矢沢永吉の全国ツアー『EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018 -STAY ROCK-』が9月1日、北海道・北海きたえーるからスタートする。というわけで、今回は矢沢永吉の名盤をセレクトするのだが、本来なら(という言い方も変だが)1978年の4th『ゴールドラッシュ』辺りに白羽の矢が立つところ、御年69歳を迎える誕生日の翌日である9月15日には約3年振りの東京ドーム公演が決まっているとあって、40年前、東京ドームの前身とも言える後楽園球場で開催されたライヴを収録した『LIVE 後楽園スタジアム』をピックアップしてみた。
■ライヴアーティストのパイオニア
今回の東京ドーム公演を含む全国ツアーから、矢沢永吉(以下、矢沢)のコンサートチケットは全て電子化されるそうだ。69歳でドーム公演を実現させることも流石だが、今回の100パーセント電子チケットはそれ以上に“流石、矢沢”と言った印象がある。
思えば、矢沢は日本のコンサート業界において常に先駆者であった。ソロデビュー以降、徹底してライヴにこだわり、演奏形態やステージングはもちろんのこと、制作全般、興行面においても常に矢沢らしさを発揮してきた。ホーンセクションやストリングスの導入。The Doobie Brothersのメンバーをはじめとする現役バリバリの海外ミュージシャンの参加。今一般的になっている特殊効果の中には、日本国内では矢沢が初めて導入したものも少なくないだろう。グッズ販売のことも忘れてはならない。今やどのコンサートに必ずある物販コーナーの中で、タオルはTシャツと並ぶ必須アイテムであるが、その元祖はあまりにも有名なロゴをあしらった“E.YAZAWAタオル”であろうことは疑うまでもない。
そんな国内のライヴアーティストのパイオニアである矢沢が、コンサートチケットの完全電子化に取り組む意味はかなり大きい。そのインパクトは他のアーティストの比ではなかろう。曰く「YAZAWAの勘」からの行動とのことであるが、今回の矢沢の行動は長い間、業界内で問題視され続けているチケットの不正転売を抑え込む一助となるであろう。
矢沢がコンサートでやったことはそのまま業界の不文律となる──ようなところがあるのではないかと思う。ライヴハウス→ホール→アリーナ→スタジアムと、バンド時代からライヴ会場をステップアップさせたロックミュージシャンの元祖は矢沢だろうし、1970年代後半には国内アーティストがおいそれと公演することができなかった日本武道館を最終到達点とすることなく、さらにその何倍ものキャパシティーを誇る後楽園球場でのコンサートを実現させたのもロックでは矢沢が最初だ。
この功績は大きい。今もほとんどのアーティスト、バンドがセールス規模の拡大をライヴ会場のステップアップと同義としてきたようなところがあるのは、そうした、言わば“矢沢メソッド”と言うべきもののトレースであろう。過去には「どんなに売れても武道館やドームではならない」という活きのいい連中もいたが、これとて矢沢メソッドがあったからこそ、その反動であることは確実で、大袈裟でも何でもなく、日本のライヴアーティストの活動スタイルは矢沢が創り上げたと言っても過言ではないのである。
■日本のライヴの型は 矢沢が創ったのかも!?
