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INORAN – Key Person 第8回 –

■音楽に対する“好き”っていう情熱は ずっと変わらない

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第8回はINORAN に話を訊いた。現メンバーで1989年にLUNA SEAを結成し、97年にはソロ活動をスタート。“一緒に音楽を作ってきた感覚が自分の細胞の中に入っている”と話すメンバーの存在や、30年以上の音楽人生の中で変わらずに大事にしていること、ミュージシャンとしてのモットー、年齢を重ねることで生まれた変化などを語ってくれた。

INORAN

イノラン:国内にとどまらず、世界に活動の場を拡げるLUNA SEAのギタリスト。1997年よりソロ活動を開始、現在迄にフルアルバム10枚以上をリリースする等精力的な活動を行なっている。LUNA SEA、ソロの他にもTourbillon、Muddy Apes等多岐に渡るプロジェクトで音楽活動を鋭意展開中。ソロ活動20周年を迎えた17年8月にセルフカバーベストアルバム『INTENSE/MELLOW』を、LUNA SEAが活動30周年を迎えた19年8月にはオリジナルフルアルバム『2019』を発表し、20年9月にアルバム『Libertine Dreams』をリリース。

■遠回りした分だけ強くなれたと思う

──中学生の時にギターを弾くようになったそうですが、当時はどんな音楽を聴いていましたか?

「神奈川だったのでテレビでアメリカのビルボードのヒットチャート番組をやってたんですよ。だから、ヒットチャートの曲はもちろん聴いてて、一番最初に買ったレコードはシンディ・ローパーの1stアルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』でした。今思うと豊かな時代で、チャートもバラエティーに富んでいましたね。」

──そこからバンドをやろうとなったきっかけは?

「まず中2の時に友達を介してJに会って、レコードを貸し借りする仲になり、Jがベースを持ってたので、“じゃあ、俺はギターね”っていう感じが馴れ初めだったかな? それぞれ楽器を持ってたから、みんなで合わせたいっていう自然な流れでバンドを組みましたね。」

──INORANさんはサウスポーなのに普通のギターを使用していますが、どんな流れでそうなったんですか?

「家に親父のクラシックガットギターがあったんですよ。それがレフティーじゃなくて…というか、当時は利き手で違うなんて知らなかったから、それを自分のギターを買うまで弾いてたんだよね。だから、自分で買う時もその流れで。」

──途中からレフティーがあるのを知っても変えようとはならなかったんですか?

「やっぱり物事って理に適ってて、右利きの人はどう使うのかってちゃんと考えて作られているわけだから、メジャーデビューして3枚目くらいの時に変えようと思ったことがあるんだけど、もう全然ダメでしたね。まったくの初心者になっちゃって。」

──もうその頃には手に染みついていたんですね。そして、高校1年生の頃に学祭バンドとしてLUNACYで初ライヴをされましたが、その時のことってどのように記憶していますか?

「ドッカンドッカンでしたよ!…っていうのは冗談ですけど(笑)、覚えてます。高校の時のバンドは常に楽しかったから。みんな楽しいことが大好きだし、あんまり頭も良くなかったのでそういうことしかなかったし。」

──それから本格的にバンド活動をしていく中で、オリジナル曲を作るようになった頃にD’ERLANGERを聴いて衝撃を受けたそうで。

「うん。中学の頃からいろいろなバンドのライヴは観てたんだけど、みんな演奏がうまかったし、迫力もあったし、今まで観たことのない世界だったね。その中でもD’ERLANGERを観た時は“なんてカッコ良い人たちなんだろう”って衝撃を受けて。初めて観たのは目黒鹿鳴館で、ふーやんさん(D’ERLANGER二代目ヴォーカルDIZZY(福井祥史)の愛称)のラストライヴで…kyoさんの初ライヴも観ましたね。」

──憧れのギタリストはD’ERLANGEのCIPHERさんと公言していますが、その時はどう感じていましたか?

