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『jupiter』で教えられた実直さーー個人的BUMP OF CHICKEN回想録

7月10日、3年5カ月振りとなるBUMP OF CHICKENのニューアルバム『aurora arc』がリリースされた。7月12日からはメットライフドームを皮切りに、新作を引っ提げての全国ツアーもスタートするとあって、本コラムでも彼らの名盤をセレクト。メジャーデビュー作として、ロングセールスを記録した『jupiter』である。

■メジャー1stでチャート1位を獲得

BUMP OF CHICKEN(以下、BUMP)のメンバーは全員1979年生まれ。今年40歳を迎えることになる。もう彼らは若手ではないんだなと思うと、しみじみするわけじゃないけれど、時間の経過と実感させられるところだ。1996年2月11日を“結成記念日”としているというから、バンド自体も20周年を超えた。彼らがメジャーシーンで頭角を現した頃、時代の節目というと大袈裟だが、潮目が変わったようなインプレッションを受けた身としては、隔世の感を禁じ得ないところがある。

少し個人的な思い出を書かせてもらう。アルバム『jupiter』がリリースされたあとだから、2002年の春頃──もしかすると、テレビドラマ『天体観測』が放送された辺り、すなわち2002年夏から秋にかけてのことだったかもしれない。時期も思い出せないくらいだから、はっきり言って自分は彼らにまったくと言っていいほどに興味がなかった。当時、筆者は延べにすると週一でミュージシャンのインタビューを行なっており、取材対象以外の音楽を聴くことはほぼなくなっていたことがその主たる背景で、『jupiter』に限らず、レコード会社からサンプルをちょうだいしても、“聴くのめんどくせー”って感じでなかなかその封を切らなかった(当時の宣伝担当の皆様、すみません)。そんな状態だったので、どうして『jupiter』を聴こうと思ったのか今となっては定かではないけれども、チャート1位になったとか、ライヴチケットが瞬時にソールドアウトしたとか、そんな好評を耳にして、初めてCDパッケージを開けたような気がする。

そこで初めて聴いた『jupiter』にガツンと衝撃を受けた…わけではない。これもはっきり書くが、ピンと来なかった。その時の感想は“俺には良さが分からない”といったようなものだったと思う。当時BUMPのメンバーは22~23歳の頃だったと思うので、“こういうのを今の若い人が好むのか”とか思ったんだと思う。車を運転しながら聴いたのか、家のCDラジカセで聴いたのかも覚えてないけれども、ヘッドフォンを付けて歌詞カードを見ながらじっくりと聴かなかったことだけは間違いない。

その後、何もなければ何の感慨もないままに日々が過ぎて、今回のドーム公演に関しても“へぇ”くらいにしか思えなかったかもしれない。だが、その後、BUMPへ取材の機会が訪れた。4thシングル「スノースマイル」(2002年12月発売)のキャンペーンだったので2002年の年末のことだったような記憶があるが、5thシングル「ロストマン/sailing day」(2003年3月発売)もいち早く聴くことができてその話も訊いたので、2003年の年明けのことだったかもしれない。取材にあたって、上記シングル音源はもちろんのこと、『jupiter』とインディーズでの『FLAME VEIN』『THE LIVING DEAD』もしっかり聴いた。その時、初めてBUMPをちゃんと聴いたと言っても過言ではない。そこで初めてピンと来た。“なるほど、これは支持されるわけだ”と納得した。プライベートでヘヴィローテーションにするほどではなかったけれども、グッと来たところもあったと思う。

そりゃあ、どんな音楽だって(少なくともプロフェッショナルが世に出しているものであるなら)じっくりと聴き込めば、必ずそこに何かしらの良さを発見できるだろう。そういうことではない。頑張ってBUMPの良さを探したというのではなく、ちゃんと聴けば分かることが分かった──もっと言えば、ちゃんと聴かないときちんと理解できない音楽であることが分かった…といった感じだろうか。以下、その理屈を述べていくが、それによってアルバム『jupiter』の特徴、引いてはBUMPのバンドとしての特徴、その魅力の話へ繋げていこうと思う。

