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フリーの『ファイア・アンド・ウォーター』は早熟の天才たちによるハードロック黎明期の傑作

フリーはハードロックの進む道を切り開いたグループのひとつとして知られるが、残念ながら短命に終わっている。オリジナルメンバーでの活動はたった5年であった。彼らが解散した理由は、ひと言で言うと“若すぎた”ことにあると言えるだろう。デビューアルバム『トンズ・オブ・ソブズ』(‘69)のレコーディング時(68年)、最も年長のポール・ロジャースとサイモン・カークがともに19歳、ポール・コゾフが18歳、アンディ・フレイザーはまだ16歳であった。これだけ若くて、個々のパフォーマンス能力も飛び抜けていたわけだから、メンバー間の衝突が多いのは容易に想像できると言うものだ。今回取り上げる3作目の『ファイア・アンド・ウォーター』(‘70)は、彼らの最高傑作というだけでなく、ロック史上に残る作品でもある。

■ブリティッシュロックの父、 アレクシス・コーナー

イギリスでブルースを広めたのはアレクシス・コーナーであり、彼が率いたブルース・インコーポレイテッドはグループとしての活動だけでなく、若者たち向けのワークショップも展開し、テクニック的なものからブルースの精神に至るまでの啓蒙を行なっていた。少し年下のジョン・メイオールもまた、コーナーのやり方を踏襲し、若い有能なミュージシャンがいると聞けば、自らのグループ、ブルース・ブレイカーズに迎え入れ修行させていた。コーナーやメイオールは60年代初頭からこういった活動を行なっており、ローリング・ストーンズ、クリーム、レッド・ツェッペリン、ハンブル・パイ、フリートウッド・マック、コロシアムら、のちのブリティッシュロック界のスターたちは、その多くがコーナーのグループかメイオールのグループのどちらかに在籍し、腕を磨いていたのである。

■15歳アンディ・フレイザーの 卓越したベースプレイ

フリーのベーシスト、アンディ・フレイザーは5歳からピアノを習い、12歳でギターを始めている。13歳ですでにクラブで演奏していたという。15歳で学校をドロップアウト、社会人向けの短期音楽セミナーに通っていたところ、アレクシス・コーナーの息子がフレイザーのプレイに衝撃を受け、彼は父親に連絡する。ジョン・メイオールがベーシストを探しているとコーナーは聞いていたのでフレイザーを推薦し、メイオールのブルース・ブレイカーズに短期ではあるが雇われることになったのだった。コーナーはその後もフレイザーに目をかけ、彼のグループへの参加が決まった時、“フリー”というグループ名を付けたのはコーナーである。

■フリー結成

68年、ポール・ロジャース(ヴォーカル)、ポール・コゾフ(ギター)、アンディ・フレイザー(ベース・キーボード)、サイモン・カーク(ドラム)という強力なメンバーでスタートしたフリーは、若手ブルースロックバンドとして、コーナーの口利きでライヴ会場を紹介してもらったり、コーナーのグループの前座で活動したりと、徐々にその名を知られるようになっていく。コーナーの世話になっているだけに、グループ結成当初はブルースロックバンドというスタンスは変えなかったが、結成してすぐに新興のアイランドレコードに認められ(おそらくコーナーの推薦があったものと思われる)、翌年にはデビューアルバム『トンズ・オブ・ソブズ』をリリースする。

■ブルースロックからハードロックへ

『トンズ・オブ・ソブズ』はブルースロックとハードロックが半々程度に収録されており、まとまりのなさは感じるものの演奏は充実している。コゾフの重厚でテクニカルなギターソロと、すでにハードロック的でアグレッシブなフレイザーのベースは素晴らしい。それに比べるとロジャースのヴォーカルはここではまだ優等生的な歌い方で、あまり印象に残らない。カークの演奏も可もなく不可もなくといった感じ。ただ、オリジナル曲はすでにハードロック的な萌芽が見られ、ブルースのカバー(2曲)がなければもう少し違ったテイストになっていたであろう。この作品ではコゾフのギターが冴え渡っている。

