Music Information

1stアルバム『熱い胸さわぎ』のバラエティー豊かなサウンドに新人・サザンオールスターズの比類なき才能を見る

3月30日(土)の宮城セキスイハイムスーパーアリーナ公演を皮切りに、『WOWOW presentsサザンオールスターズLIVE TOUR 2019「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!」supported by 三ツ矢サイダー』がスタートする。6大ドームを含む全11カ所22公演という規模は、さすがにサザンオールスターズといった貫禄だ。本コラムでもこのタイミングに合わせて彼らの名盤を取り上げようと考えたわけだが、何しろ相手はサザンオールスターズである。正直言って、これ1枚に絞るのはかなり困難だ。…というわけで、今週から何度かに分けて、サザンオールスターズの名盤を取り上げていきたいと思う。まず今週はデビュー作である『熱い胸さわぎ』を紹介する。

■“国民的バンド”サザンオールスターズ

“国民的バンド”。誰が呼んだか分からないが、サザンオールスターズ(以下、サザン)に付けられた形容だ。2008年に日産スタジアムで行なわれた『サザンオールスターズ 「真夏の大感謝祭」 30周年記念LIVE』を紹介するワイドショーでそう言われていたような気がするので、少なくともここ10年間くらいは、その“国民的バンド”という言い方が使われてきたように思う。個人的にはその言い方はあまり好きではない。正確には好きでなかったと言ったほうがいいだろうか。“国民的”という言い方がナショナリズムを想起させるというのもあるけれども、それはこの際、脇に置いておくとして、そもそもサザンは“国民的”と言うほどの客観的事実を残してないと思うからである。

もちろん、アルバムではオリジナルで4作、ベスト盤で2作のミリオンを出しており、1998年のベストアルバム『海のYeah!!』はトリプルミリオンを優に超える売上を記録している。シングルは5作品がミリオン作。その筆頭である「TSUNAMI」は300万枚に迫る売上で、レコードを含めた日本のシングルでトップ3にランクインされている。これらをして、“それだけの結果を残していれば十分に国民的だろう!?”と仰る方もいらっしゃると思うが、アルバムでもシングルでもサザンを上回る日本のバンドは他にもいくつかある。でも、それらが“国民的バンド”と呼ばれるのを聞いたことはない。アルバムとシングルを合わせた総売上を見ても、サザンは歴代ベスト5で、その上位には他のバンドが君臨している。何が何でも“国民的バンド”が売上ベスト1でなければならないわけではないだろうが、それでは何をもって“国民的”と言われているのだろう。

それでもサザンが毎年ツアーを欠かさないようなバンドで、(実名を出して恐縮だが)それこそTHE ALFEEや一時期のHOUND DOGのように全国津々浦々を周ってライヴをしているのであれば、“なるほど”と納得できようというものだが、近年で言うと2016年と2017年にサザンはライヴを行なっていない。2000年以降では2005年と2015年とのライヴ本数が20本を超えているが、それ以外の年は概ね年間5本前後である。年越しライヴは有名なものの、デビュー間もない頃はともかくとして、サザンは全国ツアーをそれほど多く行なってきたバンドではないのである。まぁ、それもいいだろう。ライヴの多さが即ち“国民的バンド”の定義でもあるまい。

個人的に最も引っかかるのが(引っかかっていた…と言い換えたほうがいいが)、その活動休止期間の多さだ。原由子(Key&Vo)の産休による1985年の活動休止は仕方がないとして、1993年以降、何度もその活動を止めている。2009年には無期限休止も発表。これも2010年に発覚した桑田佳祐(Vo&Gu)の食道癌の治療が関係していたのかもしれないけれども、サザンは案外コンスタントに活動していないバンドであることは間違いない。桑田もサザン30周年の時に「20年間はソロ活動をしていた」と述懐している。しかも、「私のわがままで休んだり、再開したりしてしまった」と語っていたとも聞く。サザンもソロもその楽曲は桑田が作っているのだから、桑田の動き=サザンの動きと見てもいいと思うが、そうであれば少なくとも“国民的バンド”という表現は適切ではない気がする。屁理屈は承知だ。ただ、個人的には抵抗があったことは少し理解していただけたら、と思う。

