川村かおりの1stアルバム『ZOO』がリリースされてからちょうど30年目となった11月21日に、その『ZOO』が高音質仕様のUHQCDとして再発された。また、年明けには1989年から1990年にかけてVHSで発表されたビデオクリップ集3タイトルのDVD化が決まっている。没後10年ということもあるのだろう。ここに来て川村かおりにスポットが当たっている。決して風化させてはならないアーティストであるだけに、こういう取り上げられ方は歓迎すべきだろう。当コラムでは彼女の通算4枚目のオリジナルアルバム『Weed』をチョイスしてみた。
■ヒット曲のVer違いを1曲目に配置
正直に告白すると、筆者は川村かおりに対して半可通な知識しか持ち合わせていない。彼女のデビュー曲が辻 仁成プロデュースのシングル「ZOO」であること。「翼をください」がヒットしたこと。映画やドラマにも出演していたこと。そして、彼女が乳がんのため若くして他界されたこと。知っていたことと言えばそんな感じで、アルバムを通して聴いたのも今回が初めてだと思う。『ZOO』が再発されたわけで、当然このコラムでも『ZOO』を取り上げると思っていたら、編集部から“いや、やっぱり川村かおりと言えば『Weed』でしょう!?”と言われ、その時に本作の存在を知ったくらいだ。恐縮ながら、まずその点をご理解いただければ幸いである。以下、半可通なりの分析になるであろうが、『Weed』の作品解説から始めてみたい。
オープニングM1は「見つめていたい(アコースティック篇)」。この楽曲は1991年11月に発売された、彼女の通算9枚目のシングル曲である。サビの印象的なメロディーが彼女のややハスキーな声質と合わさって、強さの裏側にある脆さのようなものを感じさせるナンバーである。パッと見て、若干不思議に思ったことが2点ある。ひとつは、シングル曲をなぜ1曲目に配したのかということ。そして、シングルで見せたバンドアレンジではなく、“アコースティック篇”と題されたバージョン違いを収録していることだ。
誰が決めたか分からないが、アルバムのリード曲となるような先行シングルは大体2曲目に置かれることが多い。『Weed』はそうではない。別にそうしなくちゃいけない決まりがあるわけでもないので、それが悪いと言っているわけではなく、例えば、M2「僕を撃て」は軽快なR&Rナンバーなのでこれをオープニングにして、バンドVer.の「見つめていたい」をM2に配置することもできたと思う。1990年代前半の邦楽シーンではシングルを2曲目に置くことがなかったのかと思って調べてみた。そりゃあもちろん全てのアーティストがそうではなかったけれど、わりとやっていた人たちは多かった。そんな中で、「見つめていたい」でオープニングを飾り、しかもそれをリズムレスでアコギとザラっとしたエレキギターをバックに歌う“アコースティック篇”としたことには、彼女なりのメッセージを感じざるを得ない。バンドサウンドにしなかったのは、おそらくメロディーと言葉を強調したかったと想像できる。以下は「見つめていたい」の歌詞である。
《愛がなきゃダメさ 夢がなきゃダメさ/声にできるほど 強く思うんだ だけども/愛だけじゃダメさ 夢だけじゃダメさ/それが悲しくて叫べなくなる僕だよ》《どのレールを僕ら走っていても/欲望や金につられる 魚じゃないよ》《僕のつけた足跡に 誰かが気づけばいいな/そしたらまた友達が 増えてくだろう/大切な僕らの未来 決めるのは僕らの今日/宝物が多すぎて キリがないや/ポケットの砕けたビスケットだって/鳥たちの御馳走にかわるんだよ》(M1「見つめていたい(アコースティック篇)」)。
所謂バブルが崩壊したのは1991年から1993年と言われているが、シングル「見つめていたい」、そしてアルバム『Weed』の発売時期とぴたり一致するのが興味深い。また、バブル経済が崩壊した時期、つまりこの時期においても音楽業界はCDバブルと言われたセールスの絶頂期を迎えており、右肩上がりが続いている時期であったので、そこで、こうした歌詞を綴ったところに彼女のアーティストとしての性根のようなものが感じられる。
