60年代中頃、日本で一大ムーブメントを巻き起こしたエレキブームは、加山雄三や寺内タケシらの活躍によって、後のGS(グループサウンズ)の誕生やアマチュアミュージシャンの増加に大きな役割を果たしたと言えるだろう。その最初の火付け役となったのが、今回紹介するザ・ベンチャーズだ。当時の日本での彼らの人気は圧倒的で、海外で爆発的な人気があったビートルズ以上だった。この7月27日から9月11日まで、全国30カ所に及ぶザ・ベンチャーズ結成60周年の記念公演が行なわれる。とはいうものの、65年から現在に至るまで彼らは年に1回以上の来日をしており、日本人アーティストよりも公演回数は多い。「いつでも観ることのできる外タレ」は、いつの頃からかありがたみがなくなったのも事実である。毎回観に行くほどの熱狂的なファンは今でも少なくないが、昔からのファンの高齢化は確実に進んでいる。しかしながら、最近では若い人も増えてきている(家族ぐるみのファン)ようだ。また、ザ・ベンチャーズのコピーバンドは全国津々浦々、老若男女を問わず驚くほど多い。ベストアルバムを含めると100枚以上の作品の中から1枚を選ぶというのは困難な作業であるが、今回は絶頂期とも言える白熱した演奏が味わえる『ザ・ベンチャーズのすべて』(2枚組)のCD化『コンプリート・ライヴ・イン・ジャパン ‘65』を取り上げる。
■60年代中頃の日本
僕が洋楽に目覚めたのは9歳で、生まれて初めて買ったシングルレコードはビージーズの「マサチューセッツ」(‘67)だった。この曲は海外のアーティストが初めて日本のチャートで1位を獲得したことで知られているが、今でも名曲中の名曲だと思う。ビートルズもヒット曲を出していたはずだが、なぜかまったく記憶にない。この頃は小学4年生、近所に10歳以上年上のおじさんと4歳上の従兄弟がおり、ふたりとも音楽が好きだったのでたぶん影響されたのだろう。当時子供の間で流行っていたのは、野球、プロレス、相撲、切手集め、テレビ鑑賞(洋画、海外ドラマ、時代劇、ヒーローもの)あたりであったか。平日、友達と夕方まで泥んこになって遊び、日曜日(うちはサラリーマン家庭であったが、当時は土曜日も休日ではなく父親は出勤していた)には母親に連れられてよく映画を観に行った。家族ぐるみの娯楽と言えば遊園地や映画ぐらいだったから、映画館はいつも混んでいた。ゴジラやガメラなどの怪獣映画はもちろん、加山雄三の若大将シリーズもよく観ていた。
■エレキブームに一役買った “若大将シリーズ”
人生が変わるような映画と出会ったのは、その頃だ。それが加山雄三の『エレキの若大将』(‘65)である。この映画でエレキギターのカッコ良さを知り、加山雄三や寺内タケシのレコードを貪るように聴いた。先駆者であるザ・ベンチャーズの存在はその後知った。60年代中頃、日本の洋楽ファンはエレキバンド一色ではなかったか。少なくとも僕の周りではそうだった。エレキブームは大多数の若者たちの支持を得て、テレビやラジオでのオンエアをはじめ、レコード店にもエレキ関係のレコードがたくさん置いてあった。海外のグループではザ・ベンチャーズ(アメリカ)の人気が断然トップであったが、スプートニクス(スウェーデン)、アストロノウツ(アメリカ)、シャドウズ(イギリス)なども人気があった。中でも、僕は寺内タケシが誰よりも好きで、彼のテクニックは海外のアーティストと比べても群を抜いていたように思う。彼や加山がよく弾いていたモズライトのギターがどの楽器店にも飾ってあったことを、昨日のことのように覚えている。
■寺内タケシのギターテクニック