続くセカンド作『フリー』(‘69)は前作の反省からか全曲オリジナルで占められ、全9曲のうち8曲がロジャースとフレイザーの共作である。この作品はベテランロッカーのような落ち着きと渋さを持った仕上がりである。前作の後で行なった長期ツアーの成果が出ているようで、バンドのまとまりが際立っていると言えるだろう。ブルースナンバーはなく、ロックグループとしてのアンサンブルに重点を置いた作品になった。年齢が近いこともあって、当時親交のあったスティーブ・ウインウッド率いるトラフィックに影響を受けたのかもしれない。コーラスやフルートの導入(トラフィックのクリス・ウッドがゲスト参加)など新たなチャレンジもあって、全英チャートでは22位に食い込む結果となった。ただ、アドリブ中心のギターソロが減らされたことで、コゾフは曲作りの要であるロジャースとフレイザーに不満を持つようになる。

■本作『ファイア・アンド・ウォーター』について

70年、ニューアルバムに先行して出されたシングル「オールライト・ナウ」が世界的に大ヒットする。全米チャートで4位、全英チャートでも2位となり、フリーの代表曲というだけでなくロックを代表するナンバーとして現在でも多くの人に愛されている。シングルの大ヒットを受け本作『ファイア・アンド・ウォーター』も大ヒット、全英2位まで上昇しその後18週間もチャートインするという結果となり、グループは初めて大成功を収める。

アルバムの冒頭を飾るタイトルトラック「ファイア・アンド・ウォーター」は彼らの代表作のひとつで、ロジャースの文句なしのヴォーカルとコゾフのギターリフは、のちにハードロックでよく使われる様式のひとつとして大きな影響を与えている。かなり遅いテンポで始まる「ミスター・ビッグ」では、ロジャースの跳ねるようなヴォーカルとフレイザーのうねるベースソロが素晴らしい。抑えたギターのコゾフも実に良いのだが、本人はもっと弾きまくりたい欲求を感じていたらしい(若い!)。「ドント・セイ・ユー・ラブ・ミー」のような洗練されたバラード曲もこれまでの彼らには見られなかったスタイルで、ソウルフルではあるけれど熱くなりすぎないロジャースの抑えたヴォーカルが良い。

それにしても本作をリリースした時、ロジャースとカークは21歳、コゾフは20歳、フレイザーは18歳なのだ。この若さで、これだけ重厚な作品を作ったことに驚くが、特にフレイザーはソングライティング、ベース、ピアノと八面六臂の活躍で、コーナーやメイオールが彼をフォローする気持ちがよく分かる。収録曲は全部で7曲と少ないが、じっくり聴かせる曲ばかりで、やっぱり本作が彼らの最高傑作だ。

この後『ハイウェイ』(‘70)、『フリー・ライブ!』(’71)をリリースし、グループはメンバー間の不和で解散するものの何故か再編され『フリー・アット・ラスト』(‘72)をリリース、その後フレイザーが脱退し、山内テツとラビットを加えて再スタート、『ハートブレイカー』(’73)をリリースするのだが、内輪もめの結果、解散が決定する。その後、ロジャースとカークはご存知バッド・カンパニーを結成し大成功を収めることになるのだが、そのあたりはまた次の機会にしようと思う。なお、コゾフはドラッグに溺れ76年に25歳の若さで亡くなっている。

もしフリーを聴いたことがないなら、本作『ファイア・アンド・ウォーター』か、よりハードで荒削りな演奏が聴ける『フリー・ライブ!』(‘71)を聴いてみてください。

TEXT:河崎直人

アルバム『Fire And Water』

1970年発表作品

<収録曲>

1. ファイアー・アンド・ウォーター/Fire and Water

2. オウ・アイ・ウェプト/Oh I Wept

3. リメンバー/Remember

4. ヘヴィ・ロード/Heavy Road

5. ミスター・ビッグ/Mr. Big

6. ドント・セイ・ユー・ラヴ・ミー/Don’t Say You Love Me

7. オール・ライト・ナウ/All Right Now

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