■藤原基央が書く歌詞の特徴

これは『jupiter』収録曲に限った話ではないと思うが、BUMPの楽曲はA→B→サビという構成を持つ、所謂J-POP、J-ROCKに分類されるものだ(A→A´→B→サビが多い気がする)。大サビ(Cメロ)があることも多い。その歌がメロディアスであることは言うまでもなく、サビは概ね…いや、どの曲もキャッチーだ。繰り返し口ずさみたくなるような、親しみやすい抑揚を有している。

ただ、そこに乗る言葉、歌詞は特に難しい言葉を使うわけでもないし、英語詞も皆無なのだが、単純なリフレインがほぼないのだ。歌詞カードに“※繰り返し”や“◇Repeat”を見かけない(彼らの全ての作品の歌詞カードに目を通してわけではないので、それがあったとしたらごめんなさい、と先に謝っておきます)。1番と2番とでサビの歌詞が違うとか、後半のサビを2回繰り返す時に歌詞が違ったりとか、そういうことは他のアーティストでもわりとあるのだが、BUMPの場合、楽曲に存在するサビメロ、その全てにおいてほぼ歌詞が異なる。『jupiter』収録のシングル曲で見てみる。

《見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ/静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ》→《知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ/暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ》→《見えているモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで/静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた》→《もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで/前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ》(M2「天体観測」)。

《生きていく意味を 失くした時/自分の価値を 忘れた時/ほら 見える 揺れる白い花/ただひとつ 思い出せる 折れる事なく 揺れる》→《夢なら どこかに 落としてきた/希望と 遙かな距離を置いた/ほら 今も 揺れる白い花/僕は気付かなかった 色も位置も知っていた》→《生きていく意味と また 出会えた/自分の価値が 今 生まれた》《枯れても 枯れない花が咲く/僕の中に深く 根を張る/ほら ここに 揺れる白い花/僕は気付かなかった 忘れられていた名前》(M5「ハルジオン」)。

《ひとつだけ ひとつだけ その腕でギュッと抱えて離すな/血が叫び教えてる 「君は生きてる」という言葉だけは》→《ひとつずつ ひとつずつ 何かを落っことしてここまで来た/ひとつずつ拾うタメ 道を引き返すのは間違いじゃない》→《ひとつだけ ひとつだけ/その腕でギュッと抱えて離すな/世の中にひとつだけ かけがえのない生きてる自分》(M9「ダイヤモンド」)。

せいぜい4小節、概ね2小節分の歌詞が同じくらいで、サビの歌詞が丸ごと同じものはほぼない。これは藤原基央(Vo&Gu)が作る楽曲の大きな特徴だとは言える。どうしてこういう作風なのか。本人から言質を得たわけではないので、これは想像でしかないけれども、おそらく歌詞から作っているから、所謂“詞先”であるからであろう。しかも、それが物語にせよ、心象風景にせよ、必ず時間軸を伴っているものだからだと想像する。

要するに、瞬間を切り取るタイプではなく、過去から現在へ、あるいは現在から未来へ、時間が不可逆であることを意識させるものが多い。特定の時間帯を切り取ったものもあるにはあるが、それにしてもわずかに時が経過していたり、その比較対象としての過去や未来が描かれていたりする。前者がM4「キャッチボール」で、後者がM6「ベンチとコーヒー」だろうか。それゆえに、言葉も増えるし、サビで同じ歌詞をリフレインすることもできなくなるのだろう。《僕の事なんか ひとつも知らないくせに/僕の事なんか 明日は 忘れるくせに》とサビの歌詞がリフレインされるM8「ベル」は『jupiter』の中では唯一の例外だが、「ベル」はメロディーが先にできたものだそうで、だからこそ、決め台詞のようにフレーズを強調できたのではないかと推測する。そして、その例外である「ベル」が“曲先”であると知ったことで、藤原の作風をこんなふうに推理してみた。