矢沢のライヴアルバムは多く、現在のところ、ライヴベスト盤を含めて実に11枚もリリースしている(映像作品は限定ものも入れて何と35作品を発表!)。ライヴミュージシャンの面目躍如といったところだが、本作は『LIVE 後楽園スタジアム』は、『THE STAR IN HIBIYA』(1976年11月)、『スーパーライヴ 日本武道館』(1977年11月)に次ぐ、3作品目で、3年連続でのライヴアルバムの制作はまさに矢沢メソッドをかたちにした印象である。そればかりか、その内容は“ことによると、日本のロックコンサートの構成、ライヴの型みたいなものも矢沢が創ったのかもしれない”と思うほどだ。
インスト(SEや長めのイントロを含む)から入って、オープニングは派手なアップチューンで、コール&レスポンスなど観客との一体感を生むものが相応しい。続きは一般的な知名度はそうでもないが、ファンには馴染みのあるナンバーを数曲持ってきて、そのあとでテンポダウン。そこからそのままバラードに突入するケースもあれば、再び若干テンポを上げてからバラードに持っていくケースもあるが(『LIVE 後楽園スタジアム』の場合は前者)、肝心なのはそこにキラーチューンを配すこと。ここでグッとさせることで、それ以降に連発するアップチューンが活きる。そして、フィナーレもまたアップのままでいくケースもあれば、一旦MCを入れてバラードにするケースもあるが、いずれにしても最後はもっとも説得力のあるナンバーを置く。そのアーティスト、バンドを代表するナンバーか、レコ発のツアーならレコードの核となるナンバーだ。アンコールは極端に言えば本編の短縮版。少ない曲数で緩急を付ける。ライヴ盤ならここで当日の模様を語るMCを収録してもいいし、歓声の大きさで公演の大団円を示すのもいい。
この楽曲構成、この流れが、正しき日本のロックコンサート、そのひな型となったのではないかと推測する。正直に告白すると筆者はこの時期の矢沢をリアルタイムで体験したわけではないし、当時の矢沢以外のロックも然りで、何か確証があるわけではない。確証がある話ではないが、理解してもらえるのではなかろうか。スタジアムクラスでのロックコンサートを観た人ならば上記のようなセットリストは実に自然なものだと感じるのではないかと思う。
■のちのバンドに感じる矢沢からの影響
『LIVE 後楽園スタジアム』以降に発表された矢沢以外のさまざまなアーティスト、バンドのライヴアルバムの内容もそれを証明していると思う。ライヴ盤の名作であるばかりか、今も邦楽ロックの名盤中の名盤に数えられるアルバムがある。実名は控えるが、すでに鬼籍に入られた、ロック界のもうひとりのボスが率いた某バンドの作品だ。今思えば、この収録曲の流れは『LIVE 後楽園スタジアム』に近い。いや、オリジナル版にその感じは薄いかもしれないが、のちに発表された“NAKED”は、DISC2がバラードで始まり、後半の畳み掛ける感じからバラードで締め括られる辺りは矢沢のひな型に忠実な印象すらある。
人気絶頂期にバンドが解散し、ソロ活動に転じた、矢沢と同じ道を歩んだロックミュージシャンがいる。こちらも実名は控えるが、ソロになってからはほとんど歌詞を書かなくなったことや、バックバンドに海外の著名なミュージシャンを起用した辺りも矢沢からの影響を感じさせる、2016年にライヴ活動から卒業した人である。そのバンド時代、1986年に発表されたライヴ盤も『LIVE 後楽園スタジアム』に似た匂いがする。B面がバラード始まり、バラードで終わるのもそうだし、オープニングSEが収録されているのもそうだ。
その△△△△△や×××××が実際に矢沢からどの程度インスパイアされていたのか分からないし、ましてや、矢沢にしてもThe Rolling Stonesなど海外のロックコンサートを大幅に参考したのかもしれないから、前述の彼らが矢沢をパ○ったとか言うつもりはサラサラない。単に筆者がそう思っただけの話で、的外れである可能性は極めて高いのだが、“矢沢永吉のライヴ=日本のロックコンサートのひな型”説、ご一考いただけたら幸いである。
■セルフプロデュースの アーティストの軌跡
まぁ、その説は座興がすぎるものかもしれないけれども、『LIVE 後楽園スタジアム』は矢沢が自らのライヴのスタイルを貫き通した末に辿り着いたコンサートのかたちが収められたものであることは間違いない。本作と前述したそれ以前のふたつのライヴ作品(『THE STAR IN HIBIYA』、『スーパーライヴ 日本武道館』)を比較するとよく分かるだろう。