さらに、《愛がなきゃダメさ 夢がなきゃダメさ》と言いつつ、《愛だけじゃダメさ 夢だけじゃダメさ》と逡巡している部分は、派手さこそないがやはり強烈なインパクトを残す。この時、彼女はまだ20歳前後。“大事なのは愛と夢!”と言い切っていたとしても文句は出なかったであろう。しかし、自問自答するかのようにこのフレーズをリフレインした彼女は何を考え、何を思っていたのだろうか。
■無国籍にバラエティー豊かなサウンド
M1「見つめていたい(アコースティック篇)」以降はバラエティー豊かな楽曲が並ぶ。M2「僕を撃て」、M3「うそつきこざるかわがままサンディ」は共にR&Rナンバーだが、ギター&アレンジが、前者はコンポーザーの高橋 研、後者は“イマサ”こと、いまみちともたかで、タイプの異なるサウンドが聴けて楽しい。ちなみにM3のドラムは小田原豊で、BARBEE BOYS+レベッカという、当時を知る人にとってはちょっとしたドリームチーム感もある。
続く、M4「シベリア鉄道(木枯らし篇)」、M5「ジェロニモ」は、M3同様、イマサが手掛けたナンバー。文字通り、ロシアっぽい雰囲気のM4と、ネイティブ・アメリカンを彷彿させるM5を並べて収録している。この辺はどこまで意図的だったか分からないが、作品全体の面白い彩りとなっているのは確かだ。
M6「奇妙な果実」は5拍子(たぶん)の上、マンドリンなども使ったポップなナンバー。ちょっと欧州民謡を思わせるサウンドも楽しい。M7「Hey Hey Hey '91」はコンガのパーカッシブなリズムが全体を引っ張る一曲で、アーシーさに重なるドライなギターも聴きどころだ。この2曲はイマサのアレンジに勝るとも劣らないプロデューサー、高橋 研の手腕が光る。氏の面目躍如と言える楽曲だ。M7「Hey Hey Hey '91」の歌詞は時代性を感じる一方、30年近く経っても何も状況が変化していない様子も垣間見れて、薄ら怖くもある。
《米ソの対立(カギ)は うまく はずれたらしいね/知らないうちに 首相(アタマ)がすげかわっている/新しいニュースで マスコミは 乱舞さ/想像もつかない資金(カネ)は どこからくるんだよ》《調子はどうだい? 稼ぎを尋くバカな奴/Yesman! 君のNoも聞いてみたいのさ/コンピューターで誰か 中毒おこしてる/テレビに話しかける子供が増えてゆく》(M7「Hey Hey Hey '91」)。
川村かおりらしさとイマサらしさが上手く合体したと思われるロックチューン、M8「脳内テンション ダダダァーン」。そこから一転、クリアトーンのアルペジオのギターにブルージーなギターが重なるサウンドでやわらかいメロディーを聴かせるM9「みんな僕のせいさ」。対照的な2曲を経て、アルバムはラスト、M10「Weed〜a march of silence〜」に辿り着く。これは本作で唯一、川村かおりが作詞も作曲も手掛けたナンバーだ。以下、歌詞の全文を引用させていただく。
《赤い陽の下に 青く繁る草がいる/手足縮ませて ひそやかに暮らしている/きっとそれぞれに 名前もあるはずなのに/みんなは呼ぶ“雑草”と彼らを》《そっと そっと 息を ひそめてる/ゆれて ゆれて 生命 感じてる/咲いて 咲いて 枯れて 落ちてゆく》《ビルの谷間にも 道端にも 根づいてる/どんな花たちの 足元にも 根づいてる/みんな踏んだって タフな奴だから、と言う/だけどね ほら 傷がこんなにある》《みんな ちがう細胞のかたまりさ/それぞれの出せる力も ちがうのさ/そっと生きてゆくのさ/1、2、3、 そっと》(M10「Weed〜a march of silence〜」)。
ブラシを使ったドラミングとベースの動きが耳に残るものの、メロディーもアンサンブルも決して派手過ぎず、絶妙なバランスで構築された楽曲。これもM1「見つめていたい(アコースティック篇)」同様、言葉に重きを置いていることが想像できる。《枯れて 落ちてゆく》や《傷がこんなにある》辺りには少しドキリとさせられるが、そこがないとこの楽曲が成立しないのもまた確かだろう。《1、2、3、 そっと》で締め括られているのが何よりも前向きでいいし、それでいて変な偏りも妙な力の入り方も感じさせないのも、とても素晴らしいと思う。
