今週は1月19日(土)の名古屋ダイアモンドホール から『Japan tour 2019 "Boys&Girls,again-January-"』をスタートさせる大江千里のアルバム『APOLLO』を紹介する。現在はジャズミュージシャンとして活躍中している彼だが、名曲「Rain」が秦 基博によってカバーされるなど、シンガーソングライター時代の楽曲も未だ色あせることなく、歌い継がれており、日本のポップス史において欠かすことのできない才能である。
■現在はジャズミュージシャンとして活動
本稿作成のため、大江千里のことをあれこれ調べて、正直言って結構驚いた。何が驚いたかと言うと、現在の彼の立ち位置だ。彼のファンならばご存知のことであろうが、彼は現在、毎月ニューヨークのジャズクラブでピアノを演奏している。昨年に掲載されたとあるインタビュー記事によれば、そのジャズクラブはもともと日系のお店ではあるというが、出演者も観客も日本人は少なく、英語でMCをしながら新曲を発表し続けているそうである。彼が10年ほど前から本格的ジャズクラブミュージシャンを目指して渡米していたことは存知ていたが、詳しく足跡を追っていたわけではなかったので、よもや、そこまでインディペンデントに活動をしているとは思ってもみなかった。移動は公共交通機関。必要に応じて機材を担いで会場入りすることもあるという。大江千里と言えば、全盛期にはスタジアムでコンサートを行なっていたアーティストである。音楽活動だけに留まらず、執筆や司会、役者も務めるなど、マルチに活動していた人物である。ここまで泥臭い活動をしているとは思いもしなかったが、彼自身は充実した活動をしていると公言している。
大江千里のデビューは1983年5月。シングル「ワラビーぬぎすてて」とアルバム『WAKU WAKU』の同時発売でそのキャリアをスタートさせた。デビューにあたって彼に付けられたキャッチフレーズが揮っていた。“私の玉子様、スーパースターがコトン”がそれ。その中身の是非はともかく、これは当時コピーライターであった林真理子氏が手掛けたもので、しかも、彼女のエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーとなった翌年の仕事だったのだから、大江千里のデビューにあたって如何にスタッフの力が注がれていたのかが分かろうというものだろう。また、当時、彼はまだ関西在住の現役大学生で、仕事の度に上京していたので“日本一忙しい大学生”と言われていたともいう。そうした話題性も手伝ってか、デビュー時からその活動はかなり順風満帆だったと言っていい。デビューの翌年には本人も出演したCMで使われた6thシングル「十人十色」がヒットし、彼の名を全国区にしたと記憶している。
■元祖“メガネ男子”として人気を博す
大江千里と言えば、音楽性もさることながら、そのルックスがアイコン的に機能したことも忘れることができない。あれは間違いなく彼の成功の要因のひとつではあったと思う。大振りのボストンタイプのメガネである(ちなみに最近もまた、あのクラシカルなフレームが流行ったようだが、あれを“大江千里みたいなメガネ”あるいは“アラレちゃんみたいなメガネ”と呼ぶのはその直撃世代であることは間違いない。たぶん1960年代生まれだ)。シングル、アルバムのジャケットにおいてもそこが強調されていた。3rdアルバム『未成年』(1985年)ではハイネックのセーターで鼻から下を隠した本人の画だし、映像作品集『SENRI CLIPS』(2003年)では例のメガネが中央に鎮座している。今回紹介する9thアルバム『APOLLO』も逆光で彼の顔は隠れていて、その上にアルバムタイトルが載っているという、大江千里のジャケットでは珍しく本人の表情が分かりづらいものではあるが、それにしてもメガネのフレームで彼の作品であることが示された見事なアートワークである。その事自体には良し悪し両面あったのかもしれないけれども、シルエットだけでその人と分かるルックスを確立したことは大きな発明であったし、大江千里の大きな功績であったと言える(シルエットだけでその人が特定できるアーティストというと、他には初期BUCK-TICKや初期X JAPAN、あとは氣志團くらいなものか)。少なくとも日本のポップス界では珍しいことだったと思う。
