山下久美子の40周年記念作品『愛☆溢れて! ~Full Of Lovable People~』が10月21日に発売となった。その中身は『40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」』というベスト盤(新曲も収録)に始まり、『LoveYou Live☆ “Sweet Rockin’ Best of Live 2018″』はライヴ盤、7thアルバム『アニマ・アニムス』の楽曲で構成されたビデオクリップ集の初DVD化『黄金伝説』という3枚組の大ボリューム。周年記念の祝祭に相応しいファン必携のアイテムと言っていいだろう。…というわけで、今回はその山下久美子のディスコグラフィの中から名盤をピックアップしようと試みようということになったのだが──。
■ある時期での成熟を見せた作品
前述の通り、今年デビュー40周年を迎えたロックシンガーの草分け的存在と言っていい彼女である。オリジナルアルバムだけでも1st『バスルームから愛をこめて』から数えること、実に20枚。ミニアルバム、ライヴアルバム、カバーアルバム、コラボレーションアルバムを含めればもっとある。よって、山下久美子作品の中から1枚を選ぶのもなかなか至難の業であり、すでに『バスルームから愛をこめて』は本コーナーで紹介済みのため、“『JOY FOR U』っすかね?”“『1986』のほうが分かりやすいでしょうか?”“いや、「宝石」が入っている『LOVE and HATE』もいい”“『Sophia』も久美子さんのひとつの到達点でしょうけど”とチョイスするにあたって、これがわりと喧々諤々となった(※そうは言っても筆者と担当編集さんとの間だけで、しかも上記の台詞は概ね担当さんのものだけど…)。
まぁ、そんな時は大体何を選んでも間違いないところではあって、いっそのこと、彼女自身が“一番反抗的な時代”だったと振り返る『アニマ・アニムス』(1984年)辺りでもいいのかとの思いが頭を過ったりもしたが、ここは冒険せずに『LOVE and HATE』とした。そこに何か明確な基準があったわけではない。強いて言えば、“やっぱり「宝石」はいい楽曲だなぁ”と思ったのと、今回発売された40周年記念作品『愛☆溢れて! ~Full Of Lovable People~』のDISC1“40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」”に、「情熱」「鼓動~HEART BEAT(Re-mix)」「リアルな夢?」と『LOVE and HATE』収録曲が比較的多く見受けられることから、ベストを聴いてオリジナルアルバムに興味を持った人は、まず『LOVE and HATE』へ行くのがスムーズかなという程度の理由だ。
しかしながら、『LOVE and HATE』を聴き終えた今なら断言できる。これはとても優れたアルバムである。『Sophia』(1983年)も山下久美子の名盤だろうが、『Sophia』が初期の名盤なら、『LOVE and HATE』は──それを中期とか第何期とか呼んでいいのかどうかは分からないけれども、彼女の歴史において別のフェイズを迎えた段階での傑作であることは間違いない。そのフェイズとは具体的に言えば、布袋寅泰をプロデューサーに迎えていた時期である。布袋は『1986』から彼女のサウンドプロデューサーを務め、17th『SUCCESS MOON』(1995年)まで携わっていたが、最初のコラボレーションから8年を経て、『LOVE and HATE』はその関係が成熟したものとなったことを示したアルバムであったように思う。もしかすると、ひとつの到達点であったと言ってもいいかもしれない。発表されてから4半世紀以上が経った今も、聴けば聴くほどに、山下久美子の代表作であり、名盤であると確信する出来栄えである。
■ひと筋縄ではない多彩なアレンジ
全13曲収録。いかにも1990年代らしい60分を超える大作ではあるものの、楽曲が個性的でバラエティーに富んでいるのが本作の優れた点ではあろう。オープニングのM1「宝石」からモータウンビートを効かせているのはその象徴と言ってもいい。ブラスセクションも相俟って全体に溌剌とした印象のサウンドは、デビュー時に“総立ちの久美子”と言われた彼女の快活なライヴパフォーマンスを彷彿させるところである。アルバムの出だしとしてもこの上なくばっちりだろう。
