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グランド・ファンク・レイルロードが後進に影響を与えたアメリカンロックの傑作『アメリカン・バンド』

60年代の終わりから70年代初頭にかけて、特に日本での人気が高かったスリーピースバンドのグランド・ファンク・レイルロード(以下、GFR)。彼らの絶頂期と言えば、第4のメンバーと言われたテリー・ナイトがプロデュースしたデビュー作『グランド・ファンク・レイルロード登場(原題:On Time)』(’69)から4枚目の『ライヴ・アルバム』までであることは間違いないが、彼らが全米1位を獲得したのはトッド・ラングレンにプロデュースを任せた本作『アメリカン・バンド(原題:We’re an American Band)』(8枚目)所収の「アメリカン・バンド」と次作『輝くグランド・ファンク(原題:Shinin’ On)』に収録された「ロコモーション」のシングル2曲のみである。初期のGFRはライヴに定評があるハードロックグループであったが、徐々にアメリカンロックグループへとシフトし、彼らのサウンドが後進のグループに与えた影響は少なくない。

■60年代後半にやってきた ハードロックの隆盛

イギリスで生まれたハードロックは、もともとはブルースロックの延長線上にあった。ロックのリスナーが急激に増加した60年代の中頃、野外フェスや大きなホールでのコンサート大人数の前で演奏するために、大音量が出せるアンプやPAシステムが必要となり、音響メーカーは素早く対応する。これはビートルズが世界ツアーを回っている時にはまだ間に合わなかったが、60年代後半にはかなりの大音量システムが作られている。出力の大きなPAシステムは音が大きいだけでなく、増幅させると同時に得られるフィードバックやオーバードライブ等をコントロールすることで音楽に利用し、ギターやベースを演奏する上で表現力が増すことにもつながったと言えるだろう。

大掛かりなPA設備を携えたクリーム、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ディープ・パープルらは、大音量をコントロールすることでハードロックの黎明期を支えたのである。アメリカではブルー・チアーやMC5といったグループがすでにハードロック(ガレージロックでもある)を演奏していたが、世界的に知られている最初期のアメリカンハードロックグループはGFRであろう。

■ツェッペリンの前座と 後楽園での来日公演

ハードロックのグループとして圧倒的な人気を誇っていたのは、68年にデビューしたレッド・ツェッペリンである。メンバーの演奏能力の高さとロバート・プラントの超高音域のヴォーカルがハードロックの定義となるほど、彼らのインパクトは大きかった。69年には『レッド・ツェッペリン II』がビートルズの『アビー・ロード』に代わって1位の座につき、ロックが新しい時代を迎えたことを示唆していた。

69年にアトランタ・ポップ・フェスでデビューしたGFRは、インパクトのあるステージングでツェッペリンと比べられる存在となる。そして、それを知ったツェッペリンサイドからアメリカツアーの前座として起用されることとなり、主役のツェッペリンを差し置いて何度もアンコールを要求されたことが大きな話題を呼んだ。「ツェッペリン以上の人気を博したGFR」という記事を載せたメディアもあったようで、デビュー間もない時期にもかかわらず、ツアーやフェスに引っ張りだことなる。特に、71年のシェアスタジアムでのコンサートは、それまでのスタジアムの興行収入の最高記録を保持していたビートルズを抜き、トップに立った。同じ71年には来日公演も行なわれ、嵐が吹きすさぶ後楽園球場でのコンサートは今でもロックファンの間では語り草になっている。この来日公演で日本でのGFR人気は最高潮となった(僕は当時中2だったし関西在住なので行けなかった…)。

■GFRの音楽

GFRのメンバーはギターとリードヴォーカルのマーク・ファーナー、ベースのメル・サッチャー、ドラムのドン・ブリューワーの3名。彼らの特徴はアメリカのグループらしい乾いたサウンドとキャッチーなメロディーの楽曲に尽きる。デビューアルバムの『グランド・ファンク・レイルロード登場』ではハードで重厚感のあるサウンドを前面に打ち出し、「アー・ユー・レディ」や「ハートブレイカー」といったファーナーの手になる名曲を収録、2ndの『グランド・ファンク(原曲:Grand Funk)』(’69)でもデビュー作同様、ハードなサウンドを持った「孤独の叫び」(アニマルズのカバー)や「ミスター・リムジン・ドライバー」(ファーナー作)などの名曲を含む充実したアルバムを次々リリースする。3枚目の『クローサー・トゥ・ホーム』(’70)ではハードロックを基調としつつアコースティックなサウンドも取り入れ、アメリカンロック路線へと舵を切る。この時代のサウンドは71年にデビューするドゥービー・ブラザーズに大きな影響を与えている。続いてリリースした『ライヴ・アルバム』(’70)は彼らの初期の集大成とも言うべきアルバムで、彼らのライヴアクトとしてのすごさがよく分かるロック史に残る名盤である。