「当時日本のインディーズにもいろんなジャンルがあったけど、そんな中でもジャンルレスだったんですよ。ギタープレイであったり、出で立ちであったりとか、CIPHERさんにしかできない表現をしているギタリストだと思って憧れてました。」

──デビュー後にD’ERLANGERとは何度も共演をされていますね。

「今でも緊張しますよ。話したいけど話したくないっていう。憧れだし、神様みたいなものですから。」

──1996年にLUNA SEAが活動休止し、翌年の1997年にメンバーのみなさんがソロデビューをしてから今年で23年が経ちましたが、ソロ活動を始めた時に“ヴォーカルと言えば河村隆一”というのが染みついていて、自分の理想の高さに悩んだ経験もあったとのことですが、ソロ活動にはどんな難しさがありましたか?

「歌については理想が高い人が近くにいたから幸か不幸か葛藤はあったけど、今となってはその葛藤をひとつひとつクリアーしていった覚えがあるので、遠回りした分だけ強くなれたとは思いますね。でも、ソロの難しさはないです。楽でもないし、苦労するとも言えないけど、ソロをやらせてくれるレコード会社には感謝してます。それがなかったら独りよがりになっちゃうし、そもそもできませんから。一緒に作り上げてくれて、プロだから仕事として成立させるっていうのもあるし。やり続けられているっていうのは幸せなことですね。悩んだこともあったけど、もう忘れましたよ(笑)。」

──ソロ活動をすることによって、音楽に対してどんな心境の変化がありましたか?

「嫌いにはならないね。どんどん好きになっているっていうのは大袈裟かもしれないけど、それに近いです。キープしているわけでもないし。情熱は褪せないっていうか。」

──RYUICHIさんはテレビを通してお茶の間に出るようになり、SUGIZOさんはアート、真矢さんはソロ歌手としても活動し、Jさんはロック一筋と、それぞれ個性を活かした活動をされてましたが、メンバーのことはINORANさんにどう見えていましたか?

「やっぱりみんな“らしい”ことをやっていて、各々が探究する気持ちに貪欲っていうか。でも、もうほとんど知ってるから改めて何かを知るって感じはなかったかな? “だってリュウでしょ”“だってシンちゃんだし”って何やっても許せちゃうので。」

■全うして、さらに高みを 求めていくのが責任

──2013年にリリースされたRYUICHIさんのアルバム『Life』では「トパーズの丘」を楽曲提供し、ソロ活動20周年の年だった2017年にはSUGIZOさんと対バンツアーを行なっていますが、メンバーとソロで共演するのはどんな感覚になるのでしょうか? 

「それはもう自然ですよ。みんなそれぞれソロアーティストというか、いちミュージシャンとして表現をしているし、別にLUNA SEAで音を合わせる時と変わらない。その人の癖があるので、ジャンル感とか場所ではないんですよ。例えばSUGIZOがLUNA SEAの曲を弾いている時も、ソロでダンサブルにやっている時も、僕にとってはタイム感や癖が一緒なんですよ。」

──お互いを分かっている者同士だからこその感覚ですね。

「人生の中で一緒にいる時間が家族より長いし、乗り越えてきた喜びを分かち合ったり、抱えている想いも同じだったりとか…極端に言うと、一緒に音楽を作ってきた感覚が自分の細胞の中に入っているんです。いて当たり前ではないけど、一緒にいるのが自然なんですよね。」

──では、INORANさんにとってのLUNA SEAはどんな存在ですか?

「昨年30周年を迎えて、最初はそこまでメンバーと一緒にいて、たくさんの人に応援してもらえるバンドになってるとは思わなかったし、いつまでかは今は分からないですけど、ミュージシャンとして最後まで仕上げないとなって。もうライフワークになってるし、全うして、さらに高みを求めていくのが責任だと思う。」

──他にもhideさんとJさんと組んだMxAxSxSをはじめ、KEN LLOYDさんと組んだFAKE?や、RYUICHIさんとH.Hayamaさんと組んだTourbillonなど、いろいろなユニットやバンドでの活動もありますが、それらがご自身にもたらした影響はどんなものでしたか?