M2「DRIVE ME CRAZY」は、アルバム2曲目という位置とその楽曲タイトル、さらにはM1「宝石」からの流れを想像すると、ビートから始まりそうなものだが、そうなっていないのがいい。抑制の効いたアコギのイントロから始まり、1番は弾き語りというスタイル。1番終わりからバンドサウンドが入ってくる。この辺は実際どういう意図があったのか分からないけれど、少なくとも勢いだけで迫っていない印象はあるし、“総立ちの久美子”とは少し趣が異なる山下久美子の作品であることも提示されているようにも感じる。かと思えば、M3「情熱」はまたビートを効かせてくる。一瞬“またモータウン?”と思わせつつ(※リズム隊はそれを踏襲しつつ)、今度はラテンフレイバー。コーラスも相俟ってまさに情熱なイメージだ。しかも、ブラスセクションはソウルミュージック風で、The Blues Brothersのカバーでも知られるOtis Reddingの「I Can’t Turn You Loose」を感じさせるフレーズが印象的に入っていたりもする。落ち着いた派手さと言ったらいいだろうか。サビメロは爽やかさすら感じさせるし、一筋縄ではいかないアレンジを聴かせてくれる。
やわらかなメロディーのミディアムバラードM4「’Cos I Miss You (That’s All)」を挟んで、M5「抱きしめたい」はロックンロール! パッと聴きは、アップライトベースが全体を引っ張る3コードのR&R展開を想像するが、こちらもひと筋縄ではいかない。そもそも想像するような展開ではない上に、Cメロのある構造で、そこにストリングスを重ねているという念の入れようだ(?)。文字通りのスローバラードであるM6「スローダンス」は、想像の遥か上を行っていると言っていいだろうか。歌はメロディアスでバラード然としたものである一方、終始前面に出ているストリングスがクラシック音楽のようでもあり、映画の劇伴のようでもあり、もちろんポップミュージック的でもあるという、何ともカテゴライズしづらい仕上がりである。長尺のイントロや、Cメロ(?)のサイケな感じもさることながら、とりわけ印象的なのはアウトロである。ドラマチックと言えばドラマチックだが、はっきり言えばどこか不穏な雰囲気すらあって、“愛憎”と名付けられたアルバムの世界観をより深く感じさせるような気もする。この辺は世界的なアレンジャーであるSimon Haleの面目躍如であろうし、彼の手腕が最も分かりやすく確認できるところではなかろうか。
■ラブソングに似合ったサウンド
M7「鼓動〜HEART BEAT (Remix)」は、先行シングルとしてリリースされた「宝石」のカップリング曲にもなったナンバー。若干、昔で言うところのクラブっぽいリズムではあるが、ことさらそこを強調している感じもなく、やはり叙情的なメロディーが秀逸で、そこが際立っている──逆に言えば、歌を際立たせている印象がある。後半のコーラスワークはMinnie Riperton風で、ソウル、R&B好きの彼女の嗜好を感じさせるところ。また、この辺は、M1「宝石」のモータウンビートもそうであったが、ラブソングに似合っていると思う。そこから一転、M8「LOVE AND HATE」はスリリングなバンドサウンドとホーンセクションがグイグイと迫るロックチューン。スパイ映画の劇伴的というか、サーフロック的というか、ワイルドなギターサウンドが全体を支配しており、これがタイトルチューンであることを思うと、これもまたアルバムの世界観、“LOVE and HATE”の深みみたいなものを考えさせられる楽曲ではあるだろう。ギターサウンドはもちろんのこと、アウトロでのいかにも布袋らしいコーラスも聴きどころではあると思う。
M9「狙われた週末」はこれもまたブラスアレンジがカッコ良いR&B風のナンバーで、Bメロのドンタコなリズムも含めて、カバーアルバム『Duets』(2005年)収録の「愛の行方」で彼女と共演経験のある忌野清志郎辺りがやってそうな雰囲気だが、清志郎ほどには泥臭くはない。ギリギリそうさせないのは山下久美子の歌声にも関係していると思うし、その辺を加味したアレンジが施されているような気もする。
M10「リアルな夢?」は筒美京平が作る昭和歌謡的メロディーと言おうか、イントロだけを聴いたら──誤解を恐れずに言えば、堺正章辺りのカバーのような感じがあるが、とても親しみやすく、いろんな意味でやさしい歌メロを持つナンバー。メロディー、歌詞に呼応しているかのようなサウンドもいい意味で派手さがない。アウトロでサックスが聴こえてくるが、同じくサックス使っているM7「鼓動〜HEART BEAT (Remix)」ではそれがAORな雰囲気を与えているのに対して、こちらはシティでもアーバンでもなく、軽快に楽曲を彩るように導入されている。カジュアルな雰囲気と言ったらいいだろうか。楽曲全体を考えた適切なアレンジではあると言える。