“メガネ男子”などという言葉はもちろん、その発想もなかった頃から、そうしたイメージをリスナーにもたらしたことに加えて、独特の揺らぎを持って発せられる彼の声が、その見た目の印象と重なったことも大きかったと思う。決してか弱いわけでないが、押しが強くもなく、フェイクやシャウトに逃げず、しっかりと歌詞を音符に乗せるという、ある意味で生真面目な歌唱は、そのルックスから大きくかけ離れたものではなかった。安心感…というのとは少し違うかもしれないが、少なくとも聴く人に変な緊張感を与えない声と歌唱だ。
歌詞の内容もしかりである。大江千里の書く歌詞はピュアなラブソングが多い印象がある。《君ひとりを抱きしめて/君ひとりに抱きしめられて》《ぼくの胸に横顔を/のせたまま眠る君の/やさしい息の数を/死ぬまで数えていたい》(2ndシングル「ガールフレンド」)や、《たまにしか逢えないけど/100年分も抱きしめる》《十人十色 僕を選んだことを後悔させない/十人十色 きっと世界一の幸せにさせる》(6thシングル「十人十色」)、《きみと出逢えてよかった 愛だけが今力になる/心に吹き荒れるよ 熱い風きみと集めた GLORY DAYS》(14thシングル「GLORY DAYS」)辺りが分かりやすいだろうか。毒気はまったくないが、少なくとも聴いていて悪い気はせず、効く人には効く薬となりそうな感じだ。当時、彼は圧倒的な女性人気を誇っていた記憶もあるが、今改めて歌詞を見てみると、そりゃそうだろうなと納得してしまうだけの内容でもある。これらを量産できたのだから、そのシンガーソングライターのスキルは職人技と呼ぶに相応しいものであったことは間違いない。
■ポップマジックを随所に感じる作品
9thアルバム『APOLLO』は、そんな大江千里がポップスアーティストとしてその才能を如何なく発揮し、名実ともに頂点を極めた作品と言えるだろう。自身初のチャート1位を獲得。現在までのところ、大江千里のチャート1位はシングル、映像作品を含めて本作が唯一である。そうした数字面だけでなく、そのクオリティーにおいても『APOLLO』が勢いのピークであったことを本人も述懐している。ちなみに、この翌年にリリースされた23thシングル「格好悪いふられ方」が彼のシングルでは最大のヒット曲であり、このシングルヒットも『APOLLO』の頃には見えていたというから(のちに本人が文藝春秋のインタビューで「次の『格好悪いふられ方』(1991年)でシングルヒットを狙うための助走もついてました」と応えている)、スタッフワークも含めて気力も相当に充実していたのだろう。
全11曲。メロディーは全て申し分がないクオリティーで、捨て曲がない。どんなアーティストでもアルバムとなると、アルバムならでは…というか、親しみやすさの薄いナンバーであったり、時には実験的な楽曲が収録されていたりすることもあるのだが、『APOLLO』にはそれがないのである(大江千里の全作品を比較したわけではないので、それが事実誤認であるとしたら、先に謝っておくが)。例えば、M4「舞子VILLA Beach」やM8「竹林をぬけて」でのディスコティックなサウンドがイメージする大江千里とは若干趣を異にした印象ではあったが、それにしても若干というくらいで、メロディーの親しみやすさには普遍性を感じるほどである。また、歌メロもさることながら、M9「dear」やM11「星空に歩けば」は楽曲冒頭のイントロのフレーズからしてキャッチーで、ポップさがあふれんばかりなのもポイント。しかも、それらが取って付けた感じではなく、あたかも最初からそこにあったかのように配置されているところは、まさに職人技と言えるであろう。