「それぞれに得るものがすごくありましたね。それはいい刺激だったりとか、向き合う脆さであったりとか、いろんな経験ができました。印象に残っていることはいっぱいあるけど、FAKE?では初めてRYUICHI以外のヴォーカリストとやったので、シンガーでもこんなに違うっていうか、アイデンティティーも考え方も違うので、音楽の世界は広いんだなっていう可能性を感じましたね。」

──30年以上の音楽人生の中で苦しいことや悔しいこともあったと思いますが、どのようにご自身を奮い立たせてきましたか?

「刹那的な表現になっちゃうけど、自分の経験上、何かを得るために何かを失っているわけですよ。両方は無理なんです。得るために捨てることもあれば、得ない代わりに捨てないこともある。何でもそういうふうに活かせてきたのかもしれないですね。ものすごく幸せな仕事をさせてもらっているので、止まることなく進んでこれたのは良かったです。」

──音楽をやっていて幸せだっていう気持ちは前から感じていたことですか?

「幸せっていうか、感謝をしながら生きていくっていうのは年齢を重ねた証かもしれないですね。その中に“幸せだ”っていう言葉の表現もあるってことで、若い頃は思ってても恥ずかしくて言えないですよ。年齢を重ねると言えるようになるというか、言わないといけなくなるんです。」

──どのくらいのタイミングで言えるようになりました?

「何もかも知ったような口を叩く30代を超えた時からですかね。まだ何も知らないんだって思い知った時というか(笑)。でも、人それぞれだと思いますけどね。世界には俺なんかよりも次元の違う人がいっぱいいるわけだから、自分の意志として言葉にして伝えていけたらなって思います。」

──ここまでINORANさんに起きた変化をおうかがいしてきましたが、逆にご自分の中にずっと変わらずにあるものは何ですか?

「音楽に対する“好き”っていう情熱ですね。それは変わらないです。よく言うんですけど、嫌いな気持ちと両方を足しても好きが上回る。」

──それは初ライヴをした時からありました?

「初ライヴの時は嫌いってことはまったくありませんでしたから。やっぱり仕事になると嫌いな部分があってもやっていかないといけないからね(笑)。楽しいだけじゃ生きていけないから。」

──最後に、INORANさんにとってのキーパーソンはどなたですか?

「親父かな? 生き方として言葉に出さなくても最低限のことは教えてもらったし、それは根づいている部分があると思う。今思うとネガティブなことを一切言わない人なので…俺なんてネガティブなことを言ってばっかりなんだけど、音楽人としての手前の話で、人としてそういうふうな人間でありたいですね。」

──お父さまのギターが家にあったから音楽を始めたっていうこともありますしね。

「もちろん。でも、音楽の話は最近あんまりしなくて…昔はちょこっとしてましたけど。ポール・モーリアとかジャズを勧められたり。」

──ふたりでギターを弾いたりとかは?

「それはまだないですね。ふたりともシャイなんで(笑)。今度バトルでもしてみようかな? 負けちゃうだろうけど。人間的な深みが違いますからね。」

──作品に対する感想をもらうことはありました?

「あんまり口数が多い人ではないので感想も言わないね、たぶん嫌いなんだよ(笑)。生きることってどういうことなのか…健康に気をつけるとか、人に思いやりを持つとか、努力はどのくらいしないといけないのかとか、教わったのは上辺だけじゃなくて基本的な話ですね。当たり前の話だから染みますよ。まぁ、大人になってから人に教わることもあるし、そういうことも大切にしながら学んだことを合わせて、どんどんハイブリットしていって自分を形成する。あと、できるだけみんなが喜んでくれる音楽を作っていく。それが自分のモットーですね。」

取材:千々和香苗

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