今の日本では、なぜか寺内タケシの名前を聞くことはほとんどない。しかし、彼のプレイはすごかった。あれだけのテクニックを持ったギタリストはそういないだろう。テレビなどに出ている時は喋ると東北訛りのユーモラスな存在なのに、一旦ギターを弾きだすとスーパースターの輝きがあった。そもそも彼が在籍していたカントリーバンド、ジミー時田&マウンテンプレイボーイズはベースがいかりや長介(ドリフターズ)だったし、MCでは笑いを取ることが主流であったのだ。寺内といかりやはジミー時田のグループを脱退し、寺内は寺内タケシとブルージーンズを、いかりやはドリフターズをそれぞれ結成、別の道を進んでいく。ブルージーンズは結成時はプレスリーに影響されたロカビリーを演奏していたが、ザ・ベンチャーズの登場によってエレキバンドへと変化していく。
寺内タケシのギターテクニックは日本のアーティストたちに大きな影響を与え、70年代初期に日本のロック界で活躍したギタリストは、ほぼ寺内タケシに影響されていると言っても過言ではないだろう。日本の民謡に取り組んだ『レッツ・ゴー・エレキ節』(‘66)やクラシックに挑戦した『レッツ・ゴー・「運命」』(’67)など、彼のクリエイティブな才能はエレキバンドで開花したのである。ウィキペディアの寺内タケシの項には「1965年、アメリカの音楽雑誌『ミュージック・ブレイカー』でチェット・アトキンス、レス・ポールと並んで世界三大ギタリストに選ばれた」という文章が紹介されている。要出展(誰か出展を明らかにしてほしい)ながら、彼のプレイを知る人なら納得するのではないだろうか。それぐらい彼のギターは斬新でロックしていた。そう、当時のエレキバンドはロック的(ガレージバンド的サウンド)な感覚だったので多くの若者たちに支持されたわけだが、アメリカやイギリスでは日本ほど人気が出ることはなく、60年代末には絶滅危惧種のような存在になっていた。これは若大将シリーズや寺内タケシの存在が、日本ではいかに大きかったかということだろう。
寺内や加山雄三らの尽力で若者たちの間でエレキブームが巻き起こり、62年に初来日していたザ・ベンチャーズが65年に再来日する。これが当時の若者たちに熱狂をもって迎えられ、一気に日本でのザ・ベンチャーズブームが起こる。ザ・ベンチャーズの音楽性や人気もあって、日本独自のグループサウンズ(歌謡曲×エレキバンド、以下GS)が誕生することになるのだが、このあたりは本項の趣旨と違うので別の機会にしようと思う。
■ザ・ベンチャーズというグループ
ザ・ベンチャーズは1959年に、ドン・ウィルソン(リズムギター)、ボブ・ボーグル(リードギター)のふたりでスタートし、その後ベーシストとしてノーキー・エドワーズが加入。練習を繰り返すうち、ノーキーが優れたギタリストであることがわかったため、ボーグルがベースに転向、ノーキーがリードギターを担当する。また、当初ドラムは流動的であったが、5thアルバム『ツイスト・ウィズ・ザ・ベンチャーズ』(‘62)からメル・テイラーが参加、この時点でザ・ベンチャーズ黄金期のラインアップとなった。
60年、シングル「Cookies And Coke」でデビューするものの話題にはならなかった。ところが、同年にリリースした2ndシングル「急がば廻れ(原題:Walk Don‘t Run)」が全米チャートで2位となり、ザ・ベンチャーズは“インストゥルメンタル・ロックグループ”という新しいジャンルを確立する。1stアルバム『ウォーク・ドント・ラン』も11位となり、一気に人気グループに躍り出た。この曲はアメリカ国内だけで100万枚以上のセールスを記録するのだが、その後は鳴かず飛ばずとなり、64年に「ウォーク・ドント・ラン ‘64」をリリースすると再ヒットし(全米8位)、日本でも大ヒットする。折からのサーフィンブーム(火付け役は加山雄三)に乗り、同年リリースのシングル「ダイヤモンド・ヘッド」が日本では売れに売れ(アメリカでは70位とたいしたヒットにはならなかった)、エレキバンドブームの到来となる。
■ザ・ベンチャーズの来日公演
