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浜崎あゆみが世紀末に示した確かな光ーー。『LOVEppears』に見る鮮烈な歌詞世界

7月に『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2018 ~POWER of MUSIC 20th Anniversary~』をフィニッシュした浜崎あゆみが、10月19日(金)より『ayumi hamasaki LIVE TOUR ーTROUBLEー 2018ー2019 A』をスタートさせる。すでにチケットはオールソールドアウトとさすがの貫禄だが、今回はそんな彼女の凄さを初期の作品から探ってみようと思う。

■女性ソロアーティスト歴代トップ

浜崎あゆみのトータルセールスは5,000万枚超。これは女性ソロアーティストとして歴代トップの記録である。男性、グループを含めた総合ランキングでも4位であり、5,000万枚を越えたソロアーティスト、女性アーティストは今のところ彼女以外にいないのだから、この記録はまさしく金字塔と言っていい。まだある。浜崎あゆみの売上は1999年から2009年の間、金額ベースで年間トップ10に入り続けた。しかも、2000年、2001年、2003年はトップで、それ以外の年も概ねトップ5以内である。2001年、2002年、2003年には日本レコード大賞を獲得し、V3を達成している。所謂00年代のおよそ10年間、彼女が日本音楽業界の中心、そのひとりであったことは間違いない。

その他、ベストジーニスト一般選出部門殿堂入りとか、ネイルクィーン殿堂入りとか、第14回日本メガネベストドレッサー賞(サングラス部門)受賞とか、音楽以外のトピックも併せて考えると、この時期の浜崎は日本経済の一躍を担っていたと言っても決して大袈裟ではなかろう(シングル通算首位獲得数が女性アーティスト及びソロアーティスト歴代1位だとか、連続首位獲得数がソロアーティスト歴代1位だとか、彼女にまつわる記録はまだまだ挙げられるが、文字通り、枚挙に暇がないのでこの辺まで)。

■甘いラブソングではない歌詞世界

浜崎あゆみが00年代に圧倒的な支持を得た理由はその歌詞にあるだろう。もちろん、D・A・Iこと長尾大をはじめ、星野靖彦や菊池一仁ら、avexグループ関連の名うてのコンポーザーたちが手掛けた“これぞ、J-POP!”というメロディーラインは巧みな作りである。とりわけ、パッと聴いただけにも関わらずへばりつくように耳の中に居座るキャッチーなサビを、当時あれほど量産したという事実は今考えると驚異的ですらある。サウンド面においては総体的にはアガるダンスもので、ユーロビート以降のレイブテクノを取り込むなど、クラブミュージック的要素が濃い。この辺は1990年代半ばから一大ブームを起こした所謂“小室サウンド”から御鉢が回ってきたようなところでもあったのだろうが、当時の先端を取り込んでいたとは言える。

つまり、作曲、編曲も一線級であったのだが、これで歌詞が甘いラブソングばかりだったとしたら、あれほど支持されたのだろうかと考えると、これは否と言わざるを得ないと思う。ユーミン、ドリカムはもちろんのこと、それこそ同じレーベルであるavexにも優れたラブソングを歌うシンガー、グループはいたわけで、浜崎が作る甘いラブソングが凡百のものになったとは言わないまでも、あまたのあるなかのひとつに埋もれてしまっていたとしてもおかしくない。あの歌詞の内容があったからこそ、彼女は“カリスマ”足り得たのであろう。

■その内容はロックそのもの

それではシングル作品で浜崎あゆみ初のミリオンヒットとなった「A」に収録されたナンバーをはじめ、「Boys & Girls」「TO BE」「WHATEVER」「LOVE〜refrain〜」(=7thシングル「LOVE〜Destiny〜」の原曲)、また本作と同時リリースで、そのジャケ写から“黒あゆ”と言われた「appears」、そしてのちにシングルカットされた「Fly high」「kanariya」と、オリジナルアルバムでありながらベスト盤さながらの容姿を示す2ndアルバム『LOVEppears』で浜崎あゆみの歌詞世界を改めて検証してみよう。「A」収録曲からして、かなり強烈な内容である。

《なりたかったものなら/お姫さまなんかじゃない/欲しがってたものなら/ガラスの靴なんかじゃない》《なりたかったもの/それは君といる私/欲しがってたもの/それは君の本当に笑った顔》《今日の空に夏の匂いと/風が通り抜けて/大丈夫だって頷いた/もしもふたり話してた様な/運命があるなら/どこかでまた出会えるから…》《大丈夫だって頷いた/私はとても強いから》(M13「monochrome」)。

