2018年の邦楽シーン一番の話題は、何と言っても9月の安室奈美恵の引退であった。異論がある人は少なかろう。年末に発表されたオリコンの年間ランキングでは、ベストアルバム『Finally』、DVD&Blu-ray『namie amuro Final Tour 2018 ~Finally~安室奈美恵』が、それぞれアルバム、音楽映像作品の年間チャート1位を獲得。シングルを含めた総合セールスでも首位となり、有終の美を飾ったと言える。本年最後となる邦楽名盤紹介でも彼女の作品を取り上げ、その偉大さを湛えたいと思う。
■ルーツミュージックをいち早く導入
発売から20年以上経った今、冷静に聴いてみると、よくこのタイミングでこれを作ったなと思ってしまうアルバムだ。本作は思った以上にブラックミュージック、ルーツミュージックに傾倒している。いや、ことヴォーカルだけに絞って言えば、何オクターブものレンジを披露する箇所や、ビブラートやこぶしを利かせている箇所があるわけではないので、それこそ本作が発表された数年後にデビューしたシンガーたちと比べれば、比較的おとなしい。ラップもしているものの、そのスキルがとても高いという印象もない。しかし、そうしたヴォーカルの表現力云々を覆い隠すほどに、ルーツミュージック推しが目立つ。急場しのぎとは言わないまでも、(少し言い方は悪いかもしれないけれども)ブラック、R&B要素を“とにかくいち早く取り入れました!”といった印象すら抱くのである。
個別に見ていこう。冒頭のM3「LET’S DO THE MOTION」、M4「PRIVATE」はラップこそあれ、サウンドそのものはそれほどブラックっぽい感じがないが(M3まではほぼSEだし)、M6「Don’t wanna cry (Eighteen’s Summer Mix)」からその匂いが漂ってくる。コーラスを含めてルーツミュージック感が前面に出ている。ピアノがブルージーに重なるのもそうだし、このバージョンではベースが生音に差し替えられているそうで、グルーブは増している様子だ。
M7「Rainy DANCE」、M10「I’LL JUMP」、M12「i was a fool」、M13「present」は所謂コンテンポラリーR&B。M13ではシングル「Don’t wanna cry」収録バージョンにコーラスとサックスを加えたそうで、よりアーバンなテイストに仕上げているのが興味深い。それ以上に興味深いのは、M15「You’re my sunshine (Hollywood Mix)」とM16「Body Feels EXIT (Latin House Mix)」でのラテンフレイバー。ブラックミュージックだけでなく、中南米の伝統音楽要素も取り入れている。両ダンスナンバーに、より土着的なノリを加味したのは送り手の明確な意図が感じられる。極めつけはM18「SWEET 19 BLUES」~M19「…soon nineteen」だろう。彼女の代表曲のひとつであり、もはや説明不要な気もするが、改めて聴いてみると、思っていた以上にゴスペル要素が濃い。M19ではパイプオルガンを使い、ほぼ讃美歌に仕上げている。
その前年から続いていた所謂小室ブームの中、当時のチャート上位はハウスやテクノといったデジタル系のダンスビートだったし、安室自身もまさにその中心にいたことは間違いない。しかしながら、『SWEET 19 BLUES』で示されたものは、ダンスはダンスでも当時の主流とは異なるものであった。生音や生声も取り入れて、アップチューンだけでなく、ミディアム~スローにも挑んだ。言わば転身とも言える。
このルーツミュージック要素の導入は彼女自身が望んだものではあったようだ。1995年の暮れ…つまり、本作の発売前。彼女自身がプロデューサーの小室哲哉に“ミディアムテンポでブラックミュージックを歌ってみたい”と直訴したのだという。米国でMadonnaやTLCがR&B色を強めていたことを意識していたと言われるが、彼女のファッションを真似る“アムラー”なるフォロワーを生み出し、自身が社会現象化する中で、それに甘んじることなく、ネクストレベルを目指したということになる。渦中にいながらも時代の変化を敏感に察した安室もすごいが、それに応えたサウンドを作り、既発のシングル曲も別バージョンに仕上げてしまう小室の手腕もすごいと言わざるを得ないところだ。
■前向き過ぎる歌詞に見える “超アイドル”
このブラック、ルーツミュージック要素の導入を、“とにかくいち早く取り入れました!”といった印象すら抱く…と前述したが、それはサウンドからのインプレッションだけでなく、歌詞からも読み取れる。
《I’ve gotta find a way,so let me go/急いだってしょうがないけど/Because baby I don’t wanna cry/止まってるヒマはない/I’ve gotta find a way,so let me go/行くんだってば もう/Because baby I don’t wanna cry》(M6「Don’t wanna cry (Eighteen’s Summer Mix)」)。
《もうちょっと抱いていて欲しい時も/タイムリミットは曲げない主義でいたい》《もうなんだってアリみたいな時代だから/モタモタしてちゃ損だから》(M8「Chase the Chance (CC Mix)」)。
《あの頃と これからは 確かに何かが変わってく Yo!/出会いとか めぐり逢い そんな事があるから》《誰より経験生かして/無駄には出来ない On my way》(M15「You’re my sunshine (Hollywood Mix)」)。
《Body Feels EXIT/ここから きっといつか動くよ/Body Feels EXCITE/体中 熱く深く走る想い》《動くことが 全ての/始まりだって 分かってる》(M16「Body Feels EXIT (Latin House Mix)」)。