まぁ、その仮説が正しいかどうかはともかく、『jupiter』収録曲は“※繰り返し”や“◇Repeat”がほぼないことは事実であって、それによって何が起こるかと言えば──以下、筆者の経験なので正確には“何が起こったか”と言えば、聴き方が洋楽的になるのである。メロディーと言葉をワンセットでとらえづらいので、楽曲の主題が頭に残りづらい。感性が豊かな人は別にしても、“とりあえず聴くか…”くらいで臨むとそういうことになる。そこに加齢という条件が付けばなおさらだ(俺のことだ)。先に書いた通り、BUMPの楽曲は親しみやすい抑揚を有しているのは間違いないので、そこは認識できたにしても、歌詞に関しては全体をとらえないと何を伝えようとしているのかが把握しづらいのである。よって、ボーッと聴いているだけだと“今の若い人はこういうのが好きなのね”といった呆けた感想しか持てないことになる。

■曲を最も良く聴かせるバンドサウンド

しかも、だ。これでサウンドが、例えばストリングスやブラス、シンセといった外音をふんだんに取り入れていたり、そこまでじゃなくとも、リズムパターンが豊富にあったりしたら、ボーッと聴いていたにしても、“なるほど”と思ったのかもしれない。みなさんご存知のことかと思うが、BUMPのバンドサウンド、その構造は比較的シンプルだ。以前、インタビューした時、藤原が作ってきた曲を他の3人(=増川弘明(Gu)、直井由文(Ba)、升秀夫(Dr))で一番良く聴かせるかたちに仕上げていく──このバンドのスタイルを彼らはそう語っていた。そういうことなのだろう。M9「ダイヤモンド」のアウトロ近くに逆回転が入っていたり、M1「Stage of the ground」もアウトロで若干サイケな感じがあるにはあるが、基本的に外音はほとんど使われていない。「ダイヤモンド」のそれにしても控えめな印象だ。ギターはオーバーダビングしているだろうが、あくまでもそのアンサンブルは4人で再現できるものにこだわっているように思える。そのギターもディストーションの効いたストロークとクリアトーンのアルペジオという対比がほとんど。楽曲毎にその旋律が異なるのは当たり前として、音色などもそれぞれの楽曲でのアプローチを変えているものの、それにしても突出したアプローチがあるかと言えばそうでもない。だから、ボーッと聴いていると、どれも似た感じに聴こえると言うと語弊があるだろうが、そういう羽目に陥ることになる。

しかしながら、ヘッドフォン着用の上でしっかりと音源を聴くと、4人でのアンサンブルにこだわったと思われるサウンドの良さが分かってくる。厳密に分かったかどうかはともかく、そんな気はした。はっきり言えば、『jupiter』のサウンドはやや粗いと思う。レコーディングの頃はたぶん21~22歳であったであろうからそれも止む無しであっただろう。具体的に言えば、生真面目気味な升のビートに対して直井のベースが実に奔放なフレーズを弾いているところなどが随所に見受けられるのだが、そこがいいのである。そのやや粗い感じが、藤原の描く歌詞と相性がいいように思えるのだ。

BUMPの歌詞は時間が不可逆であることを意識させるものが多いと前述した。そこで綴られている中身は、上に記した歌詞からだけでも想像してもらえるかもしれないが、ポジティビティ──楽観的視線こそ薄いが、“前向きな感情を引き起こす肯定的な意味付け”といったものがほとんどである。バンド名である“臆病者の一撃”からの流れであろうか、“悔恨からの復活、再生”といったテーマも見受けられる。派手さはないものの、誤解を恐れずに言えば、愚直な印象すら受けると思う。そういう内容であるからこそ、少なくとも浮世離れしたサウンドで彩ることはないし、多少不器用な感じであっても手作り感のあるバンドアンサンブルが合うのである。

そして、それらが一体となった楽曲たちは、BUMPにまったく興味を示さない人へは届かなかったろうが、彼らに少なからず興味を持ったり、彼らに近い思考、指向を持った人にはその深いところへ刺さるものだったのだと思う。2002年頃、何かそんなことを思ったことを思い出した。

TEXT:帆苅智之

アルバム『jupiter』

2002年発表作品

<収録曲>

1.Stage of the ground

2.天体観測

3.Title of mine

4.キャッチボール

5.ハルジオン

6.ベンチとコーヒー

7.メロディーフラッグ

8.ベル

9.ダイヤモンド

10.ダンデライオン

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