11月7日、アルバム『ベストヒット清志郎』がリリースされたり、11月9日にはRCサクセションの「体操しようよ」が主題歌に起用された、草刈正雄主演映画『体操しようよ』が公開されたりと、にわかに忌野清志郎にスポットが当たっている不思議な日本の2018年11月である。過去、RC、THE TIMERS、HISと、当コラムでは清志郎関連作品を取り上げてきたが(THE TIMERSは清志郎ではないけれども…)、この機会にソロ作品にもスポットを当ててみたいと思う。
■ミュージシャン・忌野清志郎の集大成
今回リリースされた『ベストヒット清志郎』は、CMタイアップ曲、映画やテレビで使用された曲が多数収録された作品集。一方の「体操しようよ」はアルバム『PLEASE』のトリを飾るナンバーではあるものの、同アルバムに収録された「トランジスタ・ラジオ」や「Sweet Soul Music」「いい事ばかりはありゃしない」といったRCの代表曲に比べれば比較的地味なナンバー。それがこういうかたちで陽の目を浴びるのもいいことだなぁと思うところでもある。
アーティストが亡くなったあと、いろんなベスト盤やらコンピやら企画ものやらがリリースされることは、個人的にはやや閉口ではある。少なくともアルバムアーティストを自認したような人の作品であるなら、やはりオリジナル盤を聴いてなんぼだと思うからである。ただ、清志郎の場合、RC、ソロだけでなく、さまざまなバンド、ユニットで活動しているだけにそのアルバムも膨大で、代表作を選ぶのがなかなか困難だったりもすることも事実だ。
RCなら『ラプソディー』『シングル・マン』『COVERS』は当然として、それこそ『PLEASE』もいいし、『BLUE』も『the TEARS OF a CLOWN』もいい。あれは清志郎ではないものの、『TIMERS』も外せないし、細野晴臣、坂本冬美とのユニット、HISの『日本の人』も佳作だ。2・3’sであれば『GO GO 2・3’s』だろうし、Little Screaming Revueは『Groovin’ Time』もいいし、『冬の十字架』もいい。…これは確かに選べない。
やはりビギナーやライトなリスナーにはベスト盤がお手軽お手頃で、そこから入って、気に入った時代のアルバムに手を出すのが正しい清志郎への道という気もする。今回のような、RCを含めて何度目かのベスト盤も、稀代のロックミュージシャンへの手引書として必要なものだと理解できる。
その意味では、『ベストヒット清志郎』で、〈ディスク2〉M 30「誇り高く生きよう」にピンと来た人には、このナンバーが収録されたアルバム『夢助』を手にしてほしいところではある。いや、今回のベスト盤を聴いたり、映画『体操しようよ』を見たりして、少しでも忌野清志郎というミュージシャンに興味を持った人がいるのなら、『夢助』はぜひ聴いてほしいと思う。
何しろ『夢助』は清志郎の遺作、氏がこの世に残した最後のアルバムである。『夢助』以上に新しい清志郎はない。言わば、永遠の最新作だ。氏を偲ぶ意味で聴いておいたほうがいいというところもある。だが、それだけではない。本作は忌野清志郎のミュージシャンとしての集大成といった面持ちがあるからだ。ベスト盤が既出曲を集めたものだとすると、本作は清志郎自身が自らの歩みを自らで曲にし、それまでに関わった人たちとともに作り上げた作品といった印象。そういう意味での集大成だ。これが遺作となることを当人がどこまで意識していたのか分からないが、忌野清志郎としてのスタジオ録音作品、そのフィナーレとしてこの上なく相応しいアルバム…言い方は微妙だけれども、そうしたイメージが強いのである。
■憧れた人たちと憧れの地で録音
『夢助』のプロデューサーはSteve Cropper。Booker T. & the M.G.’sのギタリストだ。演奏はもちろんBooker T. & the M.G.’s が務め、ホーンセクションにはMemphis Hornsが参加している。Booker T. & the M.G.’sとMemphis Hornsは、1960年代において、サザンソウル、メンフィスソウルの発信基地だったと言えるレコードレーベル“Stax Records”で、Otis Redding、Sam & Daveらのレコーディングに参加したアーティスト。オーセンティックなR&B、そのサウンドを作り上げた伝説的なミュージシャンである。別にその辺の細かい音楽史の知らなくてもいいと思う。ただ、それらのメンバーとのレコーディングが清志郎にとって素晴らしい現場であったことは知っておいてほしい。『夢助』にはM11「オーティスが教えてくれた」というナンバーがある。作曲はSteve Cropperだ。歌詞は以下の通り。
