70年代初頭にいくつかの名曲をリリースし、世界的な人気を博したバッドフィンガーであったが、悪徳マネージャーに引っ掛かったばかりに給料すら支払われず、リーダーで名ソングライターのピート・ハムは極貧の中で自死を選び、失速していく。彼の死後は一旦解散するものの、残されたメンバーでグループは存続。しかし、ハムと並ぶ名ソングライターのトム・エバンスも自殺しグループは壊滅する。今回取り上げる『ノー・ダイス』はバッドフィンガーとしての実質的なデビューアルバムで、大ヒットした名曲「嵐の恋」と多くのカバーバージョンを生んだ「ウィズアウト・ユー」を収録した彼らの最高傑作だ。
■アイヴィーズからバッドフィンガーへ
彼らは当初アイヴィーズと名乗り、ビートルズと同じくアップルレコードと契約。ソングライティングやリードヴォーカルが似ていることもあって、ビートルズの弟分として紹介されることが多かった。69年にアイヴィーズ名義のアルバム『メイビー・トゥモロウ』を完成させるが、先行シングルのセールスが芳しくなく英米での発売は見送られ、日本、ドイツ、イタリアのみでのリリースとなった(これらの国では先行シングルがヒットしたため)。
翌70年にバッドフィンガーと改名し『マジック・クリスチャン・ミュージック』で再デビューを果たす。このアルバムは途中までアイヴィーズとしてレコーディングされており、リリース前後にメンバーの入れ替えもあったので、僕自身はバッドフィンガーのアルバムとしてはとらえていない。しかし、そうは言っても主要なメンバーや曲作りの面では確かにバッドフィンガーのものであるから、一般的にはこの『マジック・クリスチャン・ミュージック』がデビューアルバムとして扱われている。このアルバム、僕が中学生の時に何人かの同級生がリアルタイムで購入し絶賛していたので聴いてみたが、ビートルズ(ポールとジョンにそっくり)のコピーバンドだと勘違いするほどビートルズに似ていたぐらいの印象しかなかったのだが、聴き直してみるとよくできたアルバムである。ただ、佳曲は揃っていても名曲がないのが残念なところ。日本でのみシングルカットされた「明日の風(原題:Carry On Till Tomorrow)」はヒットしており、日本でバッドフィンガーのファンは少なくなかったと言えそうである。このアルバムは全米チャートで55位まで上昇する。
■アップルレコードよりデビュー
アイヴィーズ時代の彼らがアップルレコードと契約した頃、ビートルズは解散騒動の最中で、さまざまな面でレーベルの問題が山積していた。69年にアラン・クラインがアップルの経営アドバイザーに就任し、大掛かりなリストラを行なったことでアルバムのプロモーションも中途半端になってしまっていたのである。何の因果かは分からないが、当初から彼らは悲運であった。『マジック・クリスチャン・ミュージック』はポール・マッカートニーやジョージ・マーティンの参加による話題性もあって、デビュー作品としては成功したと言えるだろう。この作品でその才能を認められたピート・ハムとトム・エバンスは、ビートルズのメンバーにも鼓舞され、曲作りに磨きをかけていく。
■本作『ノー・ダイス』について
前作での至らない部分を見つめ直し、パフォーマンス強化のため新たにジョーイ・モランドを迎え入れ、ピート・ハム、トム・エバンス、ジョーイ・モランド、マイク・ギビンズというバッドフィンガー最高の布陣となる。前作と比べるとロックフィールを強めており、のちのパワーポップやブリットポップのもとになるような音作りと、キャッチーで切ないメロディーが同居した個性的なグループに成長している。本作には「嵐の恋(原題:No Matter What)」をはじめ、ニルソンのカバーが全米1位を獲得した「ウィズアウト・ユー」、ティム・ハーディンのバージョンで知られる「ミッドナイト・コーラー」など、ビートルズの楽曲群にも負けないぐらいの名曲が揃っている。
収録曲は全部で12曲。上記の3曲は別格としても他の曲ももちろん平均点以上の出来であり、全般的に美しく切ないメロディーが目白押しで、ピート・ハムとトム・エバンスはひとりでも共作でもソングライティングが素晴らしく、第3世代ブリティッシュポップの底力を見せる。ちなみに「嵐の恋」は全米チャート8位、全英チャートでは5位という結果で、アルバムチャートでも全米28位に到達しており、アップルレコードのゴタゴタの中でここまでの結果を残せたのは、やはり本作の普遍的な魅力がリスナーに伝わったからだと思う。
本作のリリース後、ジョージ・ハリソンが主催した『バングラデシュのコンサート』(‘71)にも招かれてステージに上がっている。その時のライヴ映像ではハリソンやクラプトン、レオン・ラッセルらに囲まれながら、緊張しまくりの初々しい姿がとらえられている。
■悲劇としてのバッドフィンガー
『ノー・ダイス』の成功後も彼らの創作欲は衰えず、続くアルバム『ストレート・アップ』(‘72)でも「嵐の恋」に負けず劣らずの名曲「デイ・アフター・デイ」(全米4位、全英10位)や「ベイビー・ブルー」(全米14位)が収録されるなど、ここで彼らはスターグループの仲間入りを果たしたと言えるだろう。
悪徳マネージャー、スタン・ポリーは1970年から彼らのマネジメントを担当し、就任後すぐにメンバーと揉めることになるのだが、そのままズルズルと騙され続けてしまう。アップルが倒産し、『ストレート・アップ』リリース後はワーナーと契約する。しかし、この契約はメンバーには過酷な内容でポリーだけが得をするえげつない内容だった。ポリーとの衝突で創作どころではなくなってしまった彼らは良い作品を作れず、ピートは給与の支払いがストップし、日常生活も困難になるまで追い込まれてしまう。そして、彼は1975年4月24日、自宅ガレージで首吊り自殺をするのである。まだ27歳の若さであった。そして、バッドフィンガーは解散することに。数年後、エバンスとモランドが中心となってグループを再始動させるが、結局、1983年11月にエバンスも自宅の庭で首を吊り、バッドフィンガーというグループは消滅する。本作『ノー・ダイス』に収録された彼らの代表曲「ウィズアウト・ユー」ではピートの悲痛なまでに訴えかけるようなヴォーカルが聴けるが、すでにこの時点でバッドフィンガーの悲劇を予感させるような真に迫った演奏になっているのが怖いぐらいである。
もし彼らのアルバムを聴いたことがなければ、これを機会にぜひ聴いてみてください。『ノー・ダイス』と『ストレート・アップ』には、いつまでも決して古びない音楽が詰まっていると思う。
TEXT:河崎直人
アルバム『No Dice』
1970年発表作品
<収録曲>
1. アイ・キャント・テイク・イット/I Can’t Take It
2. アイ・ドント・マインド/I Don’t Mind
3. ラヴ・ミー・ドゥ/Love Me Do
4. ミッドナイト・コーラー/Midnight Caller
5. 嵐の恋/No Matter What
6. ウィズアウト・ユー/Without You
7. ブラッドウィン/Blodwyn
8. ベター・デイズ/Better Days
9. イット・ハッド・トゥ・ビー/It Had to Be
10. ワットフォード・ジョン/Watford John
11. ビリーヴ・ミー/Believe Me
12. ウィアー・フォー・ザ・ダーク/We’re for the Dark
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