ここからザ・ベンチャーズは日本で突出した人気グループとなり、最高のタイミングで来日公演が決定する。65年1月のことである。この来日公演は同じインストバンドのアストロノウツとの共演であったが、この時の公演が口コミで伝えられ(当時はネットもスマホもないので…)、7月に再来日。この時のツアーは1カ月間に全国58回公演17万人以上動員というハードスケジュールであったが大成功を収め、社会現象にまでなった。同年暮れには拍車を掛けるように加山雄三の『エレキの若大将』が公開され、寺内タケシも出演(寺内は前作『海の若大将』にも出ている)するなど、日本の若者たちはエレキサウンドにのめり込んでいくのである。また、テレビ番組では『グヤトーン・全国アマチュア・バンド・コンテスト』や『勝ち抜きエレキ合戦』がスタートし、歌謡番組にはGSのグループが登場するなど、65年はまさしく日本のポピュラー音楽界の変革が始まりつつあった。ちなみに翌66年にはビートルズが来日し、これまた日本全土の若者たちを熱狂させている。
■本作『ザ・ベンチャーズ・コンプリート・ライヴ・イン・ジャパン ‘65』 について
本作は日本の音楽シーンを変えた65年7月の来日公演の模様を収録したもので、圧倒的なテクニックに裏打ちされたザ・ベンチャーズの全盛期の演奏が収められた名盤である。ややこしいのだがLP時代の『ザ・ベンチャーズ・イン・ジャパン』(‘65)は65年1月の公演を収録したもので、『ザ・ベンチャーズ・イン・ジャパン第2集』(’66)は65年7月の公演を収録している。本作『ザ・ベンチャーズ・コンプリート・ライヴ・イン・ジャパン ‘65』は『ザ・ベンチャーズのすべて』(2枚組、’66)と『ザ・ベンチャーズ・イン・ジャパン第2集』に収録の「ピンク・パンサーのテーマ」をもとに、LP時代にはカットされていたビン・コン・セプション(フィリピン人MC)のユーモラスな語りも入れ制作された完全版となる。
収録曲は全27曲(イントロとメンバー紹介は省く)。彼らの代表曲の「ウォーク・ドント・ラン」「パイプライン」「10番街の殺人」「ダイヤモンド・ヘッド」「クルーエル・シー」「朝日のあたる家」「キャラバン」「テルスター」「ワイプ・アウト」などが収められ、スタジオ録音の時には聴けなかったワイルドでロックフィールにあふれたプレイが目白押しとなっている。特に9分にも及ぶ「キャラバン」はスリリングなプレイの連続でまさに圧巻である。どの曲も名曲で、名演の連発である。ロカビリー〜カントリー系の早弾きをベースにしたノーキーの素晴らしいギターワークは特筆すべきで、ライヴでこれだけの力量(スタジオでの演奏をはるかに凌駕している)を発揮できるプレーヤーは滅多にいない。ライヴでの4人のコンビネーションといい、ドライブ感といい、やはりこの時期のザ・ベンチャーズが絶頂期であることは間違いない。ノーキー・エドワーズの一時脱退後に加入したジェリー・マッギーのギターも素晴らしいので、彼の参加作品もぜひ聴いてみてください。
TEXT:河崎直人
アルバム『Ventures Complete Live In Japan ‘65』
1995年発表作品
<収録曲>
1. イントロダクション
2. クルーエル・シー
3. ペネトレーション
4. ブルドッグ
5. アイ・フィール・ファイン
6. メンバー紹介
7. 朝日のあたる家
8. アウト・オブ・リミッツ
9. 10番街の殺人
10, ベサメ・ムーチョ・ツイスト
11. ラヴ・ポーション・No.9
12. ウォーク・ドント・ラン ’64
13. ウォーク・イン・ザ・ルーム
14. ラップ・シティ
15. ワイプ・アウト
16.ウォーク・ドント・ラン(メドレー)〜パーフィディア(メドレー)〜木の葉の子守唄(メドレー)
17. 悲しき闘牛
18. テルスター
19. ドライヴィング・ギター
20. 夢のマリナー号
21. ピンク・パンサーのテーマ
22. イエロー・ジャケット
23. アパッチ
24. パイプライン
25. サーフ・ライダー
26. 星への旅路
27. バンブル・ビー・ツイスト
28. ダイアモンド・ヘッド
29. キャラヴァン
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