《遠い遠い あの眩しい冬/オーティスが シャウトしてた/勇気を出せよ 君の人生だろ》《オーティスが 教えてくれた/遠い国の やせっぽちの少年に/オーティスが そっと教えてくれた/歌うこと 恋に落ちること》《愛し合うこと/君と歩くこと/笑うこと/涙を拭くこと/しゃべること/信じること/抱きしめること/旅に出ること/叫ぶこと/愛し合うこと/戦争をやめること》(M11「オーティスが教えてくれた」)。
オーティスとは前述のOtis Reddingのこと。歌詞中の《遠い国の やせっぽちの少年》とは間違いなく清志郎自身のことだろう。つまり、自分の音楽ルーツであるOtis Reddingへの想いを、そのOtis Reddingの数々の楽曲を手掛けたメンバーの演奏で歌っている。もっともBooker T. & the M.G.’s、Memphis Hornsとは1992年のソロ2ndアルバム『Memphis』が初共演で、そこでもOtis Reddingから清志郎が拝借したシャウト“ガッタガッタ”を披露しているので、清志郎はもとからその影響を隠してはいなかったが、ここでは実にストレートに憧憬と敬愛を示している。《愛し合うこと》というフレーズ辺りは、清志郎の有名なMC「愛し合ってるかい?」の元ネタがOtis Reddingであると公言しているに等しい。
もうひとつのSteve Cropper作曲のナンバーであるM8「THIS TIME」ではこんなふうに綴っている。
《今こそ その時がやってきたんだ/もう誰にも 僕を止められないさ/今こそ 行くべき場所がわかったんだ/音楽に導かれて 行き着くのさ》《ずっと夢に見ていた こんな日が来る事を/君は夢を持ってるかい きっと叶えられるさ》(M8「THIS TIME」)。
本作が生前最後のアルバムとなった今では複雑な感慨は拭えないが、米国テネシー州ナッシュビルで若き日に憧れたミュージシャンたちと再度自分のレコードを作っている清志郎が、その喜びを爆発させている様子が手に取るように伝わってくる。本作に限らず、“夢”は清志郎楽曲の重要なキーワードである。それを上記のように何の衒いもなく使い、それこそアルバムタイトルを『夢助』としたことにも、清志郎がそれまで以上に胸襟を開いていたことが感じられる。
■旧友、盟友たちとの素敵な再会
『夢助』では久々のコラボ曲も聴けた。これも本作のいいところだ。M14「あいつの口笛」は細野晴臣が作曲している。前述の通り、細野と清志郎とは坂本冬美とともにHISを結成し、1990年にアルバム『日本の人』を制作した間柄。HISでは、音楽ジャンルの垣根をなくしたプロデューサー、細野の手腕が光った。M14「あいつの口笛」では細野らしい、いい意味で肩の力が抜けたメロディーが、50代半ばとなった渋い清志郎を演出しようとしているかのようである。R&Rの基礎とも言える2ビート。清志郎の弾くウクレレ。独特の細野の低音コーラス。かすれ気味の口笛。ひとつひとつの個性的な音がとてもいいバランスで重なっていくのは、Steve Cropperのプロデュース能力の高さによるところも大きいのだろうか。
《自転車を盗まれ うちひしがれている時/どこからかあいつが やって来てくれた/口笛吹きながら 長い影を連れて/なつかしい笑顔の 古い友達さ》《遠い旅の途中で ふと立ちどまる時/かすれた口笛が 聞こえた気がしたんだ》《オレンジ色の風が 青い朝の道を/ゆっくりと走り出す 旅はどこまでも》(M14「あいつの口笛」)。
《自転車を盗まれ》というのは、2005年に清志郎の自転車“オレンジ号”が盗まれた時のこと。《オレンジ色の風》は愛車のことだろう。その盗難事件の際に細野が清志郎を慰めに行ったのかどうかは定かではないが、その時期に会ったことは確かなのだろうし、その再会によって《うちひしがれている》清志郎は幾分救われたのだろう。旧友、細野のメロディーに上記のような表現で応えているのは、何とも清志郎らしいシャイな感じがして、とても味わい深い。また、《かすれた口笛》は、Otis Redding「(Sittin’ on) The Dock of the Bay」のアウトロでの口笛とする説がある。実際、それと「あいつの口笛」のアウトロでの口笛とはメロディーが酷似している。だとすると悲しい偶然が痛々しい。「(Sittin’ on) The Dock of the Bay」のレコーディング3日目後にOtis Reddingは事故で亡くなっている。つまり、「(Sittin’ on) The Dock of the Bay」も、(「あいつの口笛」がそうであったか分からないが、それが収録された)『夢助』も、それぞれの作者にとって最後の作品なのだから──。
■RCを彷彿させるCHABOとの共演
