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ゴリゴリの重厚なサウンドで攻めるリヴィング・カラーのデビューアルバム『ヴィヴィッド』はブラックロックの代表的なアルバムのひとつ

黒人のロッカーと言えば、誰もがジミヘンやのことを想像するだろう。しかし、今では忘れられそうになっているが、80年代から90年代にかけて登場した優れたブラックロックのグループは多い。シンセポップのチープさとは真逆の、
ヘヴィなサウンドを持ち味にした人力演奏の黒人のみで編成されたグループが登場したのは80年代初頭のこと。ラモーンズの曲にちなんで命名された4人組のバッド・ブレインズである。70年代すでにフュージョングループとして結成されていた彼らはパンクと出会い、その方向を180度転換する。おそらく、パンクロックに影響された初の黒人グループである。「黒人でもパンクやっていいんだ」と考えたかどうかは分からないが、その後ニューヨークを中心に多くの黒人ロックグループが現れている。ブラックロッカーたちの音楽性はパンクとヘヴィメタル、ファンク、スカなどが融合しており、中でも今回紹介するギタリストのヴァーノン・リードが結成したリヴィング・カラーは頭ひとつ抜きん出た存在であった。

■ロナルド・シャノン・ジャクソンと ビル・フリゼル

リヴィング・カラーのリーダーでギタリストのヴァーノン・リードは、80年代初頭のニューヨークで、著名なジャズドラマーのロナルド・シャノン・ジャクソンのグループのメンバーに抜擢され、若手の天才ギタリストとして知られていた。シャノン・ジャクソンの音楽はジャズと言ってもフリーファンク系が中心で、ライヴハウスのニッティング・ファクトリーでライヴをやる機会が多かった。ニッティング・ファクトリーと言えば、パンク、フリージャズ、ワールドミュージックなど、先鋭的なグループならジャンルを問わず出演させるパンクスピリットを持った箱だったから、ヴァーノン・リードもありとあらゆる音楽を浴びるように聴いていたはずである。

ヴァーノンの演奏を聴いて、その才能に惚れ込んだ著名なジャズギタリストのビル・フリゼルは、彼とのデュエットアルバムを制作、この作品は一般には売れなかったがミュージシャンの間で評判となり、ニューヨーク周辺でヴァーノンの名前は高まっていく。フリゼルは天才的な才能を持つギタリストで、スタンダードジャズからブルーグラスまで、ありとあらゆる音楽に精通したまさにアーティスティックな活動を続けている音楽家である。そのフリゼルが共演するということは、20歳をちょっと過ぎたばかりのヴァーノンが本物であることを意味するのだ。

■ブラックロック・コーリション(連合)

こうしてヴァーノンの評判は高まっていき、さまざまなアーティストとセッションを繰り返しながら、自分のグループを結成するための準備を行なっていた。ライヴでは、パンク、ジャズ、ファンク、ヘヴィメタル、アヴァンギャルド、アンビエントなどを、固定メンバーを決めずにヴァーノン・リード&リヴィング・カラーという名前で演奏していた。80年代の中頃になると、先輩のバッド・ブレインズを始め、フィッシュボーン、24-7スパイズなど、黒人のみで構成されるロックグループが増えていた。85年、リードが中心となって『ブラックロック・コーリション』(以下、BRC)が設立される。

BRCはニューヨークを拠点とする黒人アーティストの権利を守ったり差別をなくしたりするなどの活動の他、“黒人が生んだロックを黒人のために発展させる”という使命も持っている。そもそもロックはブルースやジャズと同じく、アフリカ系アメリカ人である黒人が生み出したものであり、“白人のビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリーはそれらを模倣したにすぎない”という主張をしている。この主張を証明するためのツールとしてヴァーノンたちはBRCを作ったという側面もあるのだ。それだけに、BRCに所属する初期のブラックロックのアーティストたちは、ブルースを極力排した、より白人っぽいロック(パンク、ヘヴィメタル、オルタナティブなど)を演奏することが多い。

