそのままに音は荒々しさを増し、歌詞は放送禁止用語のようなヤバさはなくなっているものの、直接的などぎつさが失われた分、ひとつひとつがより鋭角的かつ攻撃的になっている印象で、内包された過激さは前作以上だった。
《つぎこんだのに 何にも出ない/待っても 待っても 何にも出ない356日/眠りたい!》(M2「365」)。
《天プラ おまえだ カラッポ!》(M4「天プラ」)。
《遊びたい!/遊ぶオンナは嫌いだ!》(M5「Fifteen(15才))。
《おまえだろう!/やっちゃいねえよ/おまえだろう!/おいら知らねぇよ》(M6「ING,O!(夢遊病)」)。
《勝手にしろ/いいかげんにしろ/デタラメなんだ/吠え面かくな/帰りたいよう!》(M8「取り消し自由」)。
《ママ 共産党/パパ 共産党/おとうさん ウソツキ!/パパ 貧乏/ママ 貧乏/被告 みんなヒコク ミンナヒコク ミン な/裏切者!/ママ 共産党 パパ》(M9「GO GO スターリン」)。
《オレはアザラシ/手も足も出ない/身動きも出来ない/がんじがらめ/被害妄想/助けが呼べない/ねじれてそのまま/泣いてもダメさ/叫んでもダメさ/笑ってもダメさ/逃げてもムダさ/息がつまる/いますぐに終るさ》(M11「アザラシ」)。
歌詞を並べただけでも、言葉が突き刺さって来るようではないか。前述の通り、それがパンクならではのキャッチーに乗せられているのだから、“いやだと言っても 愛してやるさ”を地で行っている(“”はアルバム『STOP JAP』収録「STOP GIRL」からの引用)。
こうした、言わば方向性の二極化は過渡期ならではものだったと言えるのかもしれないが、この時点で新たなチャレンジであったM12「虫」やM1「水銀」はもちろんのこと、パンクチューンもさらに洗練させているところにミチロウの真摯な姿勢を垣間見れるし、それと同時に、氏が決して大衆を無視していなかったことを想像するのである。『虫』以降の作品からもそれは感じられるところで、ソロ作『ベトナム伝説』で「仰げば尊し」のパンクカバーを1曲目に置いたところもそうだし、THE STALINの次作『Fish Inn』では予約特典としてインディーズ時代の代表曲と言っていい「バキューム」「解剖室」を収録したソノシートを付属したのもそうで、そこにはリスナーを意識した上での冷静な分析眼があったことをうかがわせる。
今まで氏の音楽を聴いたことがなかったという人の中には、今回の訃報に触れて遠藤ミチロウというアーティストに興味を持った人もいることだろう。THE STALINは結構ベストアルバムも出ているのでそこから手を付けるのも悪くはないだろうが、THE STALIN自体、4枚しかアルバムを出していないわけだし、1枚辺りのタイムも短いので(最も収録時間が長い『trash』でも40数分)、どうせならオリジナル盤を聴いてみてほしい。お勧めはやはり『虫』から。タイトルチューンのような、言うなればドロドロした感じが気に入ったビギナーはそこから『Fish Inn』から時系列に従っていけばいいと思うし、パンクナンバーに感じるところがあった人は遡って『STOP JAP』~『trash』とか、ライヴアルバムとかを入手してみるといいと思う。
TEXT:帆苅智之
アルバム『虫』
1983年発表作品
<収録曲>
1.水銀
2.365
3.泥棒
4.天プラ
5.Fifteen(15才)
6.ING,O!(夢遊病)
7.Die In
8.取り消し自由
9.GO GO スターリン
10.Nothing
11.アザラシ
12.虫
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