■デビュー曲 「勝手にシンドバッド」の衝撃

デビュー時のサザンについては、名著『サザンオールスターズ1978-1985』で知られるスージー鈴木氏を始め、そうそうたる音楽評論家たちが語られていることなので、改めて述べるのも憚られるほどだが、それが相当な衝撃だったことはここでも記しておきたい。とりわけ1978年8月31日、ライヴハウス・新宿ロフトから生中継されたテレビ番組『ザ・ベストテン』への初出演シークエンスは、間違いなく日本芸能史に残る歴史的出来事であっただろう。原を除くメンバー全員が上半身裸に短パンという、当時の歌番組では考えられなかった奇抜な出で立ちもさることながら、そこで演奏された「勝手にシンドバッド」のインパクトはすさまじかった。

ディスコティックなリズムに、印象的すぎる♪ラララ…ラララ…のイントロ。パッと聴き意味不明だが、幼児でも覚えられるほどキャッチーなサビの《今 何時?》のリフレイン。1978年と言うと、世良公則&ツイスト、Char、原田真二が“ロック御三家”と呼ばれてすでに人気を博していたし(『ザ・ベストテン』の1978年年間ベスト1は世良公則&ツイストの「銃爪」だった)、この頃の沢田研二は井上堯之バンドを帯同していたので、バンドやロックはポピュラーになりつつあった頃だったはずだが、あの時の「勝手にシンドバッド」には、そこまで誰も聴いたことがなかった未知の音楽が、半ば強引にお茶の間に分け入っていくような感じが圧倒的にあった。

当時まだ中学校に上がったばかりの筆者には “これで時代が変わる!”というような具体的な感慨はなかったけれども、高揚感を抑え切れなかったことはわりと鮮明に覚えている。一緒にテレビを見ていた演歌好きのウチの母親は「○○○○の歌か!?」と唾棄していたし、昭和初期以前の世代にはまったく理解できないものだったのかもしれない。聞けば、当時、評論家がサザンを批判的に語ることをテーマにしたテレビ番組もあったというから、少なくとも、この時点ではのちに彼らが“国民的バンド”と呼ばれることになると思うような人は限りなくゼロに近かったと思う。

しかし──だからこそ…だったのかもしれないが──ある世代以下の音楽好きは、その音楽性を完全に理解できないまでも、サザンから発せられる未体験の音楽体験に酔った。『ザ・ベストテン』初出演時に桑田は自分たちを“目立ちたがり屋の芸人”と言ったが、サザンは決してコミックバンドなどではないことを多くのリスナーはどこか本能的に感じていたのだと思う。

■バラエティーに富んだ高次元なアルバム

日本のロックシーンのみならず、日本の芸能史を書き換えたと言ってもいい、「勝手にシンドバッド」。それが収録されたアルバムが、シングル発表から遅れることわずか2カ月後にリリースされた『熱い胸さわぎ』である。本作は、今聴いてもサザンが“目立ちたがり屋の芸人”などではないことをはっきりと示した作品であったことが分かる。音楽の多様性を顕示しつつ、歌謡曲を高次元に引き上げたとも、あるいはロックに大衆性を加味したとも言えるアルバムだ。デビュー作にしてこのバラエティーに富んだ内容は間違いなくすごいことなのだが、しっかりポップであることがさらにすごいのだと思う。

ボサノバタッチのM2「別れ話は最後に」。シングル「勝手にシンドバッド」のカップリング曲M3「当って砕けろ」はモータウン風。M4「恋はお熱く」はロッカバラード調でドゥワップ的なコーラスも入る。桑田と原のデュエット曲M5「茅ヶ崎に背を向けて」。ブルージーなM6「瞳の中にレインボウ」。今もサザン最大の問題作のひとつと言われるM7「女呼んでブギ」は、確かにこの御時世では物議を醸す可能性は否めないが、「Les Champs-Élysées」を彷彿させる可愛らしい音階が憎めない──それどころかどこか愛おしく感じられるナンバーだ。文字通りレゲエを取り入れたM8「レゲエに首ったけ」。そして、M9「いとしのフィート」は桑田がその影響を公言するバンド、Little Featへのオマージュを隠すことなく披露したR&B。これもまたブルーステイストがあるものの、昭和歌謡の香りを如何なく感じさせるM10「今宵あなたに」。ザッと簡単に解説しただけでも、十二分にバラエティー豊かな作品であることが分かる。

