1月15日、Superflyがニューアルバム『0』をリリースした。デビューから10余年が立った今、通算6枚目のオリジナルアルバムに“ゼロ”と付けるとは、常に変化し続けてきた彼女らしいところだなと思うところではあるが、当コラムでは、それではSuperflyのデビュー作はいかなるものであったのかを振り返ってみることにした。
■古き良き時代のロックに傾倒
デビューアルバムにはそのアーティストの全てがある…とはよく言われることだが、この『Superfly』もまたこの人たちがどんなバンドかが分かるアルバムであろう。M1「Hi-Five」の冒頭も冒頭、ほとんどイントロ前のSEと言ってもいい、モノラルのAMラジオエフェクトがかかったパートから、このバンドの指向は明白だと思う。リズム&ブルース。今で言うR&B(コンテポラリーR&B)ではない。ロックンロールの起源とも言われるジャンルのほうである。派手なホーンセクションと迫力のあるヴォーカルは、まさしくソウルミュージックそのものと言える。とは言え、1950~1960年代のそれをカバーよろしくモロにやっているわけではなく、現代寄りにアップデイトはされているのだが(ギターのストローク、カッティングにそれが表れているように思うが)、古き良き時代の音楽をスポイルしない姿勢ははっきりと見て取れる。
2ndシングルでもあったM2「マニフェスト」はブルージーなR&R。ルーズに鳴らされるギターの音色からして彼らのロックバンドとしての尖った姿勢がうかがえるところだ。これもまたギターリフなどには、彼女らが単にいにしえのサウンドを模倣したいだけのバンドではないことは十分に理解できるけれども、全体の聴き応えは決して同時代性を持ったものではないことが、今となってもよく分かる。本作が発売されたのはコンテポラリーR&Bは素より、所謂ミクスチャーやヒップホップ寄りのJ-POPもシーンで当たり前のようになっていた頃である。その中でこの音は、逆行とは言わないまでも、当時のメインではないことは、これもまた明らかであろう。越智志帆(Vo)はJanis Joplin「Move Over」を聴いたことでロックに傾倒していったそうだが、このM2「マニフェスト」を聴けばそれも納得。声量やフェイクもさることながら、Aメロ~Bメロでの中音域、そこからサビでハイトーンに突き抜けるところのニュアンスにはオマージュを遺憾なく感じさせてくれる。大衆性がないナンバーとは言わないけれども、J-POPとはかけ離れた気はするし、これをシングル曲にして、アルバムの2曲目に配置する辺りに、Superflyの性根の座ったところを感じさせてくれる。歌詞からも自らの指向を宣言していると思しき力強いメッセージを見て取れる。
《そうよ 私は夢見たのよ/闇を照らす 希望の歌を/それが私の使命ならば/お願い 力を貸して頂戴》《愛情に飢える 哀しき裏通り(バックストリート)/未来へ導く光を 灯して!/街全体が寝惚けている 今/ブルーズこそが/マニフェスト マニフェスト》《そうよ 私の名前はブルーズ/世知辛い世に生きながらも/夢追い人と呼ばれる方がいい/貴方の力を貸して頂戴》(M2「マニフェスト」)。
続く、M3「1969」で、聴き手にとってSuperflyの指向は完全にフィックスされると言ってもよかろう。アラカン辺りの洋楽ロック好きであれば“1969”という数字を見ただけでピンと来るはず。この数字は1969年を表していて、その年には、40万人以上を集めたと言われる米国の歴史的な音楽フェス『ウッドストック・フェスティバル』が行なわれている。つまり、“1969”は1960年代サブカルチャーの象徴とも言える。M3「1969」の内容も、越智が『ウッドストック・フェスティバル』の映像を観た時に思ったことが歌詞に表れているという。ミッドなオフビートのポップチューン。サウンドはM1、M2とはやや印象が異なるものの、ザクっとしたアコギのストローク、全体に横たわるオルガン、サビに重なるバンジョー(たぶん)と、まさしく1960年代米国へのリスペクトが発揮されているのもいい感じだ。
《ベルボトムや ボサボサ ロングヘア/鏡の前で真似したね/巻き戻しできれば なんて…/想いを走らせるロック・ミュージック》《まるで1969/夢見続けたサマータイム/あの鼓動は ここに無い/今となっては 昔話のようね》《私は旅立つわ/宝物を胸に》(M3「1969」)。
歌詞には1960年代サブカルチャーのキーワードが出て来ており、そこに憧憬があることは分かる(その実、中身はロストラブソングで、《私は旅立つわ/宝物を胸に》辺りにSuperflyらしさがあると思うが、この辺の解釈は後述する)。
■バンド名、ジャケ写にも表れた憧れ
M4「愛をこめて花束を」は当時のダウンロードチャートで1位を獲得しているので、彼女たちの出世作と言ってよかろう。随所で鳴ってるギターはブルージーだし、2番冒頭で聴かせるフロアタムを使ったドラムの感じとか、この曲もアレンジが面白い。Cメロではヘヴィなギターが重なっている上、ストリングスもサイケな印象があって、ミッドバラードの部類に入る楽曲ではあろうが、ロックバンドらしさが貫かれていることも分かる。以降の楽曲もザっと見ていこう。
M1「Hi-Five」同様ホーンセクションを配したブギーM5「Ain’t No Crybaby」。ウォール・オブ・サウンドを取り入れたM6「Oh My Precious Time」。アコギとパーカッションとの演奏を基調としたM7「バンクーバー」。オーストラリアのバンド、JETとの共作M8「i spy i spy」。The Rolling Stonesばりのリフが印象的なM9「嘘とロマンス」。フォークロック、とりわけカントリーロックの匂いを感じるM10「愛と感謝」。いかにも渋めのR&Rを標榜したM11「ハロー・ハロー」。ピアノ弾き語りのM12「Last Love Song」ではテンポもサウンドも落ち着いて、フィナーレはゴスペルっぽいM13「I Remember」で締め括られているものの、どれもこれもロックミュージック、それも1960年代への敬愛にあふれたものばかりだ。
