ここのところ、女性を中心に大きな人気を博しているあいみょん。彼女は先進的な音作りをしているわけではないが、人間を観察する冷静な洞察力と類稀なる魅力的な歌声で、普遍的な作品を生み出していると言える。音楽性は違うものの、歌詞の特異性と歌声の素晴らしさという点で似ているのがナタリー・マーチャントだ。80年初頭からインディーズの10,000マニアックスに参加、93年にグループを脱退し、95年にソロデビュー作をリリースする。それが今回紹介する『タイガーリリー』で、アメリカでは500万枚以上のセールスとなった。彼女の代表作とも言える「ワンダー」や「カーニヴァル」を含む本作は、あいみょんの諸作と同じように、時代を問わず聴ける普遍的なサウンドを持った傑作である。
■カレッジ・メディア・ ジャーナル(CMJ)
アメリカではメジャーのチャート(例えばビルボードなど)とは違う尺度で人気度を選出する『カレッジ・メディア・ジャーナル』(CMJ)という雑誌がある。これは、全米にネットワークされた大学のラジオ局を通して、リクエストやオンエア率などから、先進的な音楽ファンの学生たちが好む新しい音楽を紹介する雑誌で、セールスや知名度などとは無縁なだけに、メジャーのランキングとはまったく違う結果になるのが面白いところ。CMJのチャートではオルタナティブ系ロック、カントリー、フォーク、ワールドミュージックなど、インディーズからメジャーまでの種々雑多な音楽が紹介されている。90年代オルタナティブロックの隆盛はCMJのチャートが発端となっており、REM、ソニック・ユース、ニルヴァーナなどはCMJが生み出したスーパースターであるし、少年ナイフ、ボアダムズ、ザ・ブルーハーツなど日本のグループに大きな注目が集まったのも、CMJがその端緒であった。また、オルタナティブカントリーやアメリカーナといったジャンルは、CMJなしではきっと表面化しなかったであろう。
■10,000マニアックスとスザンヌ・ヴェガ
ナタリー・マーチャントが在籍したオルタナティブ・フォークロックグループの10,000マニアックスは81年に結成され、彼女の知的で深遠な歌声がCMJチャートで注目を浴び、86年にはメジャー契約を果たす。グループは順調に活動を続け、89年の4thアルバム『ブラインドマンズ・ズー』は全米13位(ビルボード)、全英18位まで上昇している。この時期にはマーチャントはリードヴォーカルだけでなく、ソングライティングでも頭角を現し、ソロでの活動を望むようになる。
おそらく、マーチャントの中ではスザンヌ・ヴェガの存在が大きかったのだろう。シンセサイザーと打ち込みで幕を開けた80年代のポピュラー音楽シーンにあって、85年に生ギターの弾き語りでデビューしたスザンヌ・ヴェガは古くて新しいシンガーソングライターであった。デジタル機器の進歩のみが大きく取り上げられ、“歌”の力が軽視されていたかのような80年代に、ギター1本で自分の言いたいことを語るのは難しかったはずだが、スザンヌはしっかりと自分の立ち位置を獲得した。87年には幼児虐待のことを歌った「ルカ」をリリースし、新たな社会派シンガーソングライターの旗手として全世界にその名が知れ渡ることになる。マーチャントもスザンヌのようにグループの一員としてではなく、自分の言いたいことを自分自身で語りたいと思ったのだろう。そして、93年に10,000マニアックスを脱退し、ソロ活動に専念するのである。
■本作『タイガーリリー』と 映画『ワンダー 君は太陽』について
95年にリリースされた本作は、現在までに500万枚以上を売上げただけでなく、内容も文句なしの出来栄え(全米チャート13位)で、彼女の最高傑作である。シングルカットされた「カーニヴァル」は全米チャートで10位、「ワンダー」は20位、「ジェラシー」は23位となっているが、収録された11曲は彼女の純粋な魂が宿った名曲群である。どの曲も派手な演出や見せ場は無理に作らず、彼女は淡々と物語を語っていくといった感じ。だからこそ何度聴いても飽きず、気づけばまた聴いてしまっている。彼女のヴォーカルは感情を抑え静謐感さえ漂うようなテイストにもかかわらず、とても熱い毅然とした芯が感じられる、マーチャントはそんな不思議な魅力を持ったシンガーである。
ヒットした「ワンダー」はスザンヌの「ルカ」的存在にあたるナンバーで、これは身体的なハンディキャップを持つ人に対しての彼女の思いが歌われている。昨年、日本で公開されたジュリア・ロバーツ主演の映画『ワンダー 君は太陽』はR・J・パラシオが2012年に出した児童書『ワンダー』が原作であるが、パラシオはラジオでかかっていたマーチャントの「ワンダー」を聴いて、この本を執筆することに決めたとインタビューで語っていた。この映画の内容は顔に障害を持つ子供とその家族の日常生活を描いたものである。もちろんマーチャントの「ワンダー」にはそこまでのストーリーはないが、顔に障害がある人についての歌であることは分かる。マーチャントは16歳の時にボランティアで行った障害者施設で出会った人たちについての歌だと語っていた。10,000マニアックスに参加する前、彼女は障害支援団体に勤めるつもりだったらしく、「ワンダー」は彼女の歌いたかった重要なテーマのひとつなのだろう。
■『タイガーリリー』のあと
2015年、『タイガーリリー』のアルバムを全編セルフカバーした『ニュー・タイガーリリー・レコーディング』がリリースされた。ファーストがリリースされてから丁度20年後、32歳の彼女が52歳になって原点に戻ろうとしたのかもしれない。この作品については、リサイクル作品だとか、過去の栄光にしがみついているとか、賛否両論さまざまあるのだが、彼女の声は20年前よりも安らかで、彼女が良い歳の取り方をしていると思った。地震で何もかも失った人、連れ合いを亡くした人、障害を持つ人など、歌われている内容はシビアだけど愛すべき作品だと僕は思う。「ワンダー」については今回のアコースティックな新アレンジのほうが良いのではないかとさえ感じる。
もしナタリー・マーチャントを聴いたことがないなら、今回紹介した『タイガーリリー』か、2ndアルバムの『オフェーリア』(‘98)、もしくは『ライブ・イン・コンサート』(’99)あたりから聴いてみてください。
TEXT:河崎直人
アルバム『TIGERLILY』
1995年発表作品
<収録曲>
1. サン・アンドレアス・フォルト/San Andreas Fault
2. ワンダー/Wonder
3. ビーラブド・ワイフ/Beloved Wife
4. リヴァー/River
5. カーニヴァル/Carnival
6. アイ・メイ・ノウ・ザ・ワード/I May Know the Word
7. レター/The Letter
8. カウボーイ・ロマンス/Cowboy Romance
9. ジェラシー/Jealousy
10. ホエア・アイ・ゴー/Where I Go
11. セブン・イヤーズ/Seven Years
【関連リンク】
奥深い歌声で世界を魅了したナタリー・マーチャントのソロデビュー作『タイガーリリー』
Natalie Merchantまとめ
音楽性が異なる安藤裕子、Ryu Matsuyama、Polarisが出演した『共鳴レンサ』番外編をレポート