繰り返しになるが、それでいて洒落臭くもスノッブでもない、とても親しみやすいメロディーを持っているところが多くのリスナーを惹き付けたのだろうし、それがサザンの本質とも言える。そのメロディの親しみやすさは、歌に限った話ではなく、鍵盤やギター、ブラスもそうである。ギターはM2「別れ話は最後に」やM8「レゲエに首ったけ」の間奏でのソロも特徴的だが、白眉はM5「茅ヶ崎に背を向けて」のアウトロだろうか。若干長尺な印象は拭えないものの、“フュージョンバンドか!?”と思わせる流麗な旋律は本作の聴きどころのひとつではあろう。ホーンセクションは、M1「勝手にシンドバッド」やM3「当って砕けろ」、M7「女呼んでブギ」などで分かる通り、歌メロを損ねることなく、それでいてちゃんと派手というのがポイントだと思う。楽曲への溶け込み具合が絶妙なのだ。かと思えば、M2「別れ話は最後に」でのサックス、トランペット、フリューゲルホルン辺りで渋い音色を奏でるなど、管編を担当したブラスロックバンド、スペクトラムの確かな手腕も確認できる。

鍵盤はサザンサウンドの最大の彩りでもあろうから、本作収録曲ではどれも一様にフィーチャーされている。これ1曲を挙げるとすると、なかなか迷うところでもあるが、個人的にはM9「いとしのフィート」を推したい。特にイントロで鳴らされるエレピは如何にもアメリカン・ルーツミュージックな雰囲気ではあるものの、この軽快で弾けたフレーズは、のちの「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」(1984年)や「希望の轍」(1990年)での、あの印象的なイントロへのつながりが感じられるようで、実に味わい深い。

バラエティー豊かなサウンド、大衆的かつ多彩なメロディーは、サウンドの要であるリズム隊の支えがあってこそ成り立つものであることは疑いようがない。関口和之(Ba)、松田弘(Dr)両名の手腕は実に素晴らしく、この時のサザンは新人であってさすがに若干粗削りな面はあることも否めないものの、リズム隊からはプロフェッショナルの風格すら感じられるほどだ(『熱い胸騒ぎ』でのリズム隊については『サザンオールスターズ1978-1985』に詳しく、スージー鈴木氏は本作のMVPは松田で、敢闘賞は関口だと述べている。完全に賛同)。

野沢秀行(Per)=毛ガニは、デビューから40年を経た今でもメンバーからバンドにおける存在感を弄られているようではあるが、彼のパーカッションなくしてサザンのサウンドは成立しない。それはもうM1「勝手にシンドバッド」からして明らかだ。もし毛ガニのトラックのない「勝手にシンドバッド」が聴けたとしたら、それは相当に味気のない「勝手にシンドバッド」になるはずである。あの楽曲の躍動感、高揚感を生み出しているのは確実にコンガだし、それほど毛ガニのパートは重要であることもこの機会に改めて記しておきたい。

そんなサウンドに、今もサザン最大の魅力と言える桑田のメロディと歌詞が乗っているのだから、デビュー時から完全にその辺のバンドとは次元が違ったことが分かる。アルバム『熱い胸さわぎ』に今も残る音像はそれを活き活きと示してくる。

<つづく>

※参考文献:スージー鈴木『サザンオールスターズ1978-1985』

TEXT:帆苅智之

アルバム『熱い胸さわぎ』

1978年発表作品

<収録曲>

1.勝手にシンドバッド

2.別れ話は最後に

3.当って砕けろ

4.恋はお熱く

5.茅ヶ崎に背を向けて

6.瞳の中にレインボウ

7.女呼んでブギ

8.レゲエに首ったけ

9.いとしのフィート

10.今宵あなたに

【関連リンク】
1stアルバム『熱い胸さわぎ』のバラエティー豊かなサウンドに新人・サザンオールスターズの比類なき才能を見る
サザンオールスターズまとめ
SILENT SIREN、アルバム『31313』発売に伴いシークレットライブやMV、ツアー追加公演など続々解禁