矢沢の初期ライヴ作品が発表された合間には、当然スタジオ録音のオリジナルアルバムが出ている(1975年の1stアルバム『I LOVE YOU,OK』、1976年の2nd『A Day』、1977年の3rd『ドアを開けろ』、1978年の4th『ゴールドラッシュ』)。『LIVE 後楽園スタジアム』収録曲は発売時期が近いとあって流石に『ゴールドラッシュ』と『ドアを開けろ』からのナンバーが多いものの、『I LOVE YOU,OK』と『A Day』の収録曲もしっかり披露されている。それらはアルバムを代表するナンバーであったり、シングル曲であったりするので、ライヴで披露されて当然の“定番曲”と見る向きもあろうが、『THE STAR IN HIBIYA』と『スーパーライヴ 日本武道館』から鑑みると、ライヴで培われることでコンサートの定番と化したことが分かる。ローマは一日にして成らず…じゃないけれど、あの矢沢ですらソロデビューからしばらくは、一年一年着実に自らのスタイルを築き上げていったことが想像できる。初期ライヴ盤3作品はそれを知る、文字通りのレコード=記録であるし、『LIVE 後楽園スタジアム』は初期ライヴ作の完結編と言えると思う。
さらに言えば、矢沢は今や誰もが認めるロック界のスーパースターであるが、ソロでの最初のツアーはバンド時代のファンから不評だったという。特に不入りだった佐世保公演ではスタッフが無料券を配って1500人入る会場にやっと200人が集まったというから(このエピソードは“リメンバー・佐世保”として語り草になっている)、如何な矢沢と言えども一足飛びにスターの階段を上り詰めたわけではなかった。その佐世保のような状況からわずか2年でスタジアム公演に至ったというはどう考えても半端じゃないけれども、1975年の1st『I LOVE YOU,OK』から1978年の4th『ゴールドラッシュ』のオリジナルアルバムにおいては──スーパースターを捕まえて成長と言うのも憚られるが、セルフプロデュースのアーティストとしての歩み、その軌跡を見ることができる。
■初期ならではの歌詞が連なる面白さ
『LIVE 後楽園スタジアム』は前述の通り、そこまでの矢沢のオリジナルアルバムの中から当時の矢沢を代表するナンバー、各作品の核となるナンバー、そしてライヴでの定番曲を収録しているのだから、初期・矢沢のダイジェストという見方もできるだろう。
《きつい旅だぜ/お前に分るかい/あのトラベリン・バスに/揺られて暮らすのは/若いお前は/ロックン・ロールに憧れ/生まれた町を/出ると言うけど/その日ぐらしが/どんなものなのか/分っているのかい》(disc 1・M2「トラベリン・バス」)。
《つっぱり ジョンも 気どり屋 ポールも/待ってる はずだよ 行こうぜ 急げ》《リッケン・バッカー 抱いて歌えば》(disc 2・M2「恋の列車はリバプール発」)
《エリナーリグビィーは/そう教会で死んだそうだぜ/でも俺は畳じゃしなねえぞ》《ホームのあの娘に HELLO GOOD-BYE》(disc 2・M2「サブウェイ特急」)
《俺のハートは Get No Satisfied/いつも Get No Satisfied》《ホレたあの娘に言ったぜ I Love You/君に捧げる All My Love》《まるで犬ころみたいさ Night & Day/なのに文無し Night & Day》(disc 2・M3「黒く塗りつぶせ」)。
《シャクな 金持ちどもを/みんな 黒く塗りつぶせ》《古い 夢みる奴ら/みんな 黒く塗りつぶせ》(disc 2・M3「黒く塗りつぶせ」)。
《鎖につながれて/お前は生きるのかい/夢が やせちまうぜ/あきらめた顔のまま/老いぼれてしまうのかい/汗も 流さないで》《ひと山当てたら お前もスーパー・スター/そうさ 今は Gold Rush!》《男だったら 鎖を引きちぎれ/お前と おれの Gold Rush!》(disc 2・M8「鎖を引きちぎれ」)。
矢沢の歌詞はラブソングが多く、楽曲においては自著伝『成りあがり』に集約されるようなイメージのものは案外少ない。しかし、この時期はまさに『成りあがり』を地で行くようなリリックがあったり、ロックンローラーとしてのスタンスを綴ったものがあったり、The BeatlesやThe Rolling Stonesへのオマージュを隠していなかったりと、若さあふれる歌詞が連なっていることを確認できるのも、初期・矢沢完結編と言える『LIVE 後楽園スタジアム』ならではの面白さであろう。
TEXT:帆苅智之
アルバム『LIVE 後楽園スタジアム』
1978年発表作品
<収録曲>
■Disc 1
1.イントロダクション
2.トラベリン・バス
3.世話がやけるぜ
4.あの娘と暮らせない
5.古いラヴ・レター
6.チャイナタウン
7.ラッキー・マン
8.ゴールドラッシュ
9.苦い涙
10.親友
11.昨日を忘れて
■Disc 2
1.時間よ止まれ
2.恋の列車はリバプール発~サブウェイ特急
3.黒く塗りつぶせ
4.ガラスの街
5.ウィスキー・コーク
6.アイ・ラヴ・ユー, OK
7.そっと、おやすみ
8.鎖を引きちぎれ
9.長い旅
10.ひき潮
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