ここまで解説しておいて今さらそれを言うな…という話だけれども、そもそもSuperflyというバンド名は、米国のソウル、リズム&ブルースに影響を与えたアーティストのひとりであるCurtis Mayfieldのアルバム『Super Fly』(1972年)から拝借したもの。さらに、『Superfly』のジャケ写にも映る越智の姿は髪型、ヘアアクセサリーからして1960年代のヒッピー・ムーブメントの影響が色濃い…というか、ストレートに影響を受けていることは疑うまでもない。これでその音がソウル、リズム&ブルース寄りでなかったら、悪質なパロディーになりかねないほどである。彼女たちはサウンドにおいても、ビジュアルにおいても、彼女たちがやるべきことを貫いていた。徹底していたのである。
■1960年代ロックをチューンナップ
ここからは私見である。このアルバム『Superfly』はチャート1位を記録。つまり、デビューアルバムにして一気にブレイクを果たしたわけだが、ここまで書いてきたようにリズム&ブルースや、ソウルのフィーリングが色濃く出た作品が2008年に多くのリスナーに支持されたというのはなかなか興味深い事実である。その背景には1960年代をリアルタイムで知る人たちが送り手(スタッフ側)になったこと、40数年を経て日本の音楽シーンの多様化が進み、リスナーも成熟(?)したことなどがあるのだろうが、それも、メロディと歌詞の親しみやすさがあったからこそと筆者は見る。
M1「Hi-Five」もサビは《Everybody, Hi hi-five!》と英語ではあるものの、実にキャッチー。ラジオエフェクトがかかっているとはいえ、それを最初に持って来ている──所謂サビ頭であるのは、そのメロディーの立ち方に自覚的であるからだろう。この他にもM6「Oh My Precious Time」、M7「バンクーバー」、M10「愛と感謝」などでしっかりとした抑揚を持った旋律を聴くことができる。また、M5「Ain’t No Crybaby」(特にCメロ)やM9「嘘とロマンス」なども特異なメロディーであろうが、本作で最も大衆的と言えるのは、やはりM4「愛をこめて花束を」で間違いなかろう。改めて聴き直しても、とてもよくできたメロディーであり、それをいかによく聴かせるか、いかに気持ち良くさせるかに徹したアレンジであることが分かる。比較的シンプルで淡々としているAメロから、Bメロに移ると一見Aを踏襲するような印象でありつつも、徐々にエモーションが高まっていき、さらにサビでスコーンと突き抜ける。レンジは広いが、音符は複雑に配されているわけではなく、滑らかに昇っていくような感じだ。しかも、後半でリピートされるサビは転調することによって、さらに昇り調子に、テンションが途切れることなく持続していく。その主旋律をバックアップするストリングスとピアノも、ゴージャスとスリリングの間をスレスレで進んでいるイメージで、とてもいい仕事をしていると思う。
前述のようにアルバム『Superfly』収録曲のサウンドは、彼女たちが影響を受けた1960年代のロック色がそれと分かるように発揮されているものの、2000年代の日本の音楽シーンに合ったチューニングがなされていると言ったらいいだろうか。和魂洋才ではないけれども、古き良きリズム&ブルース、ソウルにJポップを上手く同調させているのだと思う。編曲は蔦谷好位置氏などが担当しているが、M4「愛をこめて花束を」に限らず、いずれも天晴れなアレンジである。
歌詞も同様で、絶妙に言わば“ロック臭”みたいなものを消しているのがいいところだと個人的には思う。様式美に染まってないと言った方がいいだろうか。強いて言えば、M7「バンクーバー」の内容は雰囲気ものである感じだが、これが本作では唯一メンバーが手掛けた歌詞ではないというのは、むしろSuperfly自体が単に形式的に伝統を継承しているバンドではないことの証左と言えるかもしれない。M3「1969」にしても、1969年への直接的な憧憬を綴ったものというより、1969年への憧憬を持つ相手への思慕といったものが綴られているので、これは懐古的な内容ではない。《私は旅立つわ/宝物を胸に》と締め括っているのだから、1969年にも、1969年への憧憬を持つ相手にも、未練はないと言い切っているようでもある。自らはいにしえのカルチャーのエピゴーネンではなく、連綿と続いて来たロックの最新型であると宣言していると言ってもよかろう。実際、Superflyはその活動においても形式、様式に囚われることがなかった。本作『Superfly』の発表の前年、多保孝一(Gu)が表舞台を退いて、Superflyが越智のソロユニットとなったことがその最たるものであろう。デビューアルバム発表前にユニットが形を変えるのは相当に型破りなことであるが、そのスタンス、スピリッツにもロックが見てとれると思う。
TEXT:帆苅智之
アルバム『Superfly』
2008年発表作品
<収録曲>
1.Hi-Five
2.マニフェスト
3.1969
4.愛をこめて花束を
5.Ain’t No Crybaby
6.Oh My Precious Time
7.バンクーバー
8.i spy i spy(Superfly×JET名義)
9.嘘とロマンス
10.愛と感謝
11.ハロー・ハロー
12.Last Love Song
13.I Remember
【関連リンク】
『Superfly』は、いにしえへの憧憬と大衆性を兼ね備えた、彼女の決意を感じるデビュー作
Superflyまとめ
上坂すみれ、ニューアルバム全曲試聴動画を公開