■リヴィング・カラーの結成

ヴァーノンはセッションを繰り返しながらメンバーを探し、俳優として活動(オリバー・ストーンの『プラトーン』(‘86)やテレビドラマに出演)していたコリー・グローヴァーをヴォーカリストに、ベースのマズ・スキリングス、ドラムのウィリー・カルホーンに声をかけ、86年にようやくパーマネントのグループとなった。そのサウンドはもちろんディストーションの効いたヴァーノンのギターを中心とした、ヘヴィメタルの要素が強いロックである。彼らはCBGBでの出演やツアーを行ないながら曲を作り、デビューに向けたアイデアを練っていた。

力強いことにミック・ジャガーが CBGBでの彼らのライヴを観て大いに気に入り、リヴィング・カラーは89年に始まるストーンズの『アーバン・ジャングル・ツアー』のオープニングアクトとして、ガンズ・アンド・ローゼズとともに選ばれることになったのである。ミックは特にヴァーノンのギターが好きで、彼のソロ作『プリミティヴ・クール』(‘87)に参加させているほどだ。これが縁でレコード会社の目にとまり、88年にレコードデビューすることが決定する。他にもヴァーノンは同じニューヨークで活動していたパブリック・エネミーのデビュー作『YO ! BUM ラッシュ•ザ・ショウ』(’87)にも参加している。

■本作『ヴィヴィッド』について

88年にリリースされた本作はヘヴィメタルやオルタナティブなサウンドが中心ではあるものの、ファンクやヒップホップの要素も相当なものだ。意外にキャッチーなメロディーを持つナンバーが多い。マズとウィリーのタイトなリズムセクションのコンビネーションはすごいのひと言だし、ヴァーノンの計算されたギターリフはジミー・ペイジに似ていて、ハイテクニックで攻めるのは気持ち良い。当時、彼らは“黒いレッド・ツェッペリン”と呼ばれていたこともある。余談だが、ヴァーノンは影響されたギタリストとして、ジミー・ペイジ、ジミヘン、ジェフ・ベック、エディ・ヴァン・ヘイレン、ロバート・フリップなどを挙げている。

本作の収録曲は全部で11曲、ほとんどリードが中心となって書かれている。トーキング・ヘッズのカバー「Memories Can’t Wait」はヴァーノンの素晴らしいメタリックなリードギターが収められているのだが、かすかにデヴィッド・バーンの香りを残しているのが面白い。そして、さっきも書いたが意外にもキャッチーな曲が多く、超絶テクを盛り込みながらも口ずさめるナンバーに仕上げる力量は大したものだと思う。1曲目に収録された「Cult of Personality」は翌年のグラミー賞(ベスト・ハード・ロック・パフォーマンス賞)とMTVのビデオ・ミュージック・アワードを受賞するなど、彼らを代表する名曲のひとつだろう。「Glamour Boys」とアルバム最後の「Which way to America」はミックのプロデュースで、どちらもPhishのようなジャムバンド系のテイストが感じられるのだが、ひょっとすると当時のミックの趣味なのかもしれない。

本作は全米チャートで6位まで上昇し、ブラックロック作品としては大ヒット、ロック史に残る作品となった。ゲストにはミック・ジャガー(ブルースハープとバックボーカル、2曲プロデュース)とチャック・D(パブリック・エネミー)が参加して花を添えている。

リヴィング・カラーは95年に一旦解散する。その理由はヴァーノンが他のプロジェクトやソロ活動したかったためだと思うが、21世紀になって再始動、最新作は『Shade』(‘17)でベースがダグ・ウインブッシュ(92年〜)に変わっているだけで他のメンバーは不動である。

TEXT:河崎直人

アルバム『Vivid』

1988年発表作品



<収録曲>
1. カルト・オブ・パーソナリティ/Cult of Personality
2. アイ・ウォント・トゥ・ノウ/I Want to Know
3. ミドル・マン/Middle Man
4. デスペレイト・ピープル/Desperate People
5. オープン・レター/Open Letter (To a Landlord)
6. ファニー・ヴァイブ/Funny Vibe
7. メモリーズ・キャント・ウエイト/Memories Can't Wai
8. ブロークン・ハート/Broken Heart
9. グラマー・ボーイズ/Glamour Boys
10. フェイヴァリット・カラー/What's Your Favorite Color? (Theme Song)
11. フィッチ・ウェイ・トゥ・アメリカ/Which Way to America



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