続くM11「壊れた時計」はブルースなのか、ケルトなのか、それとも南米系なのか、これもまたカテゴライズしにくい不思議なメロディーとサウンドだが、興味深い楽曲ではある。ポップさは薄く、全体的には幻想感の強いナンバーだからか、これまでベスト盤に収録されるようなこともなかったようだが、埋もれさすには惜しいナンバーでだろう。メロディーの押しも強いし、再評価されてしかるべきはないかと個人的には思う。
M12「Adieu Au revoir Adieu」はAOR風ではありつつも、そう呼ぶよりも“渋い”と言った方がしっくりくる感じ。ピアノの音色。ブラシでのドラミング。バイオリンの響き。どれをとっても楽曲のテーマである“別れ”を演出しているようである。このM12「Adieu Au revoir Adieu」でアルバムが終わるのは寂しすぎると思ったのか、アルバムのテーマがどちらかに偏ると判断したのか、それは分からないけれども、『LOVE and HATE』は次のM13「魔法の消えた世界で」でフィナーレとなっている。ワイルドなギターで始まるバンドサウンドで、これもまたここで空気が一転。映画やドラマのエンディングに流れるテーマ曲のような感じは、もしかすると評価の分かれるところかもしれないけれど、彼女はロックシンガーなのだから、こうした景気のいい感じのサウンド(?)こそが相応しいのだろう。テンポもそれほど速くはないので、ラストに置くにはちょうどいい。
■優秀なる三位一体の結実
…と、ザっと全曲を解説してきたが、改めて似たようなサウンドがほぼないことに気付いた。ソウル、R&Bテイストは随所で見られるものの、M9「狙われた週末」で前述した通り、それをストレートに表現するのではなく、あくまでも山下久美子らしく仕上げているように思える。それはSimon Haleのアレンジ力によるところだろうが、作曲を出がけた布袋の作ったメロディーも大きく影響しているのは間違いない。彼のメロディメーカーとしての資質はここで説明するまでもなかろう。きちんとした歌メロであることは言うまでもなく、本作で布袋が作曲した12曲は全て歌モノと言っていい。この時点でJ-ROCK、J-POPといったカテゴライズはまだなかったと思うけれども、その抑揚はまさしく今日で言うところのそれである。そんなキャッチーなメロディーに合わせるサウンドはバラエティーにならざるを得なかったと考えられる。もちろん歌詞も大きく関係しているだろう。全編ラブソングではあるが、『LOVE and HATE』のタイトル通り、M1「宝石」のような、あふれんばかりの恋心を綴ったものばかりではない。
《ただ涙が流れて止まらない/震える手を握りしめ/誰かを憎んでしまいそうな情熱は/愛する印と信じて祈りを込める》(M2「DRIVE ME CRAZY」)。
《さっきの出来事をね/今さら私悔やんでる/”遠ざかってく/あなたを引き止めたりしてさ…”》《風が吹いていたあの街で抱き合った/二人にはもう戻れないのと/口にしないだけに辛いわ》《愛してる 憎めない/どっちにしたってあなたを/愛せない 憎んでも/恋は儚くて》(M8「LOVE AND HATE」)。
《夢と同じ道を たどってゆくと/遥か遠く あなたの面影 優しく私を招くよ/とても深い夜に 星も見えない/空の下で 抱きしめあうのが さだめなの》《壊れた時計のように 世界が歪んで見えるの/狂った時間の中で 天使を求める心》(M11「壊れた時計」)。
《涙乾くまでは/ねぇ…何も言わないで/ふたり敵わない愛を知ってしまったの?/哀しい街角 雨に濡れている/Adieu Au revoir Adieu/あなたは帰らぬ/Adieu Au revoir Adieu/わたしの恋人》(M12「Adieu Au revoir Adieu」)。
出会いもあれば別れもあって、愛が憎しみに変わるようなこともある。通り一遍のラブストーリーではなく、歌詞にあるのは男女間の機微といったものだ。それを表現するのには、やはり件のような、ある種、複雑と言っていいサウンドが必要だった──そんな見方もできよう。つまり、『LOVE and HATE』は、優れたコンポーザー、優れたアレンジャー、そして優れたシンガーが三位一体となって創り上げたアルバムなのであって、それが傑作でないわけがないのである。
TEXT:帆苅智之
アルバム『LOVE and HATE』
1994年発表作品
<収録曲>
1.宝石
2.DRIVE ME CRAZY
3.情熱
4.’Cos I Miss You (That’s All)
5.抱きしめたい
6.スローダンス
7.鼓動〜HEART BEAT (Remix)
8.LOVE AND HATE
9.狙われた週末
10.リアルな夢?
11.壊れた時計
12.Adieu Au revoir Adieu
13.魔法の消えた世界で
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