細かいところを見ていくと、さりげなく…ではあるが、それでいて確実に自己主張する楽器たちの音色も聴き逃せない。個人的に注目したのはエレキギター。M9「dear」では不協気味なノイジーさを、M10「これから」ではプログレ風のドラマチックさを、そしてM11「星空に歩けば」ではメロディアスな旋律を…と、それぞれにタイプは異なるものの、楽曲になくてはならない彩りを添えている。あと、この辺は1990年前後の時代性もあるのだろうか、電子音の使い方も興味深い。前述のダンサブルなM8「竹林をぬけて」で如何にも…といった感じのピコピコしたサウンドが聴けるほか、ミディアムナンバーであるM5「あなたは知らない」では機械的な鍵盤の音を導入。また、ポップなR&Rと言えるM6「やっと気がついた」ではニューウェイブ的な音使いがされていたりと、ひと工夫、ふた工夫を加えているところにポップミュージックの面白さが垣間見える。この辺は本人もさることながら、シングル「十人十色」以来、長きに渡って大江のパートナーとしてほとんどの作品に参加したアレンジャー、清水信之の手腕によるところも大きいのだろう。上記の他にもM1「APOLLO」でのソウルミュージック風味もいいし、サーフミュージック的なテイストを加えたM2「たわわの果実」もなかなかの聴き応えで、いずれも試行錯誤しながらも、優れた作品を創り上げようとチーム一丸となって臨んでいたことが分かる。
■現在につながる決意を秘めた歌詞
ここまでアルバムで言えば9作品分も楽曲を作ってきたソングライターだけあって、もちろん歌詞も、どれもこれもさすがに手練れの匂いが漂う。例えば、下記のM9「dear」の歌詞などはそのシチュエーション設定と言葉選びは1990年代のど真ん中といった印象。まさに職人芸と呼ぶに相応しい。
《渋滞のスクランブルで 見覚えあるシャツを見つけた/降りだした雨にせかされて 傘もささずに走ってた》《ひたむきなその横顔と 夜更けの路地ずぶぬれの髪》《人ごみに埋もれて歩く 生活から離れられない》(M9「dear」)。
その他、サビの英語的な語感も楽しいM2「たわわの果実」や、恋愛初期の瑞々しさを綴ったM4「舞子VILLA Beach」、所謂“負け犬”的な視点が彼の作風としては意外な気もするM7「8年土産」の歌詞もいいが、注目なのは現在の大江千里のポジションに通じているとも考えられる以下の歌詞ではなかろうか。
《あたりまえの未来が あたりまえに叶うから/むくわれない希い 気づかなかった/出逢った頃のあの日に戻りたい》《届くはずない未来 いつのまにか追い越して/もう何が起こっても 届かない/夢中で錆びたペダルをこいだ》(M1「APOLLO」)。
《やっと気がついた/やっと気がついた/今夜を逃せば決め時はもう来ない/身体をください》《やっと気がついた/やっと気がついた/乗るときゃ乗らなきゃ この波はもう来ない/ベッドをください》(M6「やっと気がついた」)。
《騒がしい風にせかされたら 少し休めばいい/静かな草に耳を澄ますと 明日が聞こえてくる》《追われてる今に疲れたら たまに歩けばいい/静かな川に耳を澄ますと 夜明けが聞こえてくる》(M11「星空に歩けば」)。
M1「APOLLO」は滞在中のニューヨークで作った曲で、これができた時にアルバムのレコーディングをニューヨークで行なうことを決めたという。そう思うと、上記の歌詞は意味深だ。随分と冷静であると思えるし、何か開眼しているとも言える。邦楽シーンで確固たる人気を獲得していながらも、それとは迎合していないというか、微妙な位置関係を保っているようにうかがえる。本作が大江千里にとってアーティスト人生のターニングポイントとなったという、本人による明確な言質は発見できなかったけれども、彼がのちに自ら望んでジャズミュージシャンに転身し、現在、ニューヨークを拠点に活動していることを考えれば、この辺の歌詞は決意表明だったとも思える。ポップさの裏に隠された確かな意思。名盤と呼ぶに十分な条件が揃った作品であることは間違いない。
TEXT:帆苅智之
アルバム『APOLLO』
1990年発表作品
<収録曲>
1.APOLLO
2.たわわの果実
3.BAY BOAT STORY
4.舞子VILLA Beach
5.あなたは知らない
6.やっと気がついた
7.8年土産
8.竹林をぬけて
9.dear
10.これから
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