■ダイバーシティを先取りした作品
端的に言ってしまうのも憚られるが、この『Weed』というアルバムは“多様性”を示した作品であることは明らかだ。歌詞もさることながら、サウンドのバラエティー感にもその意図はあったのではと邪推する。現代風に言えば“ダイバーシティ”だろうか。異なる思想、宗教、民族、人種に対する尊重を、今もって世界は実現できていないわけで、それゆえに概念が先行しているかたちだが、川村かおりというアーティストは今から30年近く前に、そこにフォーカスを当てた。ソウル・フラワー・ユニオンの前身である、ニューエスト・モデルが同時期(1990年)に、“雑種”と冠したアルバム『クロスブリード・パーク』を発表しているが、メジャーシーンで本格的に“多様性”を示し、それが広まった作品となると、おそらくSMAPのシングル「世界に一つだけの花」まで時を進めねばならないはずで、川村かおりがそこに目を付けたのは結構早かったことは間違いない。しかも、単純な二項対立に堕することなく、それを超えようとした姿勢は現代でも十分に通用するものであろう。それが若干20歳のアーティストの取り組みだったのだから、今も湛えられてしかるべきとも思う。
アルバム『Weed』を聴いたのち、川村かおりの生い立ちを調べて、彼女がこうした作品を作るに至った経緯が分かった。ほんの少し調べただけで、その壮絶な人生に絶句した。彼女は日本人の父親とロシア人の母親との間に生まれた。幼少期を過ごした80年代は東西冷戦下にあり、日本と敵対するソ連(※註:現在のロシア…とは少し異なるが、大体同じ土地と理解されたし)への偏見は根強かった。同級生からも相当に酷いイジメにも遭っていたそうだし、1983年にソ連の戦闘機が大韓航空機を撃墜した“大韓航空機撃墜事件”の際には何と学校の教師から“ソ連に帰れ!”と言われたという。また、デビューしてから、心を寄せていた人から衝撃的な裏切りにも遭ったという話も見聞きした。その詳細についてはさすがに割愛させてもらうが、彼女の生い立ちは、M10「Weed〜a march of silence〜」での《傷がこんなにある》をまさしく痛々しく感じさせるものであるし、M1「見つめていたい(アコースティック篇)」の《愛がなきゃダメさ 夢がなきゃダメさ》《愛だけじゃダメさ 夢だけじゃダメさ》を生々しく響かせるだけものである。彼女に対して付け焼き刃的な半可通な知識しか持ち合わせていない自分でも、その簡単な経歴を知っただけで彼女がこういう作品を作ったことを理解できた。川村かおりの他の作品もおそらくそうであるように、アルバム『Weed』はこの時期の川村かおりにしか作れなかった作品であることは間違いない。
このレコードには作者の強い思いが込められている。それは今日的なテーマと完全に直結するものであろう。ナショナリズムだのグローバリズムだの、こちらでもあちらでも、今も何かとかまびすしいが、30年近くも前に、それらの喧噪に一石を投じる女性ロックアーティストがいたことを我々は忘れてはならないと思う。彼女が38歳という若さでこの世を去ったことに思いを馳せると、なおさらにその思いを強くする。
TEXT:帆苅智之
アルバム『Weed』
1992年発表作品
<収録曲>
1.見つめていたい(アコースティック篇)
2.僕を撃て
3.うそつきこざる か わがままサンディ
4.シベリア鉄道(木枯らし篇)
5.ジェロニモ
6.奇妙な果実
7.Hey Hey Hey '91
8.脳内テンション ダダダァーン
9.みんな僕のせいさ
10.Weed〜a march of silence〜
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