5枚目の『サバイバル』(’71)、6枚目の『戦争をやめよう(原題:E Pluribus Funk)』(’71)は悪いアルバムではないが、プロデューサーのテリー・ナイトと衝突することが増え、平均点以上ではあるものの名曲を生み出すまでには至らなかった。続く『不死鳥(原題:Phoenix)』(’72)ではとうとうテリー・ナイトと決別、セルフプロデュース作として新たなスタートを切る。セールス的には好調を維持しているものの、過渡期的な作品である。この時期、ディープ・パープルやツェッペリンなどのイギリスのハードロック勢に押されて、GFRの集客力は陰りを見せており、次の一手を早急に考えなければならない局面を迎えていた。

■本作『アメリカン・バンド』について

そして、ザ・バンド作品のエンジニアやバッドフィンガーのプロデューサーとしても知られる天才アーティスト、トッド・ラングレンにプロデュースを任せてリリースしたのが、彼らにとって8枚目となる本作『アメリカン・バンド』である。前作の『不死鳥』にもゲスト参加していたキーボード奏者のクレイグ・フロストをメンバーに迎え、パワーを抑えた歌い回しとコーラスの導入などで、これまで以上の王道アメリカンロックを提示している。

トッドの助言であろうがリズムはシンプルかつタイトになり、フロストのキーボードが占める割合がかなり多くなっている。ファーナーのギターについても、オールマン・ブラザーズの大ヒットアルバム『ブラザーズ&シスターズ』(’73)の人気にあやかってか、弾きまくるのではなくツインリード(オーバーダブによる)やサザンロック風のメロディックなフレーズで勝負している。

面白いのは、これまでメインのソングライティングと殆どのリードヴォーカルをマーク・ファーナーが担当してきたが、トッドのプロデュース下ではドン・ブリューワーの書いた(もしくはファーナーとの共作)曲が一気に増えていることだ。リードヴォーカルもファーナーと4曲ずつを担当しており、トッドはブリューワーのソングライティングだけでなく、ヴォーカリストとしての才能も引き出している。GFRのアイコン、ファーナーにしてみれば気分が悪かったかもしれないが、そういった様々な工夫もあってシングルカットしたタイトルトラックは全米1位を獲得(ブリューワーの作詞作曲およびリードヴォーカル)、アルバムもこれまでの最高となる2位まで上昇し、トッド・ラングレンの目の付け所が間違いではなかったことが証明される結果となった。

また、“American Band”という言葉がグループのキャッチフレーズとして定着、本作はGFRの再ブレイクを成し遂げるきっかけとなった。本作の成功により、次作もトッドがプロデュースを手がけることに決まり、そのアルバム『輝くグランド・ファンク』では「ロコモーション」(リードヴォーカルはファーナー)のビッグヒット(全米1位)を生み、GFRの名は永遠のものとなるのである。

ちなみに、『不死鳥』(’72)から『アメリカン・バンド』(’73)、『輝くグランド・ファンク』(’74)、『ハードロック野郎(世界の女は御用心)』(’74)まで、グループ名は“グランド・ファンク”に改名しているが、結局は元に戻すことになるので、本稿ではすべて“グランド・ファンク・レイルロード”で統一した。

TEXT:河崎直人

アルバム『We’re an American Band』

1973年発表作品

<収録曲>

1.アメリカン・バンド/We’re An American Band

2.ストップ・ルッキン・バック/Stop Lookin’ Back

3.クリーピン/Creepin’

4.ブラック・リコリス/Black Licorice

5.ザ・レイルロード/The Railroad

6.エイント・ガット・ノーバディ/Ain’t Got Nobody

7.ウォーク・ライク・ア・マン/Walk Like A Man

8.ロンリエスト・ライダー/Loneliest Rider

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