《世界が逆に周り始めてる/加速度ばかりが増やしてる/気が付いた時は足元暗くて/崖っ淵に立っていただなんて》《もう引き返すことはできない/青ざめていても、何も変わらない》《どこまでも強く、強く/尖らせた光で/どこまでも続く、続く/この道の先がもし/世界の果てでも》《お金なんかじゃ、終わりは見えてる/栄光もたかが知れてる/解らないフリをいつまで続ける/気付いて傷つくことが怖い》(M11「too late」)。

《時間なんてものはとても/時として残酷で/でもその残酷さゆえに/今が創られて/人を求めやまないのは/一瞬の解放が/やがて訪れる恐怖に/勝っているから》《与えられた自分だけの/正気と狂気があって/そのどちらも否定せずに/存在するなら》《ムダなもの溢れてしまったもの/役立たないものも/迷わずに選ぶよ そう/私が私であるためにね》《幸せの基準はいつも/自分のものさしで/決めてきたから》(M3「Trauma」)。

《思い出している/いつも不器用な/幕の引き方をしてきたこと》《君はどこにいるの/君はどこへ行ったのか/遠い旅にでも出たんだね/一番大切な人と》《そして歩いて行く/君も歩いてくんだね/ふたり別々の道でも/光照らしていける様に》(M8「End roll」)。

とにかく揺るぎがない。堂々と立っている。そんな印象が強い歌詞だ。《お姫さま》も《ガラスの靴》も要らないとステロタイプな古の女の像を頭から寄せ付けず、《お金》も《栄光》にも興味がないと一刀両断にしているからこそ、《大丈夫》《強い》といった言葉が強がりには見えないという構造だ。端から退路を断っていると言ったらいいだろうか。

この力強さはポップスではなく、ロックに近い──いや、ロックそのものと言ってもいいだろう。「monochrome」「too late」「Trauma」「End roll」…タイトルからしてポップさが薄いが、そこもいい。《私が私であるために》というフレーズからは尾崎豊作品とのリンクも感じるところだ。当時の浜崎は“女子高生のカリスマ”といったような形容がなされていたが、それはファッションリーダーとしての側面もさることながら、こうした浜崎のスピリッツが当時のハイティーンに大きな影響を与えていたと考えたほうが自然だろう。

■行動を促す前向きなメッセージ

鮮烈な印象を与えてくれる歌詞はまだまだある。しかも、それらは「A」収録曲以上にはっきりと前向きである。

《全てはきっとこの手にある/ここに夢は置いていけない/全てはきっとこの手にある/決められた未来もいらない》《全てはきっとこの手にある/動かなきゃ、動かせないけど/全てはきっとこの手にある/始めなきゃ、始まらないから》(M2「Fly high」)。

《輝きだした/僕達を誰が/止めることなど出来るだろう/はばたきだした/彼達を誰に/止める権利があったのだろう》《輝きだした/私達なら/いつか明日をつかむだろう/はばたきだした/彼女達なら/光る明日を見つけるだろう》《”イイヒト”って言われたって/”ドウデモイイヒト”みたい》(M6「Boys & Girls」)。

《誰もが通り過ぎてく/気にも止めない/どうしようもない/そんなガラクタを/大切そうに抱えていた/周りは不思議なカオで/少し離れた場所から見てた/それでも笑って/言ってくれた “宝物だ”と》《ガラクタを守り続ける腕は/どんなに痛かったことだろう/何を犠牲にしてきたのだろう/決してキレイなマルにはなれないけれどね/いびつに輝くよ》《君が見つけた/広くもない こんな道で/君が見つけた/広くもない 狭くもない/こんな道で どうにかして/君がひとり磨きあげた》(M7「TO BE」)。

シングル曲ではないがCMソングにも起用されたM4「And Then」、11thシングル「appears」のカップリングであったM5「immature “Album Version”」もそうで、行動を促すようなメッセージが力強い。

《目に見えないものを信じていられたのなんていつのことだろう/この頃じゃ何もかもが見えすぎて解らなくなっている》《悲しみも苦しみも何もかも/分け合えばいいんじゃないなんて/カンタンに言うけどねそんなこと/出来るならやってる/いつまでも同じようなところには/いられないと言っていたでしょう/陽がのぼるその前に二人して/この街を出てみよう》(M4「And Then」)。

《僕らはそんなにも多くのことなど/望んだりはしていないよ ずっと》《僕らはいつか幸せになるために/生きて行くんだって/思う日があってもいいんだよね/この瞳に映るものが全て/キレイなわけじゃない事を知っても》《目の前の悲劇にさえ対応できずに/遠くの悲劇になど 手が届くはずもなく》《僕らはきっと幸せになるために/生まれてきたんだって/思う日があってもいいんだよね/本当は扉を開きたいんだって/口に出して言ってみればいい/口に出して言ってみればいい》(M5「immature “Album Version”」)。

《悲しみも苦しみも何もかも/分け合えばいいんじゃないなんて/カンタンに言うけどねそんなこと/出来るならやってる》や《僕らはいつか幸せになるために/生きて行くんだって/思う日があってもいいんだよね》との描写は特に鮮烈である。ありふれたお題目は必要ないし、そんなもので幸せにはならないと浜崎はきっぱり言い切っている。その上で、《陽がのぼるその前に二人して/この街を出てみよう》であったり、《本当は扉を開きたいんだって/口に出して言ってみればいい》であったりと、前進を勧めている。阪神・淡路大震災、オウム事件を経て辿り着いた、“ノストラダムスの大予言”に示された1999年において、もっとも相応しい言葉はこのようなポジティブなものであったのだ。

■恐ろしいほどに冷静で客観的な視線

こうした浜崎の考えの源は世相や風俗にとらわれない、冷静かつ客観的な視線があってのことと考えるが、それが最大限に発揮されているのはM12「appears “Album Version”」であろう。

《恋人達は とても幸せそうに/手をつないで歩いているからね/まるで全てのことが 上手く/いっているかのように 見えるよね/真実はふたりしか知らない》《今年の冬はふたりして見れるかな/過ごせるかな 言えるかな/言えなかったメリークリスマスを》《薬指に光った指輪を一体/何度位はずそうとした? 私達》(M12「appears “Album Version”」)。

恐ろしいほどに冷静である。《真実はふたりしか知らない》。それはそうだが、エンターテインメントの世界であるからして少しはロマンチックな要素を挟んでも問題はない。というか、普通は入れるものだ。しかし、浜崎は《薬指に光った指輪を一体/何度位はずそうとした? 私達》と現実を叩き付ける。

浜崎あゆみの、この冷静さ、客観性は、先ほど述べた世紀末観も少なからず影響しているのではなかろうかと邪推する。阪神・淡路大震災、オウム事件という未曾有の災害と犯罪によって、それまで誰もが漠然と信頼していた安全や平和が実はとても脆いものであったことを露呈。社会不安が広がる中、サブカルチャーの中心は少女たちに移った。その象徴が“コギャル”であり、先頃引退した安室奈美恵に影響された“アムラー”であろう。それが1995年から1996年辺りのことだ。彼女たちは世紀末を謳歌しようとしたのか、享楽に酔うことでそれを忘却しようとしたのかよく分からないが、いずれにしても当人たち以外の多くの人たちの目に軽佻浮薄に映っていたことは間違いない。そんな前の世代の風俗や文化への反動が、その数年後、本格的に音楽活動を開始した浜崎あゆみにあったと見ても不自然ではないように思う。邪推も邪推、仮説にもほどがあると笑い飛ばしてもらって構わないが、その邪推したポジションに浜崎あゆみの収まりがいいことも確かだろう。

昨今は彼女の対する悪意あるディスりもチラホラ耳にする。これも長きにわたってスーパースターとして君臨してきた者の宿命であろうか。しかし、本作『LOVEppears』のように、混沌とした時代の中で浮足立つことなく、しっかりと前向きなメッセージを発信した浜崎あゆみの楽曲たちは、何年経ってもその本質は色褪せない。必ず時代を超えて再び輝くと予言しておこう。

TEXT:帆苅智之

アルバム『LOVEppears』

1999年発表作品

<収録曲>

1.Introduction

2.Fly high

3.Trauma

4.And Then

5.immature “Album Version”

6.Boys & Girls

7.TO BE

8.End roll

9.P.S II

10.WHATEVER “Dub’s 1999 Club Remix”

11.too late

12.appears “Album Version”

13.monochrome

14.Interlude

15.LOVE〜refrain〜

16.Who…

17.kanariya

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