いずれも“前へ進むことに躊躇するな”と言っている。細かなニュアンスの違い、シチュエーションの違いはあろうが、要約すればどれもそういうことだろう。今回、連続して聴いた時、個人的には“なぜそんなに生き急いでいるのか?”と思ってしまったほどだ。驚くのはこれらがアルバム用の書き下ろしではなく、シングル曲でもあったということ。この方向性はアルバムのテーマではなく、安室奈美恵というシンガーの根底に置かれたテーマだったと言える。SUPER MONKEY’Sから安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sを経てソロとなり、『SWEET 19 BLUES』はその2作目である。この頃はまだ大方の捉え方としては“安室奈美恵=アイドル”であったであろう。そこで、こうした内容を歌っていたというのは、今さらながら彼女の特異性を示す事実と言える。
さらに言えば──彼女自身が転身を望んだのは1995年の暮れであったと前述した。具体的に言えば、シングル「Don’t wanna cry」からネクストレベルを目指したと言われているが、それ以前のシングルであった「Body Feels EXIT」「Chase the Chance」からすでにテーマが通底していたことが実に興味深い。この頃、彼女自身の意思がどの程度、作品に反映されていたのか分からないけれども、小室プロデューサーを頂点とする“チーム安室奈美恵”のスタッフワークにブレがなかったことがよく分かる。その後、自身で自身をプロデュースするアーティストへと成長していく、その萌芽がここにもあったのではないかと言っても、あながち間違いではないのではないだろうか。
■19歳だからこその圧倒的リアリティー
以上、『SWEET 19 BLUES』のサウンド、歌詞についてザっと振り返ってみた。ルーツミュージックをいち早く取り入れた当時としては先鋭的なサウンドと、(個人的な推測であるが)それを躊躇なく提示することへの決意をも含んだポジティブな歌詞。それらが安室奈美恵19歳の時に合致したというのは奇跡的なことであり、本作の最も凄いところだと思う。14~15歳ではリアリティーがなく、いかにも作り物っぽくなっていただろうし、22歳以上で同じ内容だったら若干稚拙な匂いを感じたのかもしれない。デビューから4〜5年目での作品というのも絶妙だった。キャリアがありすぎてもなさすぎても、ここまでの説得力はなかったのではと想像するが、19歳でそのキャリアを積むには14〜15歳でデビューしていなければならず、しかも、音楽シーンにいるだけでなく、ある程度その存在が認知されていなければ、新たな試みもそれと認識されない。このタイミングで謀ったかのような好機が訪れたと言える。歴史的名盤というのはそういうものなのだなとつくづく思う。
補足するならば、全体的に見たら意欲的なサウンドに前向きな歌詞が目立つ作品ではあるものの、無論そんなに簡単な話ではなく、いずれにもその途上というか、完璧ではない側面が垣間見える。19歳になぞらえれば、ギリギリ大人ではない感じと言ったらいいだろうか。“ほころび”という言い方が適当かどうか分からないが、個人的な印象としてはそれに近い。冒頭で、レンジが広いわけでも、ことさらビブラートが強調されているわけでもないと書いた。失礼ながら、ラップのスキルがとても高いという印象もないとも言った。だが、19歳という年齢、4〜5年目のキャリアであったことを念頭に置くと、それが極めていい塩梅に思えてくる。むしろ、これ見よがしの歌唱のテクニックを聴かされなくて良かったと思うくらいだ。
《もうすぐ大人ぶらずに 子供の武器も使える/いちばん 旬なとき/さみしさは昔よりも 真実味おびてきたね/でも明日はくる》《SWEETSWEET 19 BLUES/だけど私もほんとはすごくないから(だけど私もほんとはさみしがりやで)/SWEETSWEET 19 DREAMS/誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれない》(M18「SWEET 19 BLUES」)。
歌詞にある、ほんのわずかに、それでいてはっきりとそれが分かるように宿る微妙な心の揺れも、確実に19歳を意識させるものだ。彼女の前向きさを尊重しつつも、その背後にある不安や焦燥もちゃんと汲み取っている。その捉え方、切り取り方はお見事としか言いようがない。この年、週間シングルチャートのトップ10に小室哲哉の作品が1曲も入らない週が2回しかなかったというブームが最も過熱していた頃で、多忙に多忙を極めていたのであろうに、これほど緻密にフォーカスを当てていたとは驚くばかり。メロディーメーカー、サウンドクリエイターとしてのみならず、小室哲哉の作詞センス、プロデュース能力が傑出していたことを示す事例であろう。もちろん、安室奈美恵という素材がそれに耐え得るだけの逸材であったことは言うまでもないし、のちの歴史がそれを証明している。
TEXT:帆苅智之
アルバム『SWEET 19 BLUES』
1996年発表作品
<収録曲>
1.watch your step!!
2.motion
3.LET’S DO THE MOTION
4.PRIVATE
5.Interlude〜Ocean way
6.Don’t wanna cry (Eighteen’s Summer Mix)
7.Rainy DANCE
8.Chase the Chance (CC Mix)
9.Interlude〜Joy
10.I’LL JUMP
11.「Interlude〜Scratch Voices」
12.「i was a fool」
13.「present」
14.Interlude〜Don’t wanna cry Symphonic Style
15.You’re my sunshine (Hollywood Mix)
16.Body Feels EXIT (Latin House Mix)
17.’77〜
18.SWEET 19 BLUES
19….soon nineteen
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