『夢助』の注目は、何と言ってもM3「激しい雨」だろう。これはRC時代の盟友、仲井戸“CHABO”麗市との共作である。RCの活動休止後、両名は1994年8月に日比谷野外大音楽堂で共演を果たしているし(その模様はライヴアルバム『GLAD ALL OVER』に収録)、1997年に忌野清志郎 Little Screaming Revueで発表したシングル「メロメロ」がRC後期の未発表曲で清志郎&CHABOの共作だったりして、少なくともこの頃には、お互いに変なわだかまりはなくなっていたようではある。
「激しい雨」制作のきっかけは、2006年2月の『新 ナニワ・サリバン・ショー』の打ち上げ。その首謀者(?)は三宅伸治だったらしい。もとは運転手兼付き人であり、NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNSのバンマスでもあり、数多くの楽曲を清志郎とともに作ってきた、清志郎の愛弟子である(『夢助』で三宅はM5「涙のプリンセス」を清志郎と共作している)。その三宅からCHABOに“昔みたいに一緒に曲を作ったりできませんか”と後押しがあったという。その後、清志郎とCHABOが直接連絡を取り合って、“よし、やろう!”ということになり、三宅がベースを弾き、新井田耕造がドラムを叩いて、デモを完成させた。2009年にリリースされた清志郎最後のシングル「Oh! RADIO」のカップリングに収録されている「激しい雨 (2006.05.14 Private Session)」がその時のものである。
「激しい雨」は仲井戸“CHABO”麗市と清志郎とでともに手掛けただけにさすがにRCの匂いがする。サウンドこそ、本場のR&B、ソウルのフレイバーが色濃いが、「雨あがりの夜空に」であったり、「ドカドカうるさいR&Rバンド」であったり、RCのライヴのハイライトで聴いた、あのカタルシスがここにも間違いなく存在している。
《海は街を飲み込んで ますます荒れ狂ってる/築きあげた文明が 音を立てて崩れてる/お前を忘れられず/世界はこのありさま》《季節はずれの 激しい雨が降ってる/歩き出した未来は 冷たく濡れたままでも/誰もが見守ってる/世界は愛し合うのか》《Oh 何度でも 夢を見せてやる/Oh あの夏の 陽焼けしたままの夢(Oh ダイヤモンドが 輝いてる夜の夢)》《RCサクセションがきこえる/RCサクセションが流れてる》(M3「激しい雨」)。
Neil Youngが2000年のアルバム『Silver & Gold』で「Buffalo Springfield Again」と歌ったように(※註:Buffalo SpringfieldはNeil Youngが在籍していたバンド。1968年に解散)、“RCサクセション”と歌う清志郎の声がラジオから聴こえてきたら…とCHABOは考えたという。ふたりの間でどんなやり取りがあって「激しい雨」に至ったのかは分からない。ただ、両名にとってのRCが大きくて不可侵なものであったことは確かなようで、歌詞の中での距離感が絶妙だ。力強く後押ししてくれるようにも、冷静に見つめているだけのようにも思える。でも、結果的にはそこがとてもいいのだと思う。
『COVERS』の内容とそれを発売した清志郎の姿勢に反発して、それ以降は清志郎の楽曲から離れていた爆笑問題の太田光は、東日本大震災後、「激しい雨」を聴いて鳥肌が立ったという。1999年に太田光が自身のコラムで“政治家に影響力はない”と書いたことに清志郎が憤慨して、爆笑問題と誌上対談した時のことも振り返りながら、“俺は清志郎さんの手のひらの上(だった)”と述懐していたそうである。清志郎という存在は日本ロック界のマイルストーンであることを思い知らされるエピソードだ。「激しい雨」のみならず、聴く人にとって清志郎の楽曲は時に警鐘となったり、時に光明となったりするのだろう。冒頭で、個人としては故人のベスト盤には閉口と述べたが、撤回する。清志郎に限っては定期的に出したほうがいい。それは、日本のロック界に限らず、“夢”を抱く多くの人が道を迷わないためにも必要なことのような気がする。
TEXT:帆苅智之
アルバム『夢助』
2006年発表作品
<収録曲>
1.誇り高く生きよう
2.ダンスミュージック☆あいつ
3.激しい雨
4.花びら
5.涙のプリンセス
6.残り香
7.雨の降る日
8.THIS TIME
9.温故知新
10.毎日がブランニューデイ
11.オーティスが教えてくれた
12.NIGHT AND DAY
13.ダイアモンドが呼んでいる
14.あいつの口笛
【関連リンク】
『夢助』は夢を抱くすべての人へ、忌野